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カテゴリ:がんが自然に治る生き方
9号、10号と強い台風が日本列島を横断しました。 台風が近づくたびに『九つの和』の注文を頂いておりますが、皆さん何事もなくご無事に生活されております。 特に関東にお住いの人達からの注文が多いのですが、これまでに不思議と台風や災害が遠ざかる傾向にあります。 偶然でもなんでも無事であることが何よりです。 以前に書いたメルマガです。 ~~~~~ 特に九頭龍のパワーは、雲や雨、水と関連して、運やツキを呼び込む点では郡を抜いておりますので、大難を無難にも変えてしまいます。 それらはすべて右回転のエネルギーになって、家全体から放射されて素粒子に影響していることと思われます。 『幸せの和』の名刺サイズをポケットに持っているだけで、周りの場を変えますので、九頭龍をはじめとする『幸せの和』の右回転のエネルギーの渦が、台風の左回転のエネルギーに影響を与えていることは、多分に考えられます。 空海や天海の「雨乞いの祈祷」で、実際に雨を降らしたのも、空気中の水蒸気に働きかけて雲を集めたのですから、この原理です。 彼らは、空という素粒子の概念があったので、私達よりもずっと科学的なのです。 気象学者のエドワード・ローレンツは、「ブラジルで一匹の蝶が羽ばたくとテキサスで大竜巻が起こる」というようなことを言ったそうですが、思考などの微妙なエネルギーの作用でも、世界はすべてがつながっておりますので、想像もできないような変化が起こるのです。 ~~~~~ 自然災害は、天災だからどうにもならない!と、多くの現代人が思うことです。 けれども、幸せの和の体験談には、九頭龍の名刺や色紙を持っているので、被害を避けられました!という体験談が、たくさん寄せられました。 『幸せの和』の右回転のエネルギーが素粒子レベルで、台風や爆弾低気圧などの左回転のエネルギーを相殺して無害になった!というのです。 空海や天海の「雨乞いの祈祷」の反対の働きかけです。 当時は、九頭龍の色紙が、幸せの和が百万枚も普及した原動力になりましたから、通常では考えられない、有り得ない奇跡が起きたのでしょう。 ちなみに、気象庁の注意警報を発表していた人が、黒良龍太という人で、それが、あまりにも、たどたどしいので、小学生でも、ここまで下手くそな説明はないだろうと思いました。 何度も、言い直し、何かに操られて、すらすら言い切ることができない!というような稚拙な説明なのです。 だれなのだ、こいつは、と、何度もこの人の素性や肩書を確認させるような、本当に聴きずらく、わざとにへたくそな言い方で説明したとしか思えないのです。 一体、この人は、何を言いたいのか? 何に注目せよ!というのか? 私には、自分の名の「龍」に注目せよ!というメッセージにしか思いませんでした。 天災を無難にするには「龍」がキーになる!という暗示なのか?と思いました。 天候を変えるには、素粒子レベルからの波動の影響もありますが・・・。 心模様が、空模様よりも確実に現実を変える!という法則もあります。 この世は鏡であり、自分の心の思いが毎瞬映し出されているという「鏡の法則」があります。 目の前の現実は、どの瞬間も、一人一人の意識の波動が正確にそのとおりに映し出されているのです。 私たちの身の回りで起きているすべての現象は、自分が出した振動波、つまり波動が同調して引き寄せたものです。 どんなに良いことでも、悪いことでも、それは自分が無意識のうちに出している意識の波動と同調したものが現象として現れているのです。 現実とは100%あなたの意識が引き寄せたものでありますから、運が良いとか悪いとかの状況は、自分が作っていることになります。 何度もくどいようですが、自分の周りの状況というものは、どんなことでも自分の心の奥底の思いが、原因となって物事を引き寄せ、目の前に展開しているのです。 自分の思いでも、宇宙に与えているものが、与えられているのです。 災害が起きても、被害に遭わない人もいれば、巻き込まれる人もおります。 これは強力な宇宙の法則ですから、肝に銘じてください。 