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カテゴリ:テレビ番組
今週の「the・プロファイラー」のお題はライト兄弟。
世界初の有人飛行に成功した二人の素顔に迫る内容。 まず二人の生い立ちを紹介。 父は巡回牧師で家を空けがちで母が面倒を見ていたが手先の器用さは母譲り。 高校を中退した兄弟は最初は印刷業・新聞屋を営んでたが後で自転車屋を経営。ある日ドイツのオットー・リリエンタールがグライダーを使って飛行実験を行なった末に事故死したことを新聞で知った兄弟は空を飛ぼうと決意し、大きな研究機関スミソニアン協会に手紙を贈り、飛行に関する資料を取り寄せてもらって飛行機を作ることに。 コメンテーターとして桂文珍と山瀬まみが登場。文珍氏はフライトジャケットを着て登場。 他の科学者・発明家もライト兄弟が飛行機の開発を決意した時期に国の援助を受けて飛行機の開発に取り掛かっていたが、二人はまずリリエンタールの著書を読み込むことに。鳥の観察を行い、最初は凧、グライダーを使って飛行実験を行った上でエンジン付きの飛行機を開発に取り掛かったが、飛行機のことになると兄弟喧嘩になったことも。個人で研究していたため、自転車屋で稼いだお金や父からもらった土地を売ったお金を研究費用に当てて研究。二人の身の回りの世話をしていた妹・スーザンも半ば呆れてたみたい。 スミソニアン協会のラングレー教授が二人の実験を見たいと希望したが、やんわりと断った。ラングレー教授の事をライバルと思ってたのだが、そのラングレー教授が発明したエンジン付き飛行機エアロドロームは墜落 1903年にキティホークでエンジン搭載の飛行機で飛行実験に取り掛かった二人。36m飛んだが、その現場を目撃したのは5人だけ。 有人飛行に成功した秘訣について岡田くんは父や妹の援助を受け、「ヲタク力で」有人飛行を成功させたってコメント。 文珍師匠は飛行機好きってことで専門用語も出してコメント。 最初のエンジン搭載飛行機よりも改良を重ねた新型を使って飛行を行ったが注目されず。他の発明家に研究を盗まれるのを恐れたから・・・だがエアロドロームの失敗もあって国も慎重にならざるを得なかったみたい。 で、アメリカでの売り込みに失敗したので飛行機の売り込みを行なったのはフランス。ウィルバーがフランスに向かったが、輸送中機体が大破していたため慎重になってしまい、滑走路のチェックも綿密に行ない、日没前になってようやく飛行に取り掛かり3km程飛んで皆の喝采を浴び、ヨーロッパ中を回って展示飛行を次々に成功に導き、故郷に凱旋。 営業まで自分自身で行なっていたことについて文珍師匠は研究結果を取られたくなかったからとコメント。 故郷に凱旋し、飛行機製造会社を設立したライト兄弟だが、飛行機の改良に時間を費やさず、特許を巡ってグレン・カーチスと裁判で争うことに。その心労が祟って兄・ウィルバーは死去してしまう。裁判で闘ってる最中に飛行機がどんどん改良されて、第一次世界大戦で本格的に戦争で飛行機が使用されるように。 特許を巡る裁判に疲れたのか、オービルは飛行機会社を辞めた上、空を飛ぶことも辞めてしまう。 裁判にエネルギーを使い果たした兄弟を山瀬まみは「もったいない」ってコメント。起業家の前田裕二は「発明だけじゃなく営業などもできると器用さが災いした(大意)」とコメント このお二方の言うことはごもっとも。特許に拘らずに飛行機の改良に力を注いでいれば良かったと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
Feb 8, 2021 09:44:33 PM
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