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Apr 18, 2019
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カテゴリ:読書・コミック
本日読んだ本は「三島由紀夫と楯の会事件」。
1970年(昭和45年)11月25日、作家の三島由紀夫は自身が主宰する民兵組織「楯の会」の会員4名と共に陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地に赴き決起を呼び掛けたが無視され、「楯の会」会員森田必勝(まさかつ)と共に切腹という方法で自決。自決に至る経緯を「楯の会」結成~三島事件(楯の会事件)~その後を関係者への取材をもとに構成した本。

昭和40年代は学生運動が盛んで安保紛争、大学の自治、学費などの問題が原因で大学上層部とで激突するってこともあった時期。60年代末期になると赤軍が結成・・と世の中は混迷を極めていたころ、文豪三島由紀夫はこの頃になると創作活動よりも政治色を強めていき、創作面でも政治に関すること、「英霊の聲」「憂国」等戦中での美学を絶賛する内容の作品を書いていた。三島は何を思ったのか昭和41年ごろから自衛隊への体験入隊を口にするようになる。そうして三島は本名の平岡公威で昭和42年4月に自衛隊に体験入隊。後に持丸博ら民族派の学生も自衛隊に体験入隊するようになる。
三島は自衛隊体験入隊によって祖国防衛のための民兵組織の構想を固め集まった学生らで前身となる組織結成を経て「楯の会」を創立することになる。
会員の条件は
・自衛隊の体験入隊に耐えた人が第一条件
・学生長の面談を受け、合格通知を受け取ったものが三島と面会できる

 最初は事件当日の様子が描かれる。楯の会会員(4期・5期生中心)は事件当日例会のため市ヶ谷会館に集まっていたが、三島が市ヶ谷駐屯地にやってきて益田総監を人質に取ったと報道されると、市ヶ谷会館は大騒ぎとなり三島と森田が割腹自殺の後介錯受けて亡くなったと聞くや、市ヶ谷会館に待機していた会員2名が警官に突っかかったこともあった。
 楯の会の班長の一人・倉持清当ての遺書が掲載されており、前半は倉持個人、後半は楯の会会員宛てのものだった。

例の演説の時に撒かれた檄文がすべて掲載されており
『われわれ楯の会は、自衛隊によって育てられ、いわば自衛隊はわれわれの父でもあり、兄でもある。その恩義に報いるに、このような忘恩的行為に出たのは何故であるか。

かえりみれば、私は四年、学生は三年、隊内で準自衛官としての待遇を受け、一片の打算もない教育を受け、又われわれも心から自衛隊を愛し、もはや隊の柵外の日本にはない「真の日本」をここに夢み、ここでこそ終戦後ついに知らなかった男の涙を知った。ここで流したわれわれの汗は純一であり、憂国の精神を相共にする同志として共に富士の原野を馳駆した。このことには一点の疑いもない。われわれにとって自衛隊は故郷であり、生ぬるい現代日本で凛冽の気を呼吸できる唯一の場所であった。教官、助教諸氏から受けた愛情は測り知れない。しかもなお、敢えてこの挙に出たのは何故であるか。たとえ強弁と云われようとも、自衛隊を愛するが故であると私は断言する。
 われわれは戦後の日本が、経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失い、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を涜してゆくのを、歯噛みをしながら見ていなければならなかった。 

