2410278 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

COLONYの裏側

PR

X

全554件 (554件中 1-10件目)

1 2 3 4 5 6 ... 56 >

テレビ番組

Nov 24, 2021
XML
カテゴリ:テレビ番組
今回のアナザーストーリーズのお題は金閣寺炎上。
1950年7/2未明に金閣寺が炎に包まれ炎上。犯人は金閣寺で修行していた見習い僧侶。
犯人の動機を「美への嫉妬」と分析した三島由紀夫は「金閣寺」を書き上げたが、関係者の視点で金閣寺炎上事件を分析するというもの

第1の視点
放火犯の林養賢の生い立ちと共に修行していた人、幼馴染の証言がメイン。
林は京都府舞鶴市の小さなお寺の住職の息子。父のコネで金閣寺の村上慈海氏のもとに預けられ、大谷大学に通いながら修行を送る毎日だったがその時の話が登場
幼馴染の証言:母が所謂教育ママだったので林には友人があんまりいなかったと証言
大学の友人・鈴木氏の証言:吃音症だったため母と反りが合わない事を林がこぼしたこと、母は林に住職になって欲しかったため、一度故郷に帰ったとき、母に拒絶されてしまったことが語られる。母親に過剰な期待を寄せられてそれがプレッシャーとなってしまうところは昔にもあったんだなぁと感じる
学校を休みがちになり、成績は最下位になったとき住職に呼ばれたと証言している。成績が落ちてしまった林を説得した時のエピソードも語ってる。

事件の2週間ほど前から林は本など身の回りのものを売ってまとまったお金を手に入れており、放火に使うものを購入したり、遊郭に遊びに行ったことが判明。

 7/2日に金閣を焼く計画を実行に移した林だが、炎の勢いが強かったのか林は急に怖くなって金閣を飛び出し左大文字山に逃げ込み、カルモチンを飲み切腹しようとしたが死にきれず逮捕。度々供述が出てくる。
動機としては
・金閣の「美しさ」に嫉妬した
・世間をあっと言わせたかった
・寺の関係者(師事していた僧侶や事務方の担当者)に対する怨恨
が挙げられるが真意ははっきりせず。
 息子に会いに母が西陣署にやって来たが、林は拒絶。母は大江に帰る最中保津峡で投身自殺。鈴木氏は林が母を拒絶した時の話を証言している。
 林は放火事件から6年後に結核のため死去している。

第2の視点
金閣寺炎上はラジオや新聞で取り上げられ、日本中が騒然となったが、三島由紀夫と水上勉はこの事件を題材にした本を執筆。金閣寺を題材にした創作を分析。
三島由紀夫:「金閣寺」の構想メモが発見されたので構想メモを紹介。
「金閣寺」執筆時の三島の心理を内海健(精神科医)が分析。三島は実感を持てない人と分析。現実と自分の間に隔たりがあって実感がわかない、戦後日本は劇的に復興したが、三島はつまらなさを感じていたと分析。三島は「お国のため」に死のうと考えていたが、誤診が原因で出征できなかったこと、戦後に対する虚しさを抱えていた・・・ってのはわかってたけど、三島がいうことって一理あるんですよね。戦争が終わってからの日本は牙をもがれたこと、日本人は平和ボケしてしまったんですから。

水上勉:放火事件の新聞記事を興奮して読んでいた、自分の故郷が林の故郷と近かったこと子供の頃禅寺で修行した経験と似ていたことがまず紹介。
 水上は事件からかなり経ってから「金閣炎上」というノンフィクションを書いている。晩年水上が住んでいた山荘には関連資料が残されており、最初は客観小説として書いていたがノンフィクションに変更。ノンフィクションなのに林に会ったことがあるというエピソードを入れた事についてつながりを持たせるためではないかと研究者は述べている