けれども、私たちは自分の意識や思考、考え方を完全にコントロールできません。 つまり、七識のエゴの思考に支配され、奴隷状態になっているのですから、判断は誤り、不平不満だらけの苦しいことだらけになっているのです。 目の前の現実を、望んでもいない現実を、自分が招いているはずがない!と、思うのもエゴであり、自分の不幸を世の中が悪いから、とか、周りの人が悪いから、と思うのも、七識のエゴに支配され、奴隷状態になっている証拠なのです。 そんな弱い自分に、本当の自分が合流すれば・・・。 それこそ、日月神示のように無限のパワーの「龍」が合流すれば、意識は変容して、現実は変わります。 物語の世界だけでなく、現実の世界でも、誰もが自分の中に眠っている無限のパワーの「龍」に目覚めることができるのです。 それが、幸せの和の九頭龍の色紙や名刺であり、その延長線上にミクロの命数があるのです。 九頭龍やミクロの命数は、シンクロニシティや奇跡の現象を頻繁に起こしました。 私達の目の前に起きている出来事は、エゴの考え方であることに気づき! だれもが、意識の変容が成し遂げられるように!と、起きている。というのです。 つまり、困難やつらい現実の苦しみは、意識の変容が成し遂げられるように!起きている!と言うのです。 ですから、厳しい逆境や苦しみの経験は、心の深い次元に行けるチャンスでもあるのです。 「苦しみ」を十分に経験した人には「もっと違う生き方がある」というメッセージが与えられるのです。 苦しみの終わりは、3年後、5年後、10年後、20年後と、人によって違いますが、その苦しみは自分の思考や感情が現実化している!と、十分に理解できた時に・・、苦しみに終止符がうたれるのです。 目の前の起きる現象に批判をしない、判断を下さない。 不平や不満や苛立ちや「うんざり」した気分など、まるで、こだまのように、すぐに現実化するのが、百も承知するようになるのですから・・・、自分の内面の状態に無意識にはなれません。自分の心模様に細心の注意を払うようになります。 「もっと違う生き方」のメッセージとは、その苦しみは、自分の内面の思考が招いて現実化していると、理解できるのですから・・・、不満や苛立ちや「うんざり」した気分など、低レベルの不幸を招く、思考や感情を、自分の中には持たなくなります。 このように、自分の習慣的なものの見方に気づかない限り、ほんとうの意味で自分を変えることはできません。 このことに気づかない人は、20年でも、30年でも、50年でも、一生涯を、自分が招いている苦しみが続き、自分で自分の首を絞め続けることになるのです。 幸せの和の龍は、根源の無限のパワーの象徴でもあります。 災害や不幸を避けて、意識の変容の気づきに役立てて下さい。 ~~~~~ メルマガの引用が長くなりました。 ところで、龍と言えば、日光東照宮の陽明門の龍は何種類もあり、その中に龍になる前の未熟な龍の彫刻があります。 本当の龍になれない、修行の足りない龍とでもいうのでしょうか。 まるで『本当の自分』ではない、仮の自分のような ・・・ 『本当の自分』=真我と、エゴに支配されているニセの自分=仮我(けが)のような関係なのです。 仏教では、ニセの自分を仮我(けが)といい、本当の自分を真我と呼んでいます。 低次の自分は、過去の記憶に囚われているので、いつも不安、恐れなど、低い精神レベルになり、その低いエネルギーが、ネガティブな現実を引き寄せているのです。 さて、その未熟な龍は、ヒゲがなく、ブタのように上唇に鼻孔がついています。 まるで豚のような顔の龍なのです。 そして、その豚の顔の龍の名は、息(いき・そく)というのです。 息という名前ですから、非常に意味ありです。 息(いき)を極めることで豚のような未熟な龍でも、ニセモノの龍でも、本物の龍になれる! 本物の龍にならなければ、豚のような奴隷状態で、一生涯を過ごすことになる!という意味にも取れます。 ======= ・「神は呼吸を肉体と魂を結びつける霊妙な鎖として作られた。」 このような言葉がありますが、阿波研造氏は丹田呼吸を極めた人であり、徹底して息を吐く呼吸法で、弓道での神業を実現しております。 ====== 先日書いたメルマガです。 ~~~~~ 弓道の会は、弓を満月のように引き絞り、もうこれ以上引くことも押すことも出来ない状態になったところを言う。 そのとき、心、気、力は 体に充満し、おのずと“無”の状態が訪れる。 息は吐ききる。 胸の中に1ミリ立方の酸素も残っていないほどに吐ききる。 このまま死んでしまうのではないか、と思われるほどに 息を吐ききるのである。 「一射絶命」とか「一射一生」ということを弓道では言うが、それは「会」のときに息を吐ききることを意味すると言ってよい。 絶命するくらい吐ききる。 一生が終わるくらい吐ききる。 すでに胸の中に微塵の酸素も無くなったと思われるほどに吐ききり、 そのままでは死に至るところまでもっていく。 「会」のなかには「詰合」(つめあい)、「伸合」(のびあい)「穀」(矢ごろ)の三段階があって、 「詰合」(つめあい)は心、気、力を五体に充満させることを言う。 「伸合」(のびあい)は心、気、力が充満すれば五体は十分に伸びることを言い、そうなれば「穀」(矢ごろ)がはじけるようにして、五体の中から矢を射る。”ころ合”が生まれてくる。 即ち、それが「穀」である。 気力の働きによって技を生かすことが大切である。すなわち、「気は技に優先する」ことを銘記しなければならない。 「会」は心理的には不動心の連続であり、的に対する執着心や欲望、雑念を去り、正しい信念に基づき克己、冷静、忍耐、決断力の心気の充実につとめるとともに、疑い、不安、弱気、決断力等の心気の充実に努めなければならない。 この「会」の説明を読んでいると「私達が名人に近づく」と言うことは、私達自身の心に宿る「真の自己」に近づくこと!と同じことなのです。 「会心」には、思うとおり 望みが叶う 心に叶う 思い通り 気に入る会心〈の作〉という意味があります。 ですから、「会」の所作の中で、息を限界まで吐き出す呼吸法を実践し、雑念を取り去り、自分の本当の「真の自己」の心に会うこと、つまり、これが会心なのです。 「息」は、自分の自の文字の下に心と書きます。ですから、自分の息は自分の心にも関連してくるのです。 「気を吐く」という言葉もありますので、息は気でもあり、意気でもあり、意識でもあり、心でもあるのです。 「心意気」という言葉はこのあたりからできたように思われます。 息がかった、息の根、息を吹き返す、息を呑む、息もつかせぬ、息を引きとる、息が合う、息が長いなど、息を抜く、と、息に関する言葉が多いのも、息と命と氣のつながりを感じます。 息を極限まで吐いて、吐くの土の文字の下の横棒=?マイナスを掃き消すと心の奥の「真の自己」が現れるので、叶うという文字になるのでしょうか。 吐→叶に変わるのです。 息を徹底して吐くから叶うに変わるのです。 つまり、執着心や欲望、雑念、疑い、不安、弱気などの(?)マイナスの邪気を、心の中から息とともに吐き出して、心を浄化すると、夢や希望が叶う、「叶う」の文字に変わるのです。 息を極限まで吐くことが、あらゆる願いが叶う会心につながるのです。 息を極限まで吐いて、吐いて、吐き切り、もうそれ以上吐けない限界の状態になると気が遠くなり、その「刹那」に一瞬、気を緩めると、息が一気に入ってくるのですが、この一瞬の「刹那」に、運命的なものを感じます。 生死の境があり、陰と陽の境もあり、この世とあの世の次元の境でもあるような一瞬の刹那(せつな)なのです。 今の一瞬に意識を集中すると、あらゆる可能性の場に行ける!と言われていますが、釈迦も、白隠も、空海も、そして、弓の名人も、この一瞬の「刹那」を感じていたのかも知れません。 ~~~~~ 自分は、豚のような人間の食いものにされるために生まれてきたのか? それとも、無限のパワーを持つ万能の龍として生まれてきたのか? 丹田呼吸が、息を極めることになります。けれども難しいものがあります。 理想的な丹田呼吸になるのが、能望の実践です。 ありがとうございました。 -------- 『奇跡を呼び込むS氏の能力開発』メルマガより抜粋して掲載しております。
Last updated
2019.08.18 17:19:56
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