われわれは今や自衛隊にのみ、真の日本、真の日本人、真の武士の魂が残されているのを夢みた。しかも法理論的には、自衛隊は違憲であることは明白であり、国の根本問題である防衛が、御都合主義の法的解釈によってごまかされ、軍の名を用いない軍として、日本人の魂の腐敗、道義の頽廃の根本原因を、なしてきているのを見た。もっとも名誉を重んずべき軍が、もっとも悪質の欺瞞の下に放置されて来たのである。自衛隊は敗戦後の国家の不名誉な十字架を負いつづけて来た。自衛隊は国軍たりえず、建軍の本義を与えられず、警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与えられず、その忠誠の対象も明確にされなかった。われわれは戦後のあまりに永い日本の眠りに憤った。自衛隊が目ざめる時こそ、日本が目ざめる時だと信じた。自衛隊が自ら目ざめることなしに、この眠れる日本が目ざめることはないのを信じた。憲法改正によって、自衛隊が建軍の本義に立ち、真の国軍となる日のために、国民として微力の限りを尽すこと以上に大いなる責務はない、と信じた。
 四年前、私はひとり志を抱いて自衛隊に入り、その翌年には楯の会を結成した。楯の会の根本理念は、ひとえに自衛隊が目ざめる時、自衛隊を国軍、名誉ある国軍とするために、命を捨てようという決心にあつた。憲法改正がもはや議会制度下ではむずかしければ、治安出動こそその唯一の好機であり、われわれは治安出動の前衛となって命を捨て、国軍の礎石たらんとした。国体を守るのは軍隊であり、政体を守るのは警察である。政体を警察力を以て守りきれない段階に来て、はじめて軍隊の出動によって国体が明らかになり、軍は建軍の本義を回復するであろう。日本の軍隊の建軍の本義とは、「天皇を中心とする日本の歴史・文化・伝統を守る」ことにしか存在しないのである。国のねじ曲った大本を正すという使命のため、われわれは少数乍ら訓練を受け、挺身しようとしていたのである。
 しかるに昨昭和四十四年十月二十一日に何が起ったか。総理訪米前の大詰ともいうべきこのデモは、圧倒的な警察力の下に不発に終った。その状況を新宿で見て、私は、「これで憲法は変らない」と痛恨した。その日に何が起ったか。政府は極左勢力の限界を見極め、戒厳令にも等しい警察の規制に対する一般民衆の反応を見極め、敢えて「憲法改正」という火中の栗を拾はずとも、事態を収拾しうる自信を得たのである。治安出動は不用になった。政府は政体維持のためには、何ら憲法と抵触しない警察力だけで乗り切る自信を得、国の根本問題に対して頬かぶりをつづける自信を得た。これで、左派勢力には憲法護持の飴玉をしやぶらせつづけ、名を捨てて実をとる方策を固め、自ら、護憲を標榜することの利点を得たのである。名を捨てて、実をとる! 政治家たちにとってはそれでよかろう。しかし自衛隊にとっては、致命傷であることに、政治家は気づかない筈はない。そこでふたたび、前にもまさる偽善と隠蔽、うれしがらせとごまかしがはじまった。
 銘記せよ! 実はこの昭和四十四年十月二十一日という日は、自衛隊にとっては悲劇の日だった。創立以来二十年に亘って、憲法改正を待ちこがれてきた自衛隊にとって、決定的にその希望が裏切られ、憲法改正は政治的プログラムから除外され、相共に議会主義政党を主張する自民党と共産党が、非議会主義的方法の可能性を晴れ晴れと払拭した日だった。論理的に正に、この日を境にして、それまで憲法の私生児であつた自衛隊は、「護憲の軍隊」として認知されたのである。これ以上のパラドックスがあろうか。
 われわれはこの日以後の自衛隊に一刻一刻注視した。われわれが夢みていたように、もし自衛隊に武士の魂が残っているならば、どうしてこの事態を黙視しえよう。自らを否定するものを守るとは、何たる論理的矛盾であろう。男であれば、男の衿がどうしてこれを容認しえよう。我慢に我慢を重ねても、守るべき最後の一線をこえれば、決然起ち上るのが男であり武士である。われわれはひたすら耳をすました。しかし自衛隊のどこからも、「自らを否定する憲法を守れ」という屈辱的な命令に対する、男子の声はきこえては来なかった。かくなる上は、自らの力を自覚して、国の論理の歪みを正すほかに道はないことがわかっているのに、自衛隊は声を奪われたカナリヤのように黙ったままだった。
 われわれは悲しみ、怒り、ついには憤激した。諸官は任務を与えられなければ何もできぬという。しかし諸官に与えられる任務は、悲しいかな、最終的には日本からは来ないのだ。シヴィリアン・コントロールが民主的軍隊の本姿である、という。しかし英米のシヴィリアン・コントロールは、軍政に関する財政上のコントロールである。日本のように人事権まで奪はれて去勢され、変節常なき政治家に操られ、党利党略に利用されることではない。
 この上、政治家のうれしがらせに乗り、より深い自己欺瞞と自己冒涜の道を歩もうとする自衛隊は魂が腐ったのか。武士の魂はどこへ行ったのだ。魂の死んだ巨大な武器庫になって、どこかへ行こうとするのか。繊維交渉に当っては自民党を売国奴呼ばはりした繊維業者もあったのに、国家百年の大計にかかわる核停条約は、あたかもかつての五・五・三の不平等条約の再現であることが明らかであるにもかかわらず、抗議して腹を切るジエネラル一人、自衛隊からは出なかった。
 沖縄返還とは何か? 本土の防衛責任とは何か? アメリカは真の日本の自主的軍隊が日本の国土を守ることを喜ばないのは自明である。あと二年の内に自主性を回復せねば、左派のいう如く、自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終るであらう。
 われわれは四年待った。最後の一年は熱烈に待った。もう待てぬ。自ら冒涜する者を待つわけには行かぬ。しかしあと三十分、最後の三十分待とう。共に起って義のために共に死ぬのだ。日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまった憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか。もしいれば、今からでも共に起ち、共に死のう。われわれは至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、真の武士として蘇えることを熱望するあまり、この挙に出たのである。 」
(原文は旧假名遣ひ)
演説内容もほぼ檄文通りだったが、三島の言うことは一理あるよな。警察予備隊を前身として作られた自衛隊だが、憲法違反の存在のため、存在意義ははっきりしない、国軍として存在する、しかし、自衛のためにしか軍事力を行使しないって憲法に書いておくべきです。

伝説の討論会・東大全共闘との対談の話の裏が描かれており万が一に備えて三島は短刀を忍ばせて討論会に赴いたが、三島に内緒で楯の会の会員が密かに討論会に行ったという話がでてきたり、この頃の三島が発表した評論も掲載している。
 国際反戦デーの時に楯の会と自衛隊の治安出動を望んでいた三島だったが、警察がデモを鎮圧したため自衛隊に不信感を抱くように。それ以前に教官役の自衛隊大佐・山本舜勝から街中がテロなどに巻き込まれたときの対策を受けていた話なども登場。

 後半はクーデター計画は如何にして行われていたかが中心。決起メンバーに選ばれた森田・古賀・小川・小賀はどのようにして選ばれたのか。決起メンバーは11/25日の前は「多分これが最後になるから」ということで旅行に行っていたとかが詳しく書かれている。
 最後は三島事件直後の話を紹介。
・市ヶ谷会館に集まった楯の会会員は現場に行こうとして取り押さえられた者がいた。任意同行を求められた時は「君が代」を歌って警察に向かった
・決起メンバーの小賀・小川・古賀は事件当日に命令書と一緒に弁護士費用3万円をもらっており、裁判の席で堂々と意見を述べた。
・三島の葬儀と一緒に楯の会解散が発表されたが、会場は報道関係者が特ダネを狙いにくい場所を選んでいた。楯の会解散前に会員たちは表立った行動をとっていなかった。





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最終更新日  Apr 26, 2019 09:37:04 PM
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