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本日見た「にっぽん歴史鑑定」のお題は鎌倉殿と北条義時(2/24放送分)
鎌倉時代の北条氏がどのようにして権力を握ったのかを北条義時の視点で捉えていく内容。 まずは源平合戦時の義時はどういう働きをしたのかなどを紹介。1180年に頼朝が伊豆で挙兵すると父・時政、兄と共に頼朝に従って従軍。合戦では目立った活躍はしなかったものの、頼朝の死後幕府運営の代表に(最年少で)。この代表は有力御家人13人が代表になって行われる合議制だったが、梶原景時が他の御家人の信頼を失う、二人が立て続けに病死・・と運営に暗雲が・・・ 義時が大した戦功を挙げていないのに合議制の代表になったのは頼朝のお気に入りだったから。頼家は御家人の取り決めを無視して長男・一幡の母の実家・比企氏を贔屓にするように。それに危機感を抱いた時政は義時を総大将にして比企氏を滅ぼす、有力御家人を義時に討たせるという行いに出た。権力を持つと讒言を利用して敵対勢力を消していく・・・ってのはお約束ですな。 時政の暴走は止まらず、頼家を伊豆修善寺で押し込めた上に刺客に暗殺させる、実朝の暗殺も企む・・と言う行いに出た。後者の件は義時は姉・政子と共に父を追放するって行いに出た 実朝も暗殺されたが、これらの行いから考えると北条氏の権力拡大のために義時がやったのでは・・と思われがちだが研究家によるとそれはないとの事。源平合戦~鎌倉時代も血なまぐさい権力争いが存在したというのがわかるお題でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
Apr 8, 2020 11:19:01 AM
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