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今週の「歴史秘話ヒストリア」のお題は菅原道真。
今では学問の神様として参拝されている菅原道真だが、なぜ彼が学問の神様となったのかを分析する内容。 今回このお題なのは受験シーズンが近くなったから? ・道真の家は代々学者で文章博士を輩出した家系。道真も学問を積み、33で文章博士に。ところが博士を罷免されて讃岐守に。讃岐守時代の彼の素顔がまず紹介。讃岐はなかなか作物が育たない環境で国の人々は貧しい生活を送っていたたため漢詩で国の苦しさを訴えたって話は初耳だが、讃岐守時代に宇多天皇が即位。天皇は藤原基経に「阿衡」の位を与えるとの詔を出したが、基経がへそを曲げてしまい、道真が基経に意見書を出したら機嫌を直した・・・って話は「日本の歴史(小学館)」にもあったなぁ ・894年、道真は遣唐大使に任命されたが、唐の事情(内乱、海賊の跋扈など)を考えたら、廃止するべきと天皇に意見。讃岐守時代の時同様実直さ大局を見据える力を持ってるのが道真のいいところではないかと研究者が分析。 ・醍醐天皇が即位すると道真は右大臣に。それを快く思ってないのが左大臣の時平。それを察知した道真は右大臣の辞職を願い出た・・・ってのは初耳。 時平は道真の娘が天皇の弟・斉世親王に嫁いでることを利用して、道真が醍醐天皇を廃位しようとたくらんでると讒言。道真は大宰府に流されてしまう。太宰府は九州の防衛・貿易の要所ではあったが、道真は役所務めすらさせてもらえないという有様でなおかつ、住んでいた館もボロボロと罪人と変わらない生活を送っていたという左遷生活についても初耳。 ・太宰府に流されて2年後に道真は死去。道真の死後京では異変が・・・道真を陥れた時平は39の若さで病死。(さらに関係者も次々と死去)疫病、天災が相次いた上、14年後には醍醐天皇の皇太子が死去する事態に。人々は道真の祟りと噂したが、不幸が相次いで起こると祟りと思うよなぁ(平安時代には怨霊信仰があったとはいえ)。 極めつけは930年には清涼殿に落雷事故が発生って事件で、参内した役人が数名死去。そのショックで醍醐天皇は体調を崩して亡くなってしまう。 ・後に朝廷は道真の無実を認め、官位を与え(最終的に太政大臣・正一位)、道真の復権に務めたが、それを主導していたのは時平の弟で藤原氏の棟梁となった忠平 ・天満宮の総本山・太宰府天満宮、京都の天満宮の中では最大規模の北野天満宮も紹介。太宰府天満宮が建立された経緯も初耳もの。 ・道真が学問の神様となった経緯も江戸時代になり学問に秀でた道真にあやかろうと、いわゆる寺子屋では彼の肖像画を掲げて信仰する風習が広まったから・・ってのもへぇ~な内容。 彼の生涯は歴史の漫画で知ってましたけど、天神信仰につながった理由は初耳なネタが多かったですね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
Jan 21, 2021 06:49:29 AM
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