第3の視点
金閣寺再建に奔走した住職・村上慈海氏の視点。
弟子が金閣に放火したため「弟子の教育がなってない」などと批判されたり、小説「金閣寺」でも金と女に溺れる俗物として書かれていたため評価は低い。実際どんな人だったのかを分析。
まずは村上住職がNHKの取材に答えた時の肉声が紹介され、吉岡忍氏、事件後村上住職の弟子となった人が登場
 村上住職は水上氏の作品でもケチと揶揄されているが、京都の禅寺で修行経験があった玄侑宗久氏は水上氏の評価を違和感があると述べている
 事件後、村上住職は多くを語らず自ら托鉢に向かうように。最初は人々の目は冷ややかだったが、次第に考えを改めるようになり、再建が実現。
 
 三島由紀夫の「金閣寺」を読みましたが、「私」=溝口に仮託して林養賢が持っていたコンプレックス、戦後の退廃感を感じられますが、三島が抱えていたある種の「厭世観」は感じなかったなぁ。

「金閣寺」感想


金閣炎上(新潮文庫)【電子書籍】[ 水上勉 ]






最終更新日  Nov 26, 2021 10:34:10 PM
コメント(0) | コメントを書く


Nov 15, 2021
カテゴリ:テレビ番組
11/10放送分の歴史探偵は「ハードボイルド応仁の乱」と題して応仁の乱を取り上げる

冒頭は「1467年、京の都は戦の炎に包まれた」と「北斗の拳」風のオープニングナレーションでスタート。ナレーションを担当したのは千葉繁さんでタイトルロゴも北斗の拳のパロが炸裂。

応仁の乱といえば戦国時代の幕開けと位置づけられている内乱で11年も続いたが、なぜ終戦するのに11年かかったかを分析する

「応仁の乱」の発端は将軍家の跡取り問題。政治能力に難があった将軍・足利義政は出家していた弟・義視を跡取りに指名したものの、翌年に妻の日野富子が男子(義尚)を生むと富子は義尚を将軍にしたいという思いを抱くようになり、有力守護大名の山名宗全に接近。義視の後見人には管領の細川勝元が付いていたが、宗全と勝元の権力闘争に。さらに三管領の畠山氏・斯波氏でも跡目争いが起こり、それが絡んでくる・・・というのが背景にあり、畠山氏の政長と義就が争った「御霊林の合戦」を前哨戦とし、本戦になだれ込んでいく。
 守護大名が京になだれ込んで激しい戦いが繰り広げられ、京は焼け野原に。1473年に勝元と宗全が死去しても争いは終わらず・・・というのは今まで放送された「応仁の乱」を取り上げた歴史番組でも取り上げられていたけど、今回は応仁の乱で登場した「足軽」をメインに乱を分析していく内容。

 応仁の乱では正規の武士ではない「足軽」を東軍・西軍双方は雇ったが、足軽は実質無法者の集まりで給料は出なかったが、略奪行為が認められていておりそれを描写した(誇張した絵で)映像内では千葉さんのアドリブがさく裂。北斗の拳パロが満載だった。
 足軽は食料や金だけじゃなく、建物を壊して木材などを盗んだり、盗んだ建て材で櫓や屋敷の強化のために使用していたという話が登場。足軽はゲリラ戦で敵をかく乱したり、状況が変われば寝返りを平然と行っていた。
 鉄砲伝来は1543年だが、応仁の乱の時期に火縄銃の原型が使われていたという話も登場。
城の原型は洛中で足軽が行うゲリラ戦に対抗するため、屋敷に堀や櫓を構えたこと、それが発展して総構が誕生した・・・という話は初耳
 洛中での内戦が終わると足軽は何をしていたのかという話が最後に登場。京以外のところで略奪行為を行っていたという記録が。

足軽が誕生したのは応仁の乱のころ・・・は知ってたものの、どんな活躍をしていたのかがわかるお題でした。






最終更新日  Nov 21, 2021 12:11:00 AM
コメント(0) | コメントを書く
Nov 4, 2021
カテゴリ:テレビ番組
今週のアナザーストーリーズのお題はピカソの名画「ゲルニカ」。

