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テレビ番組

Aug 30, 2019
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カテゴリ:テレビ番組
今週のヒストリアは現在東京で開催されている三国志展にちなんで三国志。
三国志の裏側を紹介する内容で「三国志」には「正史 三国志」「三国志演義」があること、をまず紹介し、中国で製作された三国志のドラマの映像を交えて「三国志」の裏を紹介する内容

曹操の真実
横山三国志など三国志を扱った創作ものでは大概悪役として描かれる曹操だが、実際はどんな人物だったのかを検証。
曹操は文武両道の人で暇さえあれば読書をしていて愛読書は「孫氏」だったとか。曹操が軍略で使用していた地下道、後漢末期に開発された投石器を紹介。

赤壁の戦い
 「三国志」のハイライト赤壁の戦いをスピードワゴン・小沢が古戦場を訪問。赤壁で活躍した呉の周瑜の石像、赤壁の時に使用された軍船の模型を紹介。後漢末期に大きな船が作られたってのは初耳。
孔明が祈りをささげたという祭壇も紹介。横山三国志で孔明が風を呼ぶ儀式を行ったところ風が吹き荒れ、火計は成功した・・って展開だったが、実際は孔明は地元の人から天候を学んだから強風が来るってことを知ったからってのは初耳だなぁ

諸葛亮孔明の真実
昔NHKで放送された人形劇「三国志」のスタッフが集結し「三顧の礼」「玄徳の死」「秋風五丈原」のシーンを再現。
さらに孔明の功績、孔明の子孫が住むと言われる村を紹介。
蜀の皇帝となった玄徳だが、関羽・張飛の死から蜀には暗雲が・・・夷陵で蜀が大負けしてから心労から玄徳は病にかかる。玄徳は死の間際孔明に「息子劉禅が暗愚なら孔明が皇帝になってほしい」と遺言したが、遺言の裏を検証するところも登場。玄徳の遺言の裏は孔明は蜀の人事権を握っていたので玄徳にとっては脅威と映っていたので、忠誠心を試すために言ったのでは?と研究家はコメントされていました。


【中古】 人形劇 三国志 全集 1 /立間祥介,川本喜八郎(人形美術),細野晴臣(テーマ曲),谷隼人,石橋蓮司,森本レオ,せんだみつお,三谷昇 【中古】afb
NHKで放送された人形劇。テーマ曲は細野晴臣が担当。実際に使われた人形は今でも残っている。


【中古】 三国志(一) 星海社文庫/吉川英治(著者),土林誠(その他) 【中古】afb
三国志小説の決定版で横山三国志は本作をコミカライズした内容。


【中古】文庫コミック 三国志 全30巻完結セット(文庫版)専用箱入り / 横山光輝【中古】afb
吉川英治の「三国志」を基に横山氏独自のアレンジを加えたことで今でも語り継がれる名作。
殿の「げぇっ!関羽!」、仲達の「待て、慌てるなこれは孔明の罠だ」などはネットのスラングで取り上げられるほど


【中古】アニメDVD 横山光輝 三国志 全12巻セット
原作は蜀の滅亡で終わってるがアニメでは赤壁で終了している。
劇伴をFENCE OF DEFENSEの西村麻聡、OP・ED(後期)はFODが担当しているが、三国志にはロックが似合うって図式になったのはこの作品から?
前期OP「時の河」、後期OP「DON't LOOK BACK」は名曲。


蒼天航路(1) (講談社漫画文庫)/王 欣太 (著), 李 學仁 (企画・原案) 【中古】
三国志を扱った創作物では大概悪役として描かれる曹操を主役に据えた三国志コミック。
途中でシナリオ担当の李學仁が亡くなったため王 欣太 単独で書かれた。
この作品もアニメ化しているがOPが横山三国志のものと違って歌詞が不明瞭。






最終更新日  Sep 2, 2019 07:49:08 PM
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Aug 14, 2019
カテゴリ:テレビ番組
今回の「にっぽん歴史鑑定」は今は終戦記念番組ということで玉音放送をめぐる話。
1945年(昭和20年)8月15日、日本は「ポツダム宣言」を受けて無条件降伏することになったが、その時の「玉音放送」をめぐる話が今回のお題。

