Apr 15, 2019

11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち

カテゴリ:映画
本日見た映画は「11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち」。
安保闘争、学生運動が活性化する1960年代。三島由紀夫は1960年代後半になると創作よりも政治色を強めており戦後民主主義に対する批判を書いていたりしていた。
自衛隊の体験入隊を経て祖国防衛のための私兵として1968年に「楯の会」を結成。
自衛隊の体験入隊~「楯の会」結成~市谷駐屯地での自決までを描く。

冒頭は「浅沼稲次郎暗殺事件」の犯人・山口 二矢の首つり自殺、三島が学習院初等部時代に遭遇した2.26事件の様子から描かれる。そのあとはノーベル賞候補になるほどの文豪となった三島の姿が描かれる。
 何を考えたのか自衛隊の体験入隊をする三島。この体験入隊、なかなか許しがなく、知り合いを通じて自衛隊関係者に交渉してもらったとか。体験入隊の様子を妻の瑤子が見舞いに来た。
で、三島の周囲には持丸博・森田必勝(まさかつ)ら民族派の学生らが集まり、自衛隊へ体験入隊するものも見られ、それに耐えた人たちで「楯の会」を結成。結成には紆余曲折があり、当初三島は外国の民兵組織を元に民兵組織を作るという構想があったものの、資金の関係で100名ほどの小規模な組織になったこと、資金援助をしようとした者もいたが断ったとか
 「楯の会」結成式前夜・・三島に共鳴するものが集まって血判を書き、「我々ハ皇国ノ礎とナランコトヲココニ誓フ」と誓いを書くという姿は前時代的。
 
伝説の討論会「VS東大全共闘」のシーン、ノーベル賞候補と言われてるのに「書くことはやめました」ときっぱり言うシーンが登場

 「楯の会」初代学生長・持丸博が「楯の会」を辞めるって話が登場。持丸は水戸学を学んだり、「論争ジャーナル」にもPNを使って投稿していたほどの理論派。「楯の会」入会後は会員の選抜、会の運営の中心だったが婚約し、就職の内定も決まっていた。三島からは「「楯の会の仕事に専念してくれれば(結婚後の)生活を保証する」と言われたものの、迷った末脱退することに。「楯の会」の集会で持丸の脱退、学生長の交代って話に。2代目学生長となった森田は理論派の持丸よりかは直情的だったそうで森田役の人の目つきが半端じゃない。
 持丸が辞めた後、「楯の会」結成前に作った血判を燃やすシーンが登場するが、この行為を見るとすでに死ぬことを考えていたのか?

 昭和44年10月21日・・・国際反戦デーで暴動が起き、三島は自衛隊の出動、楯の会の出動を望んだものの、自衛隊ではなく警察がデモを鎮圧したことで、今の政府のあり方に疑問を抱くように。
 昭和45年・・・クーデターを考えるようになった三島は森田の他「楯の会」でも信用でき、なおかつ自分と一緒に死ぬ覚悟でいる人に計画に参加するよう呼びかけた。で、集まったのが小賀正義、小川正洋、古賀弘靖の3人。何度もサウナなどに集まり、計画を練るのだが最後の段階になて三島は小賀、小川、古賀には殉死せず「生きろ」と指示。「死」に対して異常ともいえるこだわりを持つ三島らしくないと言えるが、自身の決起を後世に伝えたいからか?

そして11月25日・・・中古の車で市ヶ谷へ向かう決起メンバー。市ヶ谷へ向かう最中、三島と決起メンバーの辞世の句が流される。
「益荒男が たばさむ太刀の 鞘鳴りに 幾とせ耐へて 今日の初霜
散るをいとふ 世にも人にも 先駆けて 散るこそ花と 吹く小夜嵐」(三島由紀夫)
「今日にかけて かねて誓ひし 我が胸の 思ひを知るは 野分のみかは 」(森田必勝)
「火と燃ゆる 大和心を はるかなる 大みこころの 見そなはすまで 」(小賀正義)
「雲をらび しら雪さやぐ 富士の根の 歌の心ぞ もののふの道 」(小川正洋)
「獅子となり 虎となりても 国のため ますらをぶりも 神のまにまに 」(古賀弘靖)

