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カテゴリ:がんが自然に治る生き方
8月になりました。 メルマガでは、ヘルゲル氏が「無の射」に至る弓道の段階を紹介しましたが、これらはすべて呼吸法を極めることに尽きます。 ・「神は呼吸を肉体と魂を結びつける霊妙な鎖として作られた。」 このような言葉がありますが、阿波研造氏は丹田呼吸を極めた人であり、徹底して息を吐く呼吸法で、弓道での神業を実現しております。 弓道には「射法八節」という8段階の実践過程があります。 1、足踏み(あしぶみ) 2、胴造り(どうづくり) 3、弓構え(ゆがまえ) 4、打起し(うちおこし) 5、引分け(ひきわけ) 6、会(かい) 7、離れ(はなれ) 8、残身(ざんしん) この6番目の「会(かい)」の説明をします。 会は、弓を満月のように引き絞り、もうこれ以上引くことも押すことも出来ない状態になったところを言う。 そのとき、心、気、力は 体に充満し、おのずと“無”の状態が訪れる。 息は吐ききる。 胸の中に1ミリ立方の酸素も残っていないほどに吐ききる。 このまま死んでしまうのではないか、と思われるほどに 息を吐ききるのである。 「一射絶命」とか「一射一生」ということを弓道では言うが、それは「会」のときに息を吐ききることを意味すると言ってよい。 絶命するくらい吐ききる。 一生が終わるくらい吐ききる。 すでに胸の中に微塵の酸素も無くなったと思われるほどに吐ききり、 そのままでは死に至るところまでもっていく。 「会」のなかには「詰合」(つめあい)、「伸合」(のびあい)「穀」(矢ごろ)の三段階があって、 「詰合」(つめあい)は心、気、力を五体に充満させることを言う。 「伸合」(のびあい)は心、気、力が充満すれば五体は十分に伸びることを言い、そうなれば「穀」(矢ごろ)がはじけるようにして、五体の中から矢を射る。”ころ合”が生まれてくる。 即ち、それが「穀」である。 気力の働きによって技を生かすことが大切である。すなわち、「気は技に優先する」ことを銘記しなければならない。 「会」は心理的には不動心の連続であり、的に対する執着心や欲望、雑念を去り、正しい信念に基づき克己、冷静、忍耐、決断力の心気の充実につとめるとともに、疑い、不安、弱気、決断力等の心気の充実に努めなければならない。 この「会」の説明を読んでいると「私達が名人に近づく」と言うことは、私達自身の心に宿る「真の自己」に近づくこと!と同じことなのです。 「会心」には、思うとおり 望みが叶う 心に叶う 思い通り 気に入る会心〈の作〉という意味があります。 ですから、「会」の所作の中で、息を限界まで吐き出す呼吸法を実践し、雑念を取り去り、自分の本当の「真の自己」の心に会うこと、つまり、これが会心なのです。 「息」は、自分の自の文字の下に心と書きます。ですから、自分の息は自分の心にも関連してくるのです。 「気を吐く」という言葉もありますので、息は気でもあり、意気でもあり、意識でもあり、心でもあるのです。 「心意気」という言葉はこのあたりからできたように思われます。 息がかった、息の根、息を吹き返す、息を呑む、息もつかせぬ、息を引きとる、息が合う、息が長いなど、息を抜く、と、息に関する言葉が多いのも、息と命と氣のつながりを感じます。 息を極限まで吐いて、吐くの土の文字の下の横棒=?マイナスを掃き消すと心の奥の「真の自己」が現れるので、叶うという文字になるのでしょうか。 吐→叶に変わるのです。 息を徹底して吐くから叶うに変わるのです。 つまり、執着心や欲望、雑念、疑い、不安、弱気などの(?)マイナスの邪気を、心の中から息とともに吐き出して、心を浄化すると、夢や希望が叶う、「叶う」の文字に変わるのです。 息を極限まで吐くことが、あらゆる願いが叶う会心につながるのです。 息を極限まで吐いて、吐いて、吐き切り、もうそれ以上吐けない限界の状態になると気が遠くなり、その「刹那」に一瞬、気を緩めると、息が一気に入ってくるのですが、この一瞬の「刹那」に、運命的なものを感じます。 生死の境があり、陰と陽の境もあり、この世とあの世の次元の境でもあるような一瞬の刹那(せつな)なのです。 今の一瞬に意識を集中すると、あらゆる可能性の場に行ける!と言われていますが、釈迦も、白隠も、空海も、そして、弓の名人も、この一瞬の「刹那」を感じていたのかも知れません。 この「刹那」ですが、10のマイナス18乗ですから、ミクロの命数の六徳の前の命数になります。 ・・・瞬息→弾指→刹那→六徳→虚空→清浄→阿頼耶→阿摩羅→涅槃寂靜となります。 瞬息→弾指→刹那、これらの命数は、10のマイナス16乗、17乗、18乗、ですが、いかにも、弓道に関連のある言葉のようにも思われますが・・・。 「弓道の神様」と呼ばれていた、伝説の弓道家、阿波研造氏は、「的を見ずに」矢を的中=命中させることができたのです。 これは、心の目、つまり「心眼」が開眼していたことになります。 ここで、ミクロの命数の刹那や「心眼」につながるとは・・・。 さすがに、いまさら「弓道」を習うことはできないので、誰もが簡単にこの境地に達するために・・・。 筋肉を使わずに「無の射」ができるようになる。 これに類似しているのは『無の振り』があります。 同じ禅が原点にあります。振りですから、剣でも、素振りのバットでもなく、腕振りのスワイショウの振りです。 スワイショウの実践は、目の病気に関しては、すべてが良くなる!ということですが、私の場合は、視力が良くなり、小さな辞書の文字でも裸眼で読める。 目の水晶体がにごっていたのですが、たぶん白内障とか緑内障までは行かなくても、老化により、たんぱく質などの汚れだと思いますが、それがきれいになくなっているのです。 長い文書を読んだり書いたりしていても、これまでに比べて、目が疲れない!肩が凝らない!元気の回復が早い!と、かなり助かっております。 スワイショウの実践は、目の病気に関しては、すべてが良くなる!ということですので、うなずけます。 これだけでもありがたいことです。 『腕振り運動=スワイショウ』は『無の振り』に心がければ、奇跡が起きます。 けれども、この実践の唯一の難点は、船井氏も指摘されたように、ほとんどの人が続けられない!ということです。 『腕振り運動=スワイショウ』のネットの動画を見ていると、ほとんどが、腕を筋肉運動のようにブンブンと振っておりますが・・・。 これだと、筋肉痛や疲労感で長続きはしません。 99%の人が継続できない!というのは、正しいやり方や禅の精神が理解できていないからだと思います。 元々は心を静めるために禅の修行の一環として、達磨大師が始めたものですから、弓の修行と同根と思いながら取り組むのです。 そして、誰もが、取り組んでいる最中に、耳元でささやく声がすると思います。 こんな単純なことで、何にも起きないよ!こんなことをしている場合ではない! もっと大切なことをしないと!テレビも、ゲームも、やることいっぱいあるのだから!と、もっともらしい分別の声が絶えず、ささやいてくるから継続できないのです。 けれども、弓の修行のように『無の振り』を意識して、雑念は切り離し、息を吐くことに専念して、筋肉を使わずに振ることを目標に練習するのです。 筋肉を使わずに、意図的に腕を振ろうと思わずに、自分を一切捨てて、振るのです。 腕の振れ幅は、3センチとか5センチ程度でもOKです。できるだけソフトに、柔らかく振るのです。 ブンブン振るよりも、自我のエゴを捨てた分だけ、氣のエネルギーを感じることができると思います。 私が考えるに、短時間では、エネルギーを感じることが出来ないから、多くの人が挫折するものと思われます。 この運動は、氣のエネルギーのチャージでもあります。関先生はグラビトンと言っておりますが、元気の源のエネルギーです。 『幸せの和』を持っている人は『幸せの和』を丹田と背中の仙骨のところにあてて実践すれば、氣のエネルギーを感じない人でも、感じるようになると思います。 挫折の原因は、根源のパワーに気づかないように妨害している自我ですから、これを意識して取り組んで下さい。 『腕振り運動=スワイショウ』の成果例 ◇成果例・・午前2000回、午後2000回、連続5ヶ月の腕振りで肺ガンが消滅した。 その他、各種ガン、眼病、半身不随などの完治例もあり、万病に効果が認められている。 肝臓が病み適正でなくなるのは、気と筋肉が健全でなく、水がたまり排出できないから苦しくなり、胃、脾臓、胆のうなどに影響する。 腕振りをすれば、すぐにおくび、放屁が出て新陳代謝が起こる。 他に、眼病、半身不随、高血圧などに効果的。病気の予防にも最適。 (グラビトニックス「第5章・生理学と生物学」より抜粋) あなたも、奇跡を起こしてください。 ありがとうございました。 -------- 『奇跡を呼び込むS氏の能力開発』メルマガより。
Last updated
2019.08.04 19:20:13
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