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カテゴリ:テレビ番組
久しぶりの「THE・プロファイラー」。今回のお題は淀殿。
淀殿といえば秀吉の側室で豊臣を滅ぼしてしまった悪女・・・と言われてるけど実際はどんな人物だったのかを解析する内容 淀殿はお市と浅井長政の長女で茶々と言う名。小谷城陥落の時、お市・初・小督と共に城から脱出。信長の庇護を受けるが本能寺の変で信長が討たれたことで運命が変わり、お市は柴田勝家と再婚したものの1年足らずでそれがぶち壊れ、お市は勝家と共に自害してしまう。 3姉妹は秀吉に引き取られることとなり、まず初と小督が嫁ぎ、その後に茶々は秀吉の側室に・・・最初の男子鶴松(棄丸)が生まれた時に茶々は秀吉に長政とお市の肖像画を作ってほしいとおねだりした、秀頼が生まれた時はお市のための菩提寺を秀吉に作ってもらっており、両親を強く慕っていたことがわかる。 秀吉が病死し、家康が台頭していき・・・と目まぐるしく展開していき、1600年には「天下分け目」の関ヶ原の戦いが勃発。淀殿は直接関与しなかったが、関ヶ原の裏で行われた大津城の合戦の時は妹の初が旦那の京極高次と共に大津城に籠城していてピンチ!ってことを聞くとお禰と共同で和平の使者を送っているという意外な話が登場。 秀頼は家康の孫娘・千姫と結婚したが、関ケ原の3年後、家康は征夷大将軍となり豊臣の勢力は激減。さらに2年後には将軍の位を秀忠に譲ったことから暗に徳川の天下は世襲制であることを示されるという結果に・・ その時と前後して淀殿が精神的な理由から倒れたって話が登場。これは初耳。 大坂の陣では冬の陣では真田幸村(信繁)の活躍で豊臣方有利だったのに、そそくさと淀殿は和平を受け入れてしまう。井沢元彦氏の「逆説の日本史」では「豊臣が滅んだのは淀殿のお嬢様気質のせい」と書いてありましたが、少し豊臣に有利だった状況下で和平を結んでしまった上、大坂城の堀を埋められてしまったんですからね。 コメンテーターに精神科医の香山リカが登場してましたけど、淀殿が精神的な理由から倒れた理由について精神科医の視点で分析しているところは面白く、精神について研究されていなかった時代にも「心の病」が問題となっていたはね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
Oct 15, 2019 01:02:31 AM
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