 太平洋戦争末期・・・ミッドウェー海戦を機にアメリカに負けてばかりの日本。1945年8/6には広島に、8/9日には長崎に原爆が落とされ政府は本土決戦か無条件降伏を受けるかを御前会議で決めたわけだが、玉音放送が放送されるまで天皇陛下・周辺では何が起こっていたのかを紹介。
 無条件降伏を決めた天皇陛下の玉音をレコードに吹き込んだが、本土決戦を望む陸軍の一部が玉音放送をさせないための妨害工作・クーデターを行っていた。でも玉音放送のレコードは見つからない。実は侍従が周囲にレコードの場所は教えないうえで無造作に自分の仕事場に(小型の金庫に入れて)置いていた。
 放送12時間前にもラジオ局、軍内部でも放送をめぐる攻防戦が繰り広げられており、クーデターの首謀者が本土決戦を望む理由をラジオでアピールしようとしたがラジオ局の人から拒否されたこと、軍関係者の自殺と重厚なドラマが描かれていた・・って話は興味深いが、玉音放送の中身は小難しいので、感動はしないんですよねぇ






最終更新日  Aug 17, 2019 12:49:26 AM
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Jul 23, 2019
カテゴリ:テレビ番組
今回の「にっぽん歴史鑑定」のお題は徳川家光と保科正之。
小督は秀忠に側室を持つことをよしとしなかったほどだったのだが、侍女に手をつけて生まれた「ご落胤」として生まれ、家光が彼の存在を知ったことから重臣として重用されたのだが彼の名君ぶり、家光との絆を紹介する内容

・秀忠との「ご落胤」として生まれ、浪人の子供として育てられた正之は長じてからは保科家の養子になったが、義父は正之に徹底した教育を受けたのだが、目黒のお寺に休憩に来た家光が弟の存在を知り、正之に対面したところ将軍の弟だが、臣下とわきまえたり、将軍家の縁者か功績のある家臣に許された松平姓を下賜すると言われたが正之は固辞したりと謙虚な態度を取ったので家光は正之を一層気に入った。忠長よりも正之を可愛がったのは謙虚な態度を取ったし、自分自身病弱だったため秀忠と小督からは愛情を受けなかったところと重ね合わせてたのでは?と専門家は評価された
・以来将軍家を支えることになり、領地に帰ることはなかったが、会津に領地替えになった折、領国経営に乗り出し、領民を優先した政策(米を飢饉などに備えて備蓄)を取ったため、飢饉が起こった時は餓死者を出さなかった。
・家光が亡くなる寸前、将軍が着用する着物を譲り受けたが、将軍と同格ということを暗に示していた(後継ぎの家綱が幼かったため)
幕府の政策を武断政治から文治政治に変えたのは正之が中心となっており、
・末期養子の解禁=今までは後継ぎがいなかったら改易・・だったが、藩主が末期に備えて養子を取ることを許した
・殉死の禁止=殉死は以前は美徳とされていたが、有能な人材が亡くなるのは惜しいということで廃止。
・明暦の大火の時、被災者に対して粥をふるまった、幕府の御金蔵を江戸復興のために使った。
・江戸城に天守閣がないのは正之が言い出した。もう戦はないので天守なぞ無用の長物だといったため
晩年に家訓を残しており、その中に「「大君の儀、一心大切に忠勤に励み、他国の例をもって自ら処るべからず。若し二心を懐かば、すなわち、我が子孫にあらず 面々決して従うべからず。」とあるが、徳川に忠誠を誓うようにということで、幕末まで徳川に対する忠誠を誓ったわけですね。

保科正之については「逆説の日本史」でも取り上げられていたんですが、触れられていないところも知るところが出来ました






最終更新日  Jul 24, 2019 01:23:14 AM
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Jul 22, 2019
カテゴリ:テレビ番組
今回見たのは「三島由紀夫X川端康成 運命の物語」。日本人初のノーベル文学賞を取った川端康成と実はノーベル賞候補だった三島由紀夫がお題。この二人は師弟関係にあったが、実は確執もあった?な内容。進行役は舞台演出家の宮本亜門。

