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前回は、深刻な事件に絡めて『弓と禅』を紹介しました。 この本は、メルマガでも何度も紹介しておりますが、よりによって、あんな悲惨な事件に絡めて書いたのは、自分がよほど、動揺していたからだと思います。 あのような悲惨な事件が起きるのは、現代の日本人には『弓と禅』で紹介している根源のパワーからあまりにも乖離していると、思ったからです。 『弓と禅』の著者はドイツの学者ですが、論理的に物事を考える現代の日本人と同じ思想体系や価値観だと思います。 ですから、現代の日本人には、この本の内容は、全く意味不明で、理解不能だと思います。 戦後のGHQの日本人弱体化政策により、氣の概念や丹田や根源のパワーなどの一連の精神的なものが、一切排除されてきたからです。 けれども、2015年に世界の流れを変えたアップルの起業家のジョブズ氏が、この本を愛読していたということで、一躍注目されたのです。 人間が本来持っている根源のパワーを実証してくれる価値のある本なので、メルマガでは世間が注目する以前から何度も紹介してきました。 さて、ヘリゲル氏は、有り得ない奇跡を目の当たりに見て、自分を捨てて、無心になることで、根源からの無限のパワーが、出現することを確信できたのです。 阿波研造師範は、暗闇で的を見なくても命中することができるのに・・・。 西洋人の自分はしっかりと目を開けていても、西洋の合理的な考えだけでは、足元にも及ばないほど無力であることを思い知らされたのです。 合理的な精神という盲信は、本当は浅はかなだけで、狭い枠の中に「自我のエゴ」が閉じこもっているだけだ!と気づいたのです。 科学的・理詰め・博学・常識などをいくらひけらかしても、真理や真髄には程遠いもので、むしろ邪魔になるだけで、何の役にも立たないことに気づいたのです。 この気づきは、何よりも大切なもので、世間の多くの人に知ってもらいたいと思ったから、本として残っているのです。 これは、現代の日本人にもぜひとも気づいてもらいたい本質的なものです。 今まで培ってきた、西洋の合理主義に基づく信念は、自分で自分を縛りつけ、どんなに的外(まとはずれ)だったのかを思い知ったのでしょう。 ですから彼は師範の教えには、疑うことも、問うことも、思い煩うことも、きっぱりと諦め、エゴも自我も捨てて、一心不乱に精進しました。 こうしてへリゲル氏は、苦節5年間の修練の後「無の射」を体得したのです。 表面的には、弓道五段の段位を獲得したそうですが、弓道の極意である「無の射」を体得したからこそ「弓術における禅」、日本語版「弓と禅」という名著が書けたのです。 ところで、ジョブズ氏は病気を患った晩年も、長男や娘を連れて何度か京都の禅宗である臨済宗の西芳寺(苔寺)を訪れていますので、禅の精神には、大きく影響を受けていたことがわかります。 ですから、『弓と禅』が、ジョブズ氏の生涯の愛読書だったことが、うなずけます。 肥田春充という武術の名人も臍下丹田の一点を「聖中心」と称して、神業や奇跡を起こしています。 彼も、目隠しをして針金の的を射止める!という神業を実現しておりますので、阿波研造氏の神業の真実を検証したことになります。 肥田春充氏も、何度やっても、場所を変えても、一度たりとも針金の的を外さなかったということです。 目隠しですから、弓の名人と同じく外にある的を見ていない、的を狙ってはいない!ことになります。 「1000 万回やったら、一発くらいは外れませんか?」と、聞かれた肥田春充氏は「当ててから矢を放っているのですから、外れるということはありません」と、答えたそうです。 「当たり前」という言葉は、当然という意味ですが・・・。 ○当たることを当たる前にするから確実に当たる! ○確実に当たることを、当たる前にしているから、百発百中、的中するのは、当たり前になる! 「当たり前」という言葉は、次元の違う領域で、つまり、心の深い領域で、事前に行われているから使われる言葉なのです。 ・命中とは、命の中と書きますが、中の漢字はアタルとも読みます。 命の源流に中(あ)てているから命中するのです。 いずれにしても、自我のエゴを完全に超越したからこのような神業ができたのです。 肥田春充氏は、丹田を科学的に解明した人でもあり、阿波研造氏も、白隠禅師が実践していた丹田呼吸の名人でもありました。 当る⇒会心⇒命中の順に、意識を深めて行くことは無限のパワーを秘めている「本来の自分」と「宇宙の根源の力」と一体化することでもあります。 意識が中心の中心の中心に命中している状態が、現実の世界ではすべてがうまく行く状態になります。 それとは反対に、心の軸が定まっていない現代人の多くは、意識が外にだけにズレまくっていて、的外れのハズレばかりになってしまうのです。 