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Sep 9, 2021
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カテゴリ:テレビ番組
今回の「にっぽん歴史鑑定」のお題は「渋沢栄一が見た!最後の将軍・徳川慶喜のその後」。
1867年に大政奉還、1868年に鳥羽・伏見の戦いから始まる戊辰戦争が起こり、朝敵とみなされた慶喜は水戸に蟄居しその後は静岡に。
将軍を辞してからは、政治的発言や、人と会うこともしようとしなかった慶喜だったが、
唯一、心を開いた人物がいた。慶喜が一橋家の当主だった時から仕えてきた渋沢栄一である。
その渋沢栄一から見た慶喜・・・という内容。

・静岡に引っ越した慶喜は政治的発言は控えて趣味に没頭。油絵、自転車などを楽しんだが、特に夢中になったのは写真撮影。当時の写真は感光板は30分以内に使い切る→30分以内に現像しないといけないというものだったが、難しいものほど挑戦しがいがあるということでかなり没頭していて屋敷周辺や静岡の風景を撮っていた。
・静岡に引っ越した慶喜は10男11女をもうけ、庶民の所に里子に出していたがこれは庶民の所で育てたら元気に育つから・・・という理由だった。
・1900年代になると東京に移住した慶喜。50代頃に健康を害し、万一を考え、最新の医療が受けられる東京に移住。明治天皇に謁見する機会を得た慶喜は爵位を授かったことから社交界で友人が増え、写真撮影が趣味の人が集まる会誌に写真を寄稿していたことも。
・明治35年(1902年)6月3日には公爵に叙せられ、徳川宗家とは別に徳川慶喜家を興している。
・渋沢は慶喜の伝記を編纂したいと思っていて、「昔夢会」を発足。こうして出来たのは「昔夢会筆記」。その中で大政奉還を決意した動機が佐幕派と倒幕派がぶつかって内乱が起こることを避けるためだったとか。

 明治維新後「最後の将軍」がどういう生活をしていたのかわかるお題でした。






最終更新日  Sep 9, 2021 12:06:17 AM
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