<背景>
1936年7月には第二共和政期のスペインでスペイン内戦が勃発し、マヌエル・アサーニャ率いる共和国軍とフランシスコ・フランコを中心とした反乱軍が争った。1934年にスペインを離れてフランス・パリに在住していたスペイン人画家パブロ・ピカソは共和国政府を支持しており、1937年1月にはフランコを風刺する内容の詩『フランコの夢と嘘』を著し、後には詩に添える銅版画を製作していた。この銅版画でフランコは怪物の姿として描かれており、売られた絵葉書の収益は共和国政府の救援資金となった。スペイン内戦中の1937年1月、共和国政府は在フランスのスペイン大使館を経由してピカソにパリ万国博覧会のスペイン館を飾る壁画の製作依頼を行った。当初ピカソは別のテーマに基づいた作品を制作する予定だったが、1937年4月26日にフランコと組んだナチスがスペイン・バスク地方のゲルニカを無差別爆撃したことからゲルニカ爆撃を題材にした本作を制作。完成してからはパリ万博を始めとしてヨーロッパ各国で展示されたが、最初は一部の知識人以外には評価されなかった。

<ギャラリーオーナーの視点>
「ゲルニカ」はパリ万博を始めとしてヨーロッパ各地で展示されたが、ピカソの故郷・スペインには戻らず、ニューヨーク近代美術館に展示された。これは「フランコ政権が終わるまでスペインに渡さない」というピカソの意向が働いていたから。フランコ存命時、ピカソに「ゲルニカ」の返還を求められたが上記の理由でスペインには返還されなかった。
ピカソの絵画を展示していたギャラリーオーナーエルヴィラ・ゴンザレスの視点がまず登場。スペインの人々は「ゲルニカ」の素晴らしさを知っていたから、なぜ「ゲルニカ」はスペインにないのかと常々考えていた。オーナのエルヴィラ氏はギャラリーに「ゲルニカ」のモチーフの原型も含まれた版画「スイート・ボラール」を展示していたが、過激派の一部がピカソの書籍を扱った店や、ギャラリーを荒らすという事を行った。
エルヴィラ氏のギャラリーが荒らされ、絵はナイフはズタズタにされてしまった。エルヴィラ氏は警察と記者を呼び、現場の写真を撮ってもらって写真はフランスの大使館に直接送りつけた。
すると犯人が逮捕されて

<トニー・シャフラジの視点>
MOMAに展示されていた「ゲルニカ」に落書きをしたトニー・シャフラジの視点。
トニー・シャフラジはイランの出身。バスキアを見出したギャラリーのオーナー。
世界各国を回ったあと、NYに移住。MOMAに展示された「ゲルニカ」に感銘を覚えたが、同時に違和感を持つように。1965年からアメリカが介入したベトナム戦争といった背景からアメリカに「ゲルニカ」がある意味を気づいていたシャフラジは白昼堂々「ゲルニカ」に落書き。けど、シャフラジはすぐに釈放された。「ゲルニカ」はすぐに剥がれやすい塗料で落書きしていたから。落書き事件の後アメリカに「ゲルニカ」のある意味を問うた記事も見られるようになったり、1975年のフランコの死去→スペインの民主化といった状況が「ゲルニカ」のスペイン返還のきっかけに。

<スペインに帰還したゲルニカ>
「ゲルニカ」の返還が決まったもののスペインのどこに展示するか論争に。最初はプラド美術館別館に保管されることに。しかも治安警察が監視、防弾ガラス付きという処置があったがスペイン国内で揉め事が。「ゲルニカ」の展示場所は事件のあったゲルニカ、首都のマドリード、ピカソの故郷・マラガ、若い頃の活動拠点だったバルセロナが展示する権利について名乗りを上げた。
当時プラド美術館で働いていた元学芸員の「ゲルニカ」招致(?)の裏を語っていたが、プラド美術館は格式はあったが別館は狭いってことで近所にあった文化庁の建物を譲ってほしいと交渉したとか。

