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11/10放送分の歴史探偵は「ハードボイルド応仁の乱」と題して応仁の乱を取り上げる
冒頭は「1467年、京の都は戦の炎に包まれた」と「北斗の拳」風のオープニングナレーションでスタート。ナレーションを担当したのは千葉繁さんでタイトルロゴも北斗の拳のパロが炸裂。 応仁の乱といえば戦国時代の幕開けと位置づけられている内乱で11年も続いたが、なぜ終戦するのに11年かかったかを分析する 「応仁の乱」の発端は将軍家の跡取り問題。政治能力に難があった将軍・足利義政は出家していた弟・義視を跡取りに指名したものの、翌年に妻の日野富子が男子(義尚)を生むと富子は義尚を将軍にしたいという思いを抱くようになり、有力守護大名の山名宗全に接近。義視の後見人には管領の細川勝元が付いていたが、宗全と勝元の権力闘争に。さらに三管領の畠山氏・斯波氏でも跡目争いが起こり、それが絡んでくる・・・というのが背景にあり、畠山氏の政長と義就が争った「御霊林の合戦」を前哨戦とし、本戦になだれ込んでいく。 守護大名が京になだれ込んで激しい戦いが繰り広げられ、京は焼け野原に。1473年に勝元と宗全が死去しても争いは終わらず・・・というのは今まで放送された「応仁の乱」を取り上げた歴史番組でも取り上げられていたけど、今回は応仁の乱で登場した「足軽」をメインに乱を分析していく内容。 応仁の乱では正規の武士ではない「足軽」を東軍・西軍双方は雇ったが、足軽は実質無法者の集まりで給料は出なかったが、略奪行為が認められていておりそれを描写した(誇張した絵で)映像内では千葉さんのアドリブがさく裂。北斗の拳パロが満載だった。 足軽は食料や金だけじゃなく、建物を壊して木材などを盗んだり、盗んだ建て材で櫓や屋敷の強化のために使用していたという話が登場。足軽はゲリラ戦で敵をかく乱したり、状況が変われば寝返りを平然と行っていた。 鉄砲伝来は1543年だが、応仁の乱の時期に火縄銃の原型が使われていたという話も登場。 城の原型は洛中で足軽が行うゲリラ戦に対抗するため、屋敷に堀や櫓を構えたこと、それが発展して総構が誕生した・・・という話は初耳 洛中での内戦が終わると足軽は何をしていたのかという話が最後に登場。京以外のところで略奪行為を行っていたという記録が。 足軽が誕生したのは応仁の乱のころ・・・は知ってたものの、どんな活躍をしていたのかがわかるお題でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
Nov 21, 2021 12:11:00 AM
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