|
カテゴリ:テレビ番組
1980年に行われたものの日本は西側諸国のあおりを食らって参加できなかったモスクワオリンピックの裏側を紹介する内容
1つ目はボイコット騒動の時の話を紹介。 モスクワオリンピックは共産圏で初めて開催されることになっていたが、ソ連のアフガニスタン侵攻に抗議したアメリカのカーター大統領がボイコットを呼びかけ、イギリス、フランス、西ドイツ、イタリア、日本などがそれに応じて不参加を表明した。結局、中国も含め60ヵ国が参加しないという、オリンピック史上政治に翻弄された最悪の大会となった。出場予定の選手はオリンピック不参加反対を訴えたが、国の圧力によって不参加が決定。柔道の山下泰裕選手、マラソンの瀬古利彦選手など、メダルが有望視されていた選手がいたが、涙ながらに断念したわけだが、不参加が決まった裏話をオリンピックに参加する予定の選手を取材していた記者を直撃。 日本不参加の裏として日本はあいまいな態度を取っていた、関係者は国名義ではなく自腹切って大会に参加しようとしていたことを明かしている。 日本って政治のことだけじゃなく、オリンピックでも優柔不断な態度を取るからほかの国からバカにされるというかなんというか・・・ モスクワ五輪の影響を受けた選手のそのあと ・山下泰裕(柔道):ロスで金メダルを獲得。 ・具志堅幸司(体操):ロスで個人総合とつり輪で金メダル、跳馬で銀メダル、団体総合と鉄棒で銅メダルを獲得。 ・瀬古利彦 (マラソン) - その後、ロサンゼルス、ソウルオリンピック(以下、ソウル)と2大会連続出場を果たしたものの、ソウルで9位にとどまる ・高田裕司(レスリング):いったん現役引退したが復帰。ロスで銅メダルを獲得 ・長義和 (自転車競技) - 1977年に日本競輪学校に合格しながらも、それを辞退して当大会にかけたものの出場叶わず。当時存在した競輪学校の年齢制限(24歳未満)のため競輪選手への道も閉ざされたことから、このまま現役を退いた。 ・長崎宏子 (水泳) - 当時11歳。夏季五輪では初めての小学生の五輪代表選手だったが幻に終わったその後、ロサンゼルス、ソウルと出場したがいずれもメダル獲得は果たせなかった。 人によってはロスなどに出場したり、現役引退している人もいたってことで映像に出てきた山下・高田・長以外でも参加が内定していた選手は相当無念だったんだろうなぁ 2つ目の視点は陸上1500mで金メダルを取ったイギリスのセバスチャン・コーの視点。 泣く泣く不参加を決めた日本に対し、イギリス、フランスはオリンピック委員会が政府の方針に反して個人資格での参加を認めたので、国家代表としてではなく個人で参加した選手もいた。セバスチャン・コーはそのうちの一人。 セバスチャンは独自に政府が言うオリンピック不参加に反対し、有志と共に反対運動を展開。セバスチャンの父親とイギリスのオリンピック委員会がセバスチャンの行動を後押ししたのでイギリスはモスクワオリンピックに参加。公務員のアスリートに対し政府が圧力をかけていた話も登場。 ただし、イギリスは開会式の時、国旗掲揚はせずオリンピック旗を掲げて入場し、ソ連の軍事問題に抗議する姿勢を見せ、政府の顔を立ててる。 イギリスは独自の反対運動を行って出場を勝ち取るって・・・日本の優柔不断ぶりとは正反対ですね セバスチャンの今は一代限りのバロンの称号を持ち、2012年ロンドン大会では招致委員会の一員になっている。 3つ目の視点はレスリングの高田裕司の視点。 1976年のモントリオールで金メダルを取り、次のモスクワでも金は確実と言われていたが、ボイコット騒ぎで日本が不参加になったため引退することに。この後高校の教師になり、レスリング部コーチになったものの、「自分は何でここにいるんだろう」と1・2年考えていたとコメントされた。 1983年にオリンピック候補のコーチをしていたのを機に現役復帰を決め、1984年のロスオリンピックに出場(商業五輪1号として知られる)して銅メダルを獲得。もし金メダルを取ったら捨ててしまおうと思ってたとコメントされていた。 来年の東京大会は競技場建築の件で多額のお金が動いているなどいい噂がないですが、政治と絡むのはやめにしてほしいですね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
May 17, 2019 01:33:51 AM
コメント(0) | コメントを書く
[テレビ番組] カテゴリの最新記事
|
|