ゲルニカ誕生秘話は知ってるが、落書きのこと、スペインに帰ってくるまでの裏はいろいろな積重ねがあったって事がわかりました。






最終更新日  Nov 14, 2021 09:03:46 PM
コメント(0) | コメントを書く
Oct 19, 2021
カテゴリ:テレビ番組
10/18日放送のにっぽん歴史鑑定のお題は平賀源内。
江戸時代中期に活躍した学者・発明家として知られた平賀源内の人生と裏を見ていく

源内は讃岐国の下級武士の子供として誕生。子供の頃から好奇心旺盛で天才少年として噂されていたが、その後武士の嗜みとして儒学は勿論のこと、本草学を学ぶように。22で家を継ぎ、高松藩の藩士に。お殿様の目に止まり25で長崎に留学。本草学のほかは西洋の学問(当時は蘭学と呼ばれていた)を吸収。留学の成果として今の歩数計に当たるものを作成している

長崎留学から1年後に江戸に出た彼は今度は本草学者の田村藍水のところに弟子入り。当時は吉宗の御代で殖産興業を叫ばれてたし、キリスト教以外の洋書の解禁もされていた。
殖産興業の一環として幕府が力を入れたのが薬の原料を自国で生産する研究。薬の原料は外国の輸入に頼っていたので国で作れないか?というわけ。
 今デパートでよく行われている物産展の原型を作ったのは源内。源内が考案したのは日本各地にある珍しい薬の材料を展示することで同業者・医者との情報交換の場になった。
 高松藩に戻った源内はお殿様から高額の給与をもらうが藩の薬草園で薬草の世話をしたりお殿様のお供で上洛したりと源内にとっては窮屈で仕方がない。お殿様に暇を欲しいと言ったら「奉公構」(他家に士官できない処置)を受けることに。けど、自由を得た源内は再び江戸に向かい、「東都薬品会」を開催することに。
 「東都薬品会」成功の裏はというと・・・
・開催前に引札(今のチラシ)を薬屋、句会に送って宣伝
・着払いを採用。18国25箇所に物品の取次所を開設した。物品は江戸へ運賃着払いで送ればよく、主催者側が配送料を負担する・・・という形式をとったため、今までより倍の物品を集めることに成功している。
後に源内は博覧会の成果をまとめた学術書「物類品隲(しつ)」を書いている

マルチクリエーター源内
・風来山人の名前で戯曲を書き、浄瑠璃のホンも書いている
・「土用丑の日」のキャッチコピーを考案したのは源内と言われている
・洋画の技術を学び絵も残している
・「解体新書」の制作に源内が関わっていた。挿絵絵師として秋田藩士で洋画を学んだ小田野直武を玄白に紹介している。

起業家・源内
・鉱山の開発に関与していたが失敗
・陶磁器の研究を行い実用化近くまで行ったが失敗
・秩父の鉱山開発時に石綿を発見。火浣布を開発したが大きな布を作れず失敗
起業家としては失敗ばかりで借金を繰り返し、家財道具を売り払って本を買っていた

エレキテル
長崎の遊学時とも、通詞から譲り受けたと言われているエレキテルを修理。これを見世物にしていたが、助手が欠陥品を使って見世物にしていたため源内は山師と言われる様になった。さらには自分の著書で自虐ネタを披露している
1779年にいきなり乱心して人を殺してしまい、牢に繋がれて一ヶ月後に獄死。友人の杉田玄白が「嗟非常人、好非常事、行是非常、何死非常 」(ああ非常の人、非常の事を好み、行ひこれ非常、何ぞ非常に死するや)(大意)ああ、何と変わった人よ、好みも行いも常識を超えていた。どうして死に様まで非常だったのか)という墓銘碑を考えた。