現代人のほとんどが、無限のパワーを秘めている「本来の自分」と言っても、理解不能だと思います。 臍下丹田の一点、無限のパワー、「聖中心」、不動心の中心、心の神性、仏性、大いなる自己、『命の源流』、アートマン、真我、ソース、本質・・・と言っても、何のことやら?意味不明なのです。 内なるパワーの本質を常に無視していれば、外の現象にばかりに振り回され、的外れのハズレばかりの人生になってしまうのです。 大いなる源(ソース)=『命の源流』を無視して、エネルギーの源から離れてしまうから、様々な問題や事件、争いが起きるのです。 大いなる源(ソース)=『命の源流』から離れれば離れるほど、自我の意識が強くなり、エゴに支配され、振り回され病気や不幸になるのです。 不安や恐れやうらみは、自我が作り出す妄想なので、大いなる源(ソース)につながると不安や恐れはなくなり、安心感に変わります。 内なるパワーや大いなる源(ソース)は、目には見えなく、感じることもできないので、説明が難解になります。 そこで、役立つのが『命の源流』の象徴である『幸せの和』なのです。 百聞は一見に如かず!です。 『幸せの和』を見るだけで、懐かしさを感じる人もおります。 『幸せの和』の体験談からも、これを手にとり見ているだけで、安心感や安堵感が湧き上がり、思わず微笑んでしまうのです。 そればかりか、エネルギーを敏感に感じる人は体感できて、色々な奇跡が起きるのも『命の源流』につながったているからだと思います。 そして、『幸せの和』のエネルギーは、次元を超越しているので、当たり前の現象が起きるのです。 『幸せの和』の影響で、4億円のロト6が当たった!という体験もありましたが、これも、当たる前に当てる現象になっていたからだと思います。 病気に関する奇跡の体験が多いのですが、それらは薬事法に触れる恐れがあるので、お金の体験談にしました。 『幸せの和』は、人の意識にも同調していることもわかり、ソースの波動と同調してつながれば、いつでも幸せを感じることができるのですから、納得できます。 これが、幸せの本質であり、私達の本来のあるべき姿に導いてくれるのです。 『幸せの和』は、最初は禅の書や絵にある「円相」と思っていました。 けれども、空海の真言を200万遍以上も唱えた結果に与えられたものですから、空海が唐から持ってきたマンダラの中央の円を象徴したものとわかってきました。 マンダラとは? サンスクリット語のMANDALA=マンダ(本質・真髄)+ラ(la:所有)、つまり、「本質を所有したもの」という意味です。 マンダラの中央の円は、大日如来であり、これは、万物が生成する場を象徴しております。 万物のすべてが生成する場、すべてのエネルギーの源、宇宙の根源のパワー、『命の根源』、これらを象徴したものが、マンダラであり『幸せの和』なのです。 誰もが自分の中にある無限のパワー=「大いなる自己」が宿っています。 ですから『幸せの和』は、多くの人に受け入れられ、奇跡が起きて、さらに思いもよらないような現象も起きているのです。 興味のある人は過去のメルマガを読んで下さいね。 ・『幸せの和』のパワー ~~~~~ 〇愛のパワー ・愛・感謝・素直・純粋な心→『大いなる自己』 ・『命の源流』根源意識の愛のエネルギー&絶対的安心の世界 〇才能のパワー(無限の叡智) ・叡智・英知・知恵・頭脳明晰・学修意欲の目覚め・学問成就・合格・深い感謝と愛・素直な心 〇富のパワー(無尽蔵の富) ・富・財・お金・繁栄・弥栄・深い感謝と愛 ・素直な心・純粋な心 〇成功のパワー ・成功・達成・成就・夢の実現・深い感謝と愛 ・素直な心 〇人間関係の良好のパワー ・人の和・思いやり・与える心・深い感謝と愛 ・素直な心 〇若返りのパワー ・時空の超越・今の瞬間に生きる・健康・長寿 ・愛・感謝 〇治癒のパワー ・治癒・完治・全快・元気・健康・幸福・愛 ・感謝・素直 〇原点回帰のパワー ・意識を深く掘り下げる・本当の自己の発見 ・自分の使命の発見・愛・感謝・素直・純粋な心 ~~~~~ 私達が夢や願望が容易に達成できないのは、ほとんどがエネルギー不足なのです。 多くの人はそれに気づいていません 私達は無力のようですが、本当は根源的なエネルギーを持っているのです。 このエネルギーをいつでも発起できるように、多くの人が幸せになるように『幸せの和』があるのです。 ありがとうございました。 -------- 『奇跡を呼び込むS氏の能力開発』メルマガより抜粋して掲載しております。
Last updated
2019.07.30 20:44:45
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