・三島は父親は官僚で学習院にも行っていたほどの秀才、川端は医師の家に生まれたものの、幼くして天涯孤独になったと生まれも対照的。
・三島由紀夫と親交があった瀬戸内寂聴(得度前は晴美)、三島の研究をしている芥川賞作家の平野啓一郎と言った関係者も登場
瀬戸内は初めて三島に会った時の事をまず告白。自分の作品を酷評(誉め言葉として)された
・川端がノーベル賞を取った時の話として三島は川端がノーベル賞を取った時は真っ先に駆けつけてお祝いに行ったが、三島もノーベル賞候補で、「細雪」で知られる谷崎潤一郎も候補だった
三島がノーベル賞を取れなかったことについて瀬戸内寂聴が川端との間に確執があったと証言。
・宮本亜門が三島が自決した場所・市ヶ谷駐屯地を訪れる場面も登場
・三島は市ヶ谷駐屯地で自衛隊に対し、クーデターを促す演説を行ったあと、切腹して果てたが、三島の死を知った川端は「もったいない死に方をしたものです」とコメント、三島の葬儀には葬儀委員長を務めたが、川端も2年後にガス自殺。持病を抱えててその苦悩ゆえの自殺だったと言われてるが有名作家の成功の裏を知った気がする。






最終更新日  Jul 28, 2019 06:43:54 AM
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Jun 29, 2019
カテゴリ:テレビ番組
今回見た「にっぽん歴史鑑定」のお題は平安貴族の私生活。
ある中級貴族の生活様式を紹介する形で構成されている。

平安時代(中期)は遣唐使の廃止から中国風の模倣から日本独自の国風文化が形成され、仮名文字の発明、女流作家の台頭と文化面で華やかな時代となっていたが、平安貴族はどんな生活をしていたのかを紹介。
・お役人の朝は早いということで午前4時30分に起床し、洗顔・食事と現代人がすることとは別に占いをし、吉凶を占う。結果が良くなければ「物忌み」として一日中家に引っ込む・しかし、もう一度占ってみて吉が出れば出勤する
・中級の貴族でもそこそこの収入を得ていたってことが判明。
・お役人のお役所勤めは午前中だけで午後からは囲碁・将棋をしたり、馬や弓術を行って遊んでいた・・けど、年中行事で必要な教養を身に付けるためだった。
平安貴族の男性は漢詩ができること、女子は琴、和歌、古今和歌集を覚えていることを最低限の教養とされていた・・ってのは知ってたけど、さらに詳しくわかって面白い
・結婚は実際に結婚するまでは相手の顔を知らないまま付き合うことになる、意中の女性がいればラブレターを送ってアタック。返事が来なければフラれ、返事が来れば何度か逢瀬を重ねてうまくいけば結婚・・って流れ。昔は一夫多妻制ってことで結婚しても別居していた。
相手の顔を知らないまま付き合ってゴールインってことで「源氏物語」の末摘花の巻のようにアタックした女性はブサイクだった・・・ってこともある。
・葬式の件でも喪に服す・・って所は現代でも一緒。でも行事に参加しないとかの制約を受けていた。
平安時代の貴族の暮らしは詳しく知らなかったので今回のお題は面白かったですね。






最終更新日  Jul 14, 2019 03:32:15 PM
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Jun 26, 2019
カテゴリ:テレビ番組
本日は池上彰がMCを務める「池上彰の現代史を歩く」を視聴。
今回のお題は日本初のハイジャック事件「よど号ハイジャック事件」。

1960年代末は学生運動が盛んになり、その中でも過激な組織だったのは暴力革命・帝国主義・資本主義排除を掲げた赤軍派。1970年羽田空港発板付空港(現・福岡空港)行きの日本航空351便(ボーイング727-89型機、愛称「よど号」)が赤軍派を名乗る9人(以下、犯人グループ)によってハイジャックされた。犯人グループは朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)へ亡命する意思を示し、同国に向かうよう要求した。よど号は福岡空港と韓国の金浦国際空港での2回の着陸を経たあと、4月3日に北朝鮮の美林飛行場に到着。犯人グループはそのまま亡命。日本初のハイジャック事件として知られており、この事件を機にテロ・ハイジャック対策が強化されるようになる。