薬品会、解体新書の制作に少し関与していた・・・は知っていたが、土用丑の日のこと、様々な事業に手を出したが失敗・・・って話が詳しく紹介された内容でした






最終更新日  Oct 22, 2021 11:29:41 PM
コメント(0) | コメントを書く
Oct 9, 2021
カテゴリ:テレビ番組
1972年に発見され、国宝となった高松塚古墳の壁画。発見者などの視点から高松塚古墳の裏を明かしていく。

発見者の視点
1960年代から差し掛かった高度成長期には都市部はどんどん開発されて、ニュータウンが次々と出来上がった頃。奈良県・明日香村も開発の波が押し寄せてきて・・・というのが導入部
関健氏が壁画を発見した直後に撮った写真が紹介されたり、村の開発と保存のために松下幸之助と当時の総理・佐藤栄作氏まで関わっていたという話、遺跡発掘に一応50万円(当時のレートで)捻出して発掘したが、関西大学の学生が駆り出されて発掘作業に取り掛かった・・という話は面白い話

 実際に古墳発掘に駆り出された人がその時の苦労話、当時小学生だった人が石室発見のときの熱狂を語っていた。

石室発見!てことで国中注目になり、高松塚古墳の壁画の切手は寄付金付きだったが、6億円もの売上を獲得。その寄付金をもとに古墳周辺の土地を買収して史跡公園を整備、明日香村は観光地として復興をすることに。歴史的発見がきっかけとなり史跡の保存に関する法律が制定されることに。

平山郁夫の視点
シルクロードをお題にした絵で知られる平山郁夫。彼が関わった高松塚古墳の壁画の複製制作の裏を紹介。
平山氏は故人ということで、過去に高松塚古墳関連の番組に出演した時のインタビュー映像を紹介。
なぜ複製画が作られたのかと言うと、古墳は発見された後厳重な封印を施され、石室は一般公開されなかったため。
 複製画作成プロジェクトには平山氏の他、彼の師匠・前田青邨ら8名の画家が参加。模写のため壁画を調べる際は防護服を着て30分しか絵は見られないという制限付き。石室は高湿度かつ、温度や湿度が変わるといけないため関係者から制限時間などがすぎると催促されたとか。他にも保存方法がわからず四苦八苦していたという話も登場
 7ヶ月かかって完成し、複製は巡回展で展示。複製画が作られていたというのは初耳。更に壁画の複製画はもう一組作られていて、古墳の近所の展示スペースに展示されている。
平山氏は高松塚古墳の壁画の複製に関わったことが契機となって文化財保存に関心を持つようになった。

左野勝司の視点
2000年代に入ると壁画にカビが湧き、壁画消失の危機に。
壁画を封印する前に保存のための処理を1976年から3度施し、空調設備を建設、定期検査もやっていたがカビが湧いて修復しなくては・・てなった。一部の識者は完全に封印するべきという意見も出たが、結局は石室を分解して修復することに。左野氏は石室を解体するために専用の機械を作ったが、力の入れ具合を間違えると石室は壊れてしまう・・ということで改良に時間がかかっていることが紹介。
今は別の場所に移して展示されているが、高松塚古墳の壁画にカビが湧いて大騒ぎ(?)になった話は覚えてるなぁ。

色んな人が高松塚古墳の保存に関与しているということがわかるお題でした

関連ページ






最終更新日  Oct 10, 2021 09:31:14 PM
コメント(0) | コメントを書く
Sep 22, 2021
カテゴリ:テレビ番組
今回のお題はローカルパンで案内人はゴスペラーズの酒井雄二。
大手パン屋にはない各地独自のパンを紹介していく内容だが、酒井さんがローカルパンにハマった動機はゴスペラーズが売れだして全国ツアーもやれるようになった時にツアー先でローカルパンに出会ってハマるようになったとのこと。

