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Mar 23, 2021
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カテゴリ:読書・コミック
お題は大日本帝国憲法(明治憲法)の発布と日清戦争の話がメイン

大日本帝国憲法
憲法発布までの経緯としてまずは「明治14年の政変」を紹介。
工業化・富国強兵を推し進め古い体制を打破してきた日本。法律の整備が課題に。憲法をどうするかについての相違が起こした事件だが、参議の一人・大隈重信は国会開設を主張し、なおかつイギリス流(国民主権・議会の力が強い)の議会を開くべきと主張。この時福沢諭吉も共鳴していた・・・ってことと、大隈が意見書を有栖川宮熾仁親王に提出したが、熾仁親王は三条実美と岩倉具視に大隈の意見書を見せてしまったことから、伊藤博文らと対立することになる・・・って経緯は初めて聞く話。
 伊藤は天皇の名のもとに「国会開設の勅諭」を出し、天皇が定める形式の憲法(欽定憲法)を制定した上で10年後に国会を開くことを宣言。憲法制定の立役者の一人・井上毅のことを紹介。
憲法発布と前後して、軍の中心人物だった山県有朋が天皇の名のもとに制定した「軍人勅諭」のことが紹介。その中で山県は「軍人は政治に関わるべからず」と書いてるのだが、その一方で議会のコントロールから切り離したため、軍部が「軍隊は天皇直属機関」と主張し、軍が好き勝手して「大日本帝国」は滅んだんだから皮肉なもんですね。今では軍人(自衛官)は政治に関わっていないのはこの時の反省なんでしょうね。

不平等条約の改正
1858年に調印された「日米修好通商条約(安政5か国条約)」は日本にとって不利な「不平等条約」ってことで日本は改正のため努力をしていた訳だが「日米通商航海条約」の調印に至る道を紹介。
・憲法の制定は不平等条約改正のための一貫だった・・・という話から改正に至る道を紹介していくわけだが、井上馨を中心に「鹿鳴館」の建設、それに伴う「鹿鳴館外交」と呼ばれる外交が展開していたけどマナーがなっていなかったためイギリスには低評価だった(けど社交界のスターも生まれた)
・一度政府を追放された大隈重信も不平等条約の改正に関与していた・・・という話も登場。政府には一挙に条約改正を考えていた人が多数だったみたいだが、大隈は一気に条約改正は無理と判断。一つづつ解決しょうと考えていて最初は領事裁判権の撤廃と外国人判事の採用という妥協策を考えていた。でも外国人判事採用の件はイギリスのマスコミにバレたこと、1889年に大隈がテロに遭って重症を負った責任を取って黒田清隆が総理を辞任したため、大隈も外相を辞任するはめに・・・って裏は初耳
・憲法発布とともに開催された帝国議会。帝国議会は衆議院と皇族・華族で構成された貴族院とで構成されていたが、不平士族出身者の多い衆議院では政府の方針(特に増税)に反対していたので議会のコントロールに伊藤博文は苦労したこと、伊藤ら政府が考えていたのは富国強兵を更に推し進める方針だったから・・・ということと、1886年に清の北洋艦隊が日本にやってきて日本は清の脅威を知ることになったため軍備の拡張を急いだものの議会の抵抗に遭ってたので軍備の拡張に一苦労したしたため、明治天皇の権威を利用していた話も初めて聞く。
何度も伊藤は総理の特権「議会の解散権」を乱用したことも。
・領事裁判権の撤廃に成功したのは外相・陸奥宗光の外交によるものだが、その裏で起こった朝鮮問題、小さな事件のことは初耳。

日清戦争
日清戦争は朝鮮の権益を巡って衝突した戦争だが、戦争に至るまでの経緯・結果を紹介
・朝鮮は李氏朝鮮によって統治されていたが、鎖国を敷いている、西洋文化の受け入れ拒否と末期状態にあった。なんでそうなったのか・・・ってのは儒学の中でも排他的な朱子学に王侯はもちろんのこと、平民も毒されていたから・・・という背景があり「それでは駄目だ」と思った人が反乱を起こしたものの国政を牛耳っていた閔妃一派に鎮圧されていたという出来事があったことをまず紹介。日本は当時の皇帝の実父・大院君を担ぎ上げたうえで準備を整えて清に宣戦布告をした・・・という経緯については以前読んだ本で知ってたけど、戦争の経過については初耳なネタが多い。陸軍の悪癖「補給の軽視」が日清戦争の時代からあったとか、黄海の海戦での裏話などなど・・・

 1895年に日本と清は停戦条約を結んだが(下関条約)、その時交わされたのは
・清は朝鮮を独立国として認める
・賠償金2億両を支払う
・台湾・遼東半島・澎湖諸島を日本の領土とする
等であったが、ロシア・フランス・ドイツが日本に遼東半島を返還するように要求(三国干渉)。この件については情報統制を敷いていたが、海外特派員からの情報で国民は事実は伝わっていたとかの裏話も興味深い。

日清戦争後の清国と朝鮮
日清戦争で日本が清に大勝利したことで日本は列強の仲間入りを果たすが、清が末期的状態であることが暴露されることに。
・朝鮮が反日感情を強く抱く原因となった閔妃暗殺事件のあらましをまず紹介。日本人が閔妃を暗殺したことなのだが、閔妃は当時の朝鮮王朝の保守派代表で近代化を阻害する、開明派の中心人物を酷い手段で処刑、法外な浪費を繰り返すと近代化を阻む「ガン」ということが説明されてて、なかなか近代化しない朝鮮の状況を憂い、日本人の手で暗殺されたが、国王はロシア公使館に逃げ込んだという
下関条約で「清は朝鮮を独立国として認める」として、朝鮮は独立国となり、大韓帝国が建国。その記念として独立門が建てられたが、今の韓国人は「日本からの独立を祝って作られた」と思っている。
・清は日清戦争で日本に負けたのでこのままではいかんということで光緒帝を中心とした変法改革を行うものの、保守派の反対にあって幽閉され(戊戌の政変)、義和団の乱が起きる・・・ってのは世界史の授業で習う話だが、義和団の乱の裏みたいな話が紹介。義和団は「扶清滅洋」のスローガンを掲げ、外国勢力と戦うようになった。西太后は義和団の勢いを利用して八カ国(日本・ロシア・アメリカ・イギリス・ドイツ・フランス・オーストリア・イタリア)に対して宣戦布告。はっきり言って近代化がされていない清が列強に勝とうというのは無茶すぎな気がするのだが。
 八カ国の北京攻防で活躍した日本人・柴五郎の話が登場。北清事変で見事連合軍を指揮し、その時の活躍が認められて列強(特にイギリス)の心を掴んだ・・・って言う話は面白い。
・日本の領土となった台湾。原住民の反抗に遭ったりしているが、統治政策の一環で学校を作った・・・という話と台湾の教育に尽くした6人の教育者が殺され、その影響で台湾の人々の識字率は向上した・・・ってのは初めて聞く





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最終更新日  Apr 2, 2021 12:46:20 AM
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