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カテゴリ:テレビ番組
今回のアナザーストーリーズのお題は金閣寺炎上。
1950年7/2未明に金閣寺が炎に包まれ炎上。犯人は金閣寺で修行していた見習い僧侶。 犯人の動機を「美への嫉妬」と分析した三島由紀夫は「金閣寺」を書き上げたが、関係者の視点で金閣寺炎上事件を分析するというもの 第1の視点 放火犯の林養賢の生い立ちと共に修行していた人、幼馴染の証言がメイン。 林は京都府舞鶴市の小さなお寺の住職の息子。父のコネで金閣寺の村上慈海氏のもとに預けられ、大谷大学に通いながら修行を送る毎日だったがその時の話が登場 幼馴染の証言:母が所謂教育ママだったので林には友人があんまりいなかったと証言 大学の友人・鈴木氏の証言:吃音症だったため母と反りが合わない事を林がこぼしたこと、母は林に住職になって欲しかったため、一度故郷に帰ったとき、母に拒絶されてしまったことが語られる。母親に過剰な期待を寄せられてそれがプレッシャーとなってしまうところは昔にもあったんだなぁと感じる 学校を休みがちになり、成績は最下位になったとき住職に呼ばれたと証言している。成績が落ちてしまった林を説得した時のエピソードも語ってる。 事件の2週間ほど前から林は本など身の回りのものを売ってまとまったお金を手に入れており、放火に使うものを購入したり、遊郭に遊びに行ったことが判明。 7/2日に金閣を焼く計画を実行に移した林だが、炎の勢いが強かったのか林は急に怖くなって金閣を飛び出し左大文字山に逃げ込み、カルモチンを飲み切腹しようとしたが死にきれず逮捕。度々供述が出てくる。 動機としては ・金閣の「美しさ」に嫉妬した ・世間をあっと言わせたかった ・寺の関係者(師事していた僧侶や事務方の担当者)に対する怨恨 が挙げられるが真意ははっきりせず。 息子に会いに母が西陣署にやって来たが、林は拒絶。母は大江に帰る最中保津峡で投身自殺。鈴木氏は林が母を拒絶した時の話を証言している。 林は放火事件から6年後に結核のため死去している。 第2の視点 金閣寺炎上はラジオや新聞で取り上げられ、日本中が騒然となったが、三島由紀夫と水上勉はこの事件を題材にした本を執筆。金閣寺を題材にした創作を分析。 三島由紀夫:「金閣寺」の構想メモが発見されたので構想メモを紹介。 「金閣寺」執筆時の三島の心理を内海健(精神科医)が分析。三島は実感を持てない人と分析。現実と自分の間に隔たりがあって実感がわかない、戦後日本は劇的に復興したが、三島はつまらなさを感じていたと分析。三島は「お国のため」に死のうと考えていたが、誤診が原因で出征できなかったこと、戦後に対する虚しさを抱えていた・・・ってのはわかってたけど、三島がいうことって一理あるんですよね。戦争が終わってからの日本は牙をもがれたこと、日本人は平和ボケしてしまったんですから。 水上勉:放火事件の新聞記事を興奮して読んでいた、自分の故郷が林の故郷と近かったこと子供の頃禅寺で修行した経験と似ていたことがまず紹介。 水上は事件からかなり経ってから「金閣炎上」というノンフィクションを書いている。晩年水上が住んでいた山荘には関連資料が残されており、最初は客観小説として書いていたがノンフィクションに変更。ノンフィクションなのに林に会ったことがあるというエピソードを入れた事についてつながりを持たせるためではないかと研究者は述べている 第3の視点 金閣寺再建に奔走した住職・村上慈海氏の視点。 弟子が金閣に放火したため「弟子の教育がなってない」などと批判されたり、小説「金閣寺」でも金と女に溺れる俗物として書かれていたため評価は低い。実際どんな人だったのかを分析。 まずは村上住職がNHKの取材に答えた時の肉声が紹介され、吉岡忍氏、事件後村上住職の弟子となった人が登場 村上住職は水上氏の作品でもケチと揶揄されているが、京都の禅寺で修行経験があった玄侑宗久氏は水上氏の評価を違和感があると述べている 事件後、村上住職は多くを語らず自ら托鉢に向かうように。最初は人々の目は冷ややかだったが、次第に考えを改めるようになり、再建が実現。 三島由紀夫の「金閣寺」を読みましたが、「私」=溝口に仮託して林養賢が持っていたコンプレックス、戦後の退廃感を感じられますが、三島が抱えていたある種の「厭世観」は感じなかったなぁ。 「金閣寺」感想 金閣炎上(新潮文庫)【電子書籍】[ 水上勉 ] お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
Nov 26, 2021 10:34:10 PM
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