・まずはローカルパンの勢力図みたいなものを解説。東北や九州では意外と勢力圏が広く、複数の県のコンビニで人気商品が売られていることがあるとか。沖縄ではコンビニのパンコーナーでオリジナルフランド、大手よりも沖縄ローカルのパンのほうが大きくスペースが取られているほど。
・西日本ではメロンパンがアーモンド型、丸型のメロンパンがサンライズと呼ばれる地域があるとのこと。全然わからなかった。
・パン紹介のコーナーでは独自色の強い商品がたくさん紹介されていて、沖縄のローカルパンは大きいのが特徴で「なかよしパン」ってのはみんなで分けて食べることが前提になってるとのこと。
ゼブラパンは黒糖リボンがゼブラ状に練り込まれているからゼブラパンという名前になったとか・・・
・小松の牛乳パン(長野県)は大量のバタークリームが塗られている商品。見ていると胃がおかしくなりそうな一品。
・スナックブレッド(鹿児島県)は食パンの周りにカステラが巻いてあるというもの。カステラにどら焼き生地を巻いたものは見たことがあるけど、食パンの周りにカステラが・・・ってのは面白いし、美味しそう。
・力あんぱん(岩手県)はパン生地に大福がそのまま入っているアンパン。高校の売店でパンを販売中、体育会系の生徒から腹持ちの良いパンの要望があり大福を入れたのが始まりで製造の裏を映像で紹介されてました
・コーヒー(秋田県)は通常のコーヒークリームが入ったパンとは異なり、甘さ控えめなコーヒークリームを入れた商品。聞いてるとコーヒー特有の苦味が活かされた商品みたいですね。

仕事では基本弁当を持っていくようにしてますが、弁当が作れないときは食費を抑えたいのでパンをよく購入してますけど、こんなのを見ていると試したくなる商品でいっぱいでしたね。






最終更新日  Sep 25, 2021 11:15:29 AM
コメント(0) | コメントを書く
Sep 11, 2021
カテゴリ:テレビ番組
今回のダークサイドミステリーのお題は「死刑執行人サンソン」「イノサン」で取り上げられたシャルル=アンリ・サンソン 。
フランスの死刑執行人の頭目「ムッシュウ・ド・パリ」でサンソン家4代目でルイ16世とマリー・アントワネットの死刑を担当したことで知られる人物。彼の人物像とフランス革命の裏を追っていく内容。

・近世の死刑は公開され、庶民にとっては娯楽の一つ。八つ裂きの刑など残虐な刑が行われていたがむち打ち、焼印といった軽い刑罰も執行人が執り行っていた。
・サンソン家は国から日本円にして1200万円を支給され、貴族並みの生活を送り、助手も10数名雇うほどの優雅な生活を送ってたが、死刑執行人はフランスの身分階級には属しておらず一般人から忌み嫌われているほど。
・シャルルは死刑廃止を願っていたが、王政を支持し、執行人の仕事に誇りを持っていたらしい発言も。漫画「イノサン」ではシャルルは死刑執行人としては繊細なところを見せていた・・という描写があったので意外
・1789年のバスティーユ監獄陥落に始まるフランス革命が勃発。サンソンは革命政府の執行人と仕事に勤しんでいたが、国民議会が立ち上がっても執行人の身分は曖昧でなおかつ人権を与えられなかった。
国民政府が出来た頃に死刑の方法も変化が訪れる。死刑囚を苦しませずに殺す方法として編み出されたのは悪名高いギロチン。
・国王ルイ16世の処遇について王党派と革新派が衝突。投票で国王の死刑が確定。王が死刑台に登ったとき国民はただ見ているだけ。サンソンはその憤りを日記に書いている
・ルイ16世の死刑を境にマリー・アントワネット等王政関係者が次々と死刑に。議会ではジャコバン派が政権を握ると反対派は次々と死刑にされるという恐怖政治が敷かれる状態。サンソンは日記で次々と死刑にされた人の名前を綴ったり、人々の異常さについても日記に綴ってる
・ジロンド派が追放されるとジャコバン派が分裂。ロベスピエールの暴走を止めようとする寛容派の中心人物がロベスピエールの手で死刑にされると恐怖政治はエスカレート。ロベスピエール暗殺未遂事件が起こると「プレリアール22日法」を制定。証人尋問、被告の弁論は認められず、有罪=死刑というとんでもない法律が作られるって・・・今でも一党独裁の国では似たような法律があるんでしょうね
 サンソンは精神的に追い詰められ、手の震えが止まらないという状態に、日記に実感がわかない。涙は出ないと。何の罪のない人がギロチンにかけられて死んでいくことに耐えきれなかったんだろうね。