自衛隊市ヶ谷駐屯地で東部本部総監・益田兼利を人質に取り、演説をさせること、市ヶ谷会館にいる楯の会メンバーを招集すること(市ヶ谷会館にいたのは入会間もない人が多かった)などを要求。もし、それがかなわないのなら総監も刺し、自分は切腹すると言い出した。実はこの要求を言うまえに幕僚と乱闘になり、自衛官数名が怪我をしてるが、そこはカット。
で、総監室のバルコニーから演説をぶつ三島。
「諸君は去年の10.21(国際反戦デーのこと)からあとだ、もはや憲法を守る軍隊になってしまったんだよ。自衛隊が20年間血と涙で憲法改正ってものの機会はないんだ。もうそれは政治プログラムから外されたんだそれはどうしてそれに気付いてくれなかったんだ!
昨年の10.21から一年間俺は自衛隊が怒るのを待っていた。
もうこれで憲法改正のチャンスはない!自衛隊が国軍になる日はない!健軍の本義はない!それを私は最も嘆いていたんだ。
自衛隊にとって健軍の本義とはなんだ。日本を守ること。日本を守るとはなんだ。日本を守るとは天皇を中心とする歴史と文化の伝統を守ることである」
「お前ら聞けエ、聞けエ!静かにせい。静かにせい!話を聞け!
男一匹が命を懸けて諸君に訴えてるんだぞ。いいか。いいか。それがだ、今日本人がだ、ここでもって立ち上がらなければ、自衛隊が立ち上がらなきゃ憲法改正ってものはないんだよ。諸君らは永久にだね、ただアメリカの軍隊になってしまうんだぞ。(略)シビリアンコントロール毒されているんだ。シビリアンコントロールというのはだな新憲法下で拵えるのがシビリアンコントロールじゃないぞ。」
「諸君は武士だろう。諸君は武士だろう。武士ならばだ、自分を否定するような憲法を、どうして守るんだ。どうして自分の否定する憲法のため自分らを否定する憲法というものにペコペコするんだ。これがある限り、諸君てものは永久に救われんのだぞ。
諸君は永久にだね、今の憲法は政治的謀略に・・諸君が合憲だかのごとく装っているが、自衛隊は違憲なんだよ。自衛隊は違憲なんだ。貴様たちも違憲だ。」
「諸君らの中に一人でも俺と一緒に起つ奴はいないのか・・・
一人もいないんだな。よし!武というものはだ、刀というものはなんだ。自分の使命・・・(聴き取り不能)・・それでも武士か!それでも武士かァ!
まだ諸君は憲法改正のために立ち上がらないと見極めがついた。これで俺の自衛隊に対する夢はなくなったんだ。それで俺は天皇陛下万歳を叫ぶ」

と言ったのに、野次だけが飛び交い無視されてるだけ。自衛隊の創立(設立当初は警察予備隊)から20年経ったら自衛官も「平和ボケ」してしまったのだろうか?(事件当日に居合わせたある軍曹は「(野次で聞こえない箇所もあったが、三島の言うことには)一理ある」と言い、事件後、東京と近郊に勤務する陸上自衛官を対象に無選別に選ばれた1000名を対象にアンケートを取ると大半が「三島の言うことに共鳴する」って答えが出た)
 演説を終えた後、三島が切腹。最初森田が介錯を任されたが失敗したため、古賀に関の孫六を渡したあと古賀が介錯、森田も切腹した後に古賀が介錯。切腹に介錯という方法で死ぬってことが壮絶。三島は死ぬ寸前まで森田に「(殉死は)やめとけ」と言っていたのと、小川には高級腕時計を形見として渡してるがその描写がない

 ラストは古賀は釈放されてから瑤子夫人と酒場で再会。瑤子夫人に「あの事件で、何があなたに残ったか」と聞かれ、古賀はただ掌を上に向けて、三島と森田の首の重さを持つようにしてじっとそれを見詰めている・・って描写で終わる。出所後の古賀と実際会ったのは楯の会一期生の伊藤邦典。映画で古賀と再会した相手が瑤子夫人に変わったのは三島の生きざまについて問いかけるためか?

同時期に「三島由紀夫と楯の会事件」を読んだが、それをなぞる内容でしかない。井浦新の三島由紀夫って写真で見た三島由紀夫とは何か異なる印象。

今、憲法問題が取り沙汰されてるけど、憲法9条は改正するべきと思う。
憲法9条は戦争放棄を謳ってるが、自衛隊は三島の言う通り違憲ではっきりと「日本は祖国防衛のためだけに存在する」的なことを入れておけば自衛隊は違憲にならないと思う。


11・25 自決の日 三島由紀夫と若者たち / 邦画​​


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最終更新日  Apr 19, 2019 06:49:10 AM
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