・冒頭は日本で起こったハイジャック事件を軽く紹介してからよど号ハイジャック事件を紹介。事件は再現ドラマを交えて紹介。
当時飛行機に乗れるのはある程度お金を持ってる人しか乗れず、初任給が3万円台に対し、飛行機代は1万円少々とお給料の1/3ほど飛ぶほど高価だった。
犯人グループは事件を起こす前に「われわれは明日、羽田を発(た)たんとしている。われわれは如何なる闘争の前にも、これほどまでに自信と勇気と確信が内から湧き上がってきた事を知らない。……最後に確認しよう。われわれは明日のジョーである」と言った
実行犯は有名大学出身のエリート。学生運動・安保闘争に参加した学生も有名大学出身のエリートだったからなぁ
・赤軍の目的は暴力革命を成功させた暁には国会議事堂乗っ取りを企んでおり、その前に北朝鮮で軍事訓練を受け、訓練が終われば日本へ帰って暴力革命を実行するつもりだった。
・今のテロ・ハイジャック対策はどうなっているのかを紹介。今ではX線で中身を確認する際、カラーでなおかつケースに入っているものさえも見えるという風になっていた。飛行機に乗りたいと思わないが最新の防犯システムがどうなっているのかってのは面白かった話題
・まんまと北朝鮮の亡命に成功した犯人グループ。北朝鮮にたどり着いた直後の秘蔵写真を紹介されていた。
・犯人グループは北朝鮮に亡命したあとどうしているのかってことで直撃取材。犯人グループは平壌外れの日本人村で生活しており、本当なら禁止されている外国(特に日本)のニュースやHp閲覧を許されている、日本の食事ができるとある程度の待遇を受けていた。本人らは国際指名手配されているが帰国を望んでるとのこと。共産主義がほぼ全滅しているのに今更帰ってもなぁ・・・






最終更新日  Jun 28, 2019 06:31:52 AM
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Jun 13, 2019
カテゴリ:テレビ番組
今回の「にっぽん歴史鑑定」のお題は「古墳はなぜ作られたのか」?
仁徳天皇陵を含めた古墳群が世界遺産に登録された記念として放送?

古墳時代は「お墓ブーム」な時代ということで古墳がたくさん作られたわけですが、古墳の建築方法、古墳の種類をまず紹介。
 古墳は近畿地方に集中しているが、東の方にも小規模だが古墳が存在。東の古墳紹介では古墳好きの歌手が古墳を紹介する場面が登場。その時の女性の衣装で古墳の良さをアピール
 奈良にある石舞台古墳がなぜ石室が晒されている状態になってるのかって話は面白い話でした。
 7世紀になると古墳に関する律令が定められたため近畿では古墳が作られなくなるが、東国では作られていた・・って話も面白かったなぁ






最終更新日  Jul 22, 2019 12:11:44 AM
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Jun 10, 2019
カテゴリ:テレビ番組
本日見たTVは30年前に起こった中国の天安門事件。
民主化を求めるデモは、民主化支持者だった胡耀邦元総書記の死がきっかけとなった。胡耀邦の葬儀までに、政治改革を求める学生を中心に約10万人の人々が天安門広場に集まったが政府は軍隊を使って鎮圧したがその裏に迫る内容。

事件で息子を失った母親、元共産党幹部、実際に学生運動に参加した人、事件当時鎮圧する側の軍隊に在籍していた人の証言が中心。

息子を天安門事件で失った張先玲さんが息子の墓参りをしているところとか、遺族のサークルを介して真相究明を政府に要求してるものの政府からは拒否されてる。日本の日航機123便墜落事故も遺族が真相を明かしてくれと言ってるものの、国が「事件は解決した」と思ってる、関連資料を処分したって言うからそれと似たものか?