国王夫妻の死刑のあとのジャコバン派の台頭~恐怖政治の終焉の裏を取り上げていたが、世界史では習わない裏を知ることが出来ましたね。


【中古】 イノサン 1 / 坂本 眞一 / 集英社 [コミック]【宅配便出荷】


【中古】新書 ≪ヨーロッパ史・西洋史≫ 死刑執行人サンソン 【中古】afb






最終更新日  Sep 11, 2021 12:00:06 AM
コメント(0) | コメントを書く
Sep 9, 2021
カテゴリ:テレビ番組
今回の「にっぽん歴史鑑定」のお題は「渋沢栄一が見た!最後の将軍・徳川慶喜のその後」。
1867年に大政奉還、1868年に鳥羽・伏見の戦いから始まる戊辰戦争が起こり、朝敵とみなされた慶喜は水戸に蟄居しその後は静岡に。
将軍を辞してからは、政治的発言や、人と会うこともしようとしなかった慶喜だったが、
唯一、心を開いた人物がいた。慶喜が一橋家の当主だった時から仕えてきた渋沢栄一である。
その渋沢栄一から見た慶喜・・・という内容。

・静岡に引っ越した慶喜は政治的発言は控えて趣味に没頭。油絵、自転車などを楽しんだが、特に夢中になったのは写真撮影。当時の写真は感光板は30分以内に使い切る→30分以内に現像しないといけないというものだったが、難しいものほど挑戦しがいがあるということでかなり没頭していて屋敷周辺や静岡の風景を撮っていた。
・静岡に引っ越した慶喜は10男11女をもうけ、庶民の所に里子に出していたがこれは庶民の所で育てたら元気に育つから・・・という理由だった。
・1900年代になると東京に移住した慶喜。50代頃に健康を害し、万一を考え、最新の医療が受けられる東京に移住。明治天皇に謁見する機会を得た慶喜は爵位を授かったことから社交界で友人が増え、写真撮影が趣味の人が集まる会誌に写真を寄稿していたことも。
・明治35年(1902年)6月3日には公爵に叙せられ、徳川宗家とは別に徳川慶喜家を興している。
・渋沢は慶喜の伝記を編纂したいと思っていて、「昔夢会」を発足。こうして出来たのは「昔夢会筆記」。その中で大政奉還を決意した動機が佐幕派と倒幕派がぶつかって内乱が起こることを避けるためだったとか。

 明治維新後「最後の将軍」がどういう生活をしていたのかわかるお題でした。






最終更新日  Sep 9, 2021 12:06:17 AM
コメント(0) | コメントを書く
Sep 6, 2021
カテゴリ:テレビ番組
今回のダークサイドミステリーのお題は「なぜ人は陰謀論にハマるのか? 〜イルミナティからQアノンまで250年〜」。

事件によっては陰謀論がつきまとうが、世間を騒がす陰謀論とはそもそも何か?なぜ発生しなぜハマるのか?発信源アメリカの陰謀論を250年前から捉え直し、私たちの社会に影響を与える、危険なワナを検証する・・・というもの。