元共産党幹部が上層部の会議の状況を証言。事件が起こった裏としては共産党内の改革派と保守派との激しい衝突があって保守派が社報で民主化を求める人々を煽るような記事を書いたことで民主化の芽と改革派をつぶしたってことがわかった。

実際に運動に参加した人の証言。ノーベル賞を取った劉暁波氏も運動に参加していており、参加した知識人は暴動を沈めようとしていたことを証言
天安門広場周辺で何が起こったのか、実際事件に遭遇した人々にも取材を敢行。軍隊が有無を言わさず戦車で学生らをひき殺した、次々と死者を見たと証言。威嚇だけ
鎮圧する側だった軍に在籍していた人も登場。上司が市民に銃を向けることに抵抗したが更迭されたため仕方なく実力行使に出たということを証言。人を守るための軍隊が同胞を殺すことは国守るためには仕方ないと思う。

中国は天安門事件のもみ消しを謀ってるが、嫌なもの、忘れたいものはもみ消したいのはわかるが共産党の正義を正当化するためだろうなぁ。確かに中国は経済面では資本主義風を採用して成長を遂げてるが、言論・思想統制は相変わらずでネット検閲は当たり前で中国政府は天安門事件に関する話題は統制するという姿勢を取り、20代の人は天安門事件の事は知らないという状態で共産党の言論・思想統制は恐ろしいが、国を強くするためには言論・思想統制は必要だと思う






最終更新日  Jun 13, 2019 09:38:15 PM
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Jun 6, 2019
カテゴリ:テレビ番組
今回見たヒストリアのお題は後白河上皇と三十三間堂
三十三間堂は東山七条にあり、お正月には「通し矢」の行事に千手観音像が千体あることで知られる三十三間堂の知られざる裏を紹介。

 昔三十三間堂に連れてってもらい、千手観音が千体も並んでる姿に驚いた記憶がありますが、後白河上皇は何を思い、蓮華王院・三十三間堂を建てたのかを考察。
 後白河天皇は親王時代は和歌ではなく、今様(今でいう流行歌)を好み、ハマりすぎたため喉をつぶしたことがあるって話が登場。後に源氏と平氏を巧みに操り、頼朝に「日本国第一の大天狗」と言われたが、今様にハマりまくっていたため鳥羽法皇に「天皇の器ではない」と嘆かれていた。後白河が歴史の表舞台に立ったのは異母弟の近衛天皇が早死にし、崇徳上皇を牽制したい鳥羽法皇の意向で天皇に即位したことから歴史の表舞台に立つことに。
天皇になっても今様を好み、のちに今様の歌集「梁塵秘抄」を著すほどだったが、庶民の生活も身近に見ていたって話も登場。

三十三間堂は一度燒けて鎌倉時代に再建されてるが、最近の研究で今の仏像の配置が当時と異なっていたことが判明し、当時の状態に仏像を移動をしたって話が登場。これを見るとまた見に行きたくなったなぁ






最終更新日  Jun 20, 2019 08:04:12 AM
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Jun 5, 2019
カテゴリ:テレビ番組
にっぽん歴史鑑定5/27日放送分のお題は新元号にちなんで万葉集。
日本最古の歌集として知られる万葉集がどのように成立したのか、編纂者と言われる大伴家持の生涯を紹介。

万葉集の方は初期・中期・後期に分け、代表的な歌人と和歌を紹介。
・防人として太宰府に行った人の和歌、防人の妻の和歌、山上憶良の「貧窮問答歌」は庶民の生活、貧困さを詠んでいて生活感を感じる。(「貧窮問答歌」は小学館の歴史の漫画でも取り上げられていたが)
・安田靫彦の絵でも有名な額田王と大海人皇子の恋の歌が面白い内容で大海人皇子の方が未練タラタラだったとか中臣鎌足が采女(お妃候補の女性)と仲良くなれたとかユニークな和歌があることが判明。
・「万葉集」が完成したときはひらがなは存在せず、万葉仮名が使用されていたが、漢字を組み合わせて書かれていた。読みづらいため、平安時代になると読める人がいなかった。そのため、後年翻訳された。「三五月」と書いて「十五夜」と読ませたりしていた。そりゃ読めないわな。
・大伴家持は古くから朝廷に仕えた家系で国司として各国を転々とし、太宰府にも行ってるということで防人の歌を万葉集に組み込んだと思われることが判明。
・・・と「万葉集」は詳しく知らなかったので面白い回でした。






最終更新日  Jun 20, 2019 08:04:49 AM
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