・冒頭は20年前に起こった9.11同時多発テロに関わる陰謀論・都市伝説を紹介。
最大の犠牲者が出た世界貿易センタービル破壊の裏には爆弾が仕掛けられていた?とかぶっ飛んだ話が登場。で、陰謀論ができるまでを紹介
・社会に不思議・理不尽なことが起きる
・定説に対して疑問を感じる
・巨大な組織の陰謀で筋が通る
・同じような怪しい情報が集まる
・・というふうに陰謀論が形成されていく裏を紹介。

・陰謀論が最初にでてきたのはアメリカ建国から少し経ってから。イギリスから独立したアメリカは建国時は13の州で成り立っていたが、主義主張が異なる人々が集まっている新興国だからいつ終わりが来てもおかしくない状態。そこで有識者はイルミナティによる陰謀論を唱えるように。
実際はイルミナティによる陰謀論は嘘であることが判明しているが、大きな組織が大きな陰謀に関わっている・・・と言っておけば不満・不安に対するはけ口になっていったわけか。
・有識者の間でしか出てこなかった陰謀論だが、TVの登場で一般市民にも陰謀論が浸透していくことに。アメリカの事件で有名なケネディ大統領の暗殺事件がいかにして陰謀論と結びついたのかを解説。暗殺された映像を紹介しつつ、狙撃銃の軌道があり得ない等不可解が結びついて陰謀論が形成されていったことがわかる。
・人類初の月面着陸はヤラセ、アメリ政府はソ連と宇宙開発競争を行っていたがアメリカはソ連に負けたくないから月面着陸の裏に陰謀論が・・・って言うのが形成されていったわけか。
・エリア51って所に政府はUFOを隠しているとか、電子兵器を作ってるとか、アメリカの鳩は監視カメラ付きのロボットだった・・・というのは突飛すぎ。
・21世紀になってインターネットが普及するとネットで事件に対する考察サイトが登場。ネットでいろんな陰謀論が出てくるものだから陰謀論が拡散されていくわけか・・・
登場する陰謀論ばぶっ飛んでるが、これらは世の中に対する不満・不安のはけ口を作りあげたが、時には大事になることもある・・・っていうのを見るとネットやメディアの恐ろしさがわかる。






最終更新日  Sep 7, 2021 12:14:37 PM
コメント(0) | コメントを書く
Aug 28, 2021
カテゴリ:テレビ番組
今週の博士ちゃんは「科捜研の女」好きが高じて、科学捜査に詳しい博士ちゃんが登場。
今回登場の博士ちゃん、仁茅果(にちか)ちゃんは小3で「科捜研の女」にハマり、それが高じて科学捜査について関心を持つように。
仁茅果ちゃんが「科捜研の女」に登場し、実際の事件現場に使用されている科学捜査グッズを紹介する内容。

授業内容はお弁当が盗まれた事件が発生したと仮定して科学捜査グッズを使って謎解きをしていく・・・というもの
 刑事ドラマでよく見られる指紋検出。それを容易にできるライトは皮脂などに反応して即座に指紋が見えるというもの。さらに血痕も判別できるスグレモノ。
2つ目のグッズはメモ帳に残された筆跡を解析するというもの。番外編として偽造文書を見破る機械を紹介。
3つ目がカメラの映像から人の歩行などの癖を分析し犯人を特定できる監視カメラ。
類似品として人の精神状態を分析することが出来る監視カメラも紹介。

最後は仁茅果ちゃんが主演の沢口靖子に対面。
沢口さんに質問をいくつかしようと思った仁茅果ちゃんはメモに質問を書いたけどピックアップしても100問ほどになっちゃたという微笑ましいところも
で、当の沢口さんに会うと嬉し涙を流す一コマが・・沢口さん、50超えてるのに美しいですね。






最終更新日  Aug 28, 2021 11:41:58 PM
コメント(0) | コメントを書く
このブログでよく読まれている記事

全554件 (554件中 1-10件目)

1 2 3 4 5 6 ... 56 >


© Rakuten Group, Inc.