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カテゴリ:その他
写真の花は「クリスマスローズ」
ことわざ 「禍福は糾える縄の如し」 人の世の幸・不幸は互いに撚り合わせた縄のように転変するということ。 明恵夢記 1 明恵(みょうえ)は、鎌倉時代の華厳宗高山寺の僧で、生涯不犯の高徳の人だった。 親鸞とは同じ年(1173年)に生まれたが、仏教者としての考え方は異なる立場にあり、対立的であった。 親鸞の教えは現在に至るまで日本中に広まり、多大な影響を及ぼしたが、明恵の教えは、その流れを継いだ者は極めて少なく、宗派として成立しなかった。 仏教史の中では高い位置は与えられなかったが、日本人の生活に結びついて、生きること全般を律する日本人の考え方の根本に大きな影響を与えたのは事実である。 明恵は、十九歳のころから自分が見た夢を記録していた。 明恵の夢には、女性像が登場し、それは次第に発展していった。 その頂点として、1220年の「善妙の夢」が存在する。 善妙は、明恵が編纂した「華厳宗祖師絵伝(高山寺現存)」に登場する女性である。この絵巻物は、新羅の華厳宗の祖師に関する物語で、原文は明恵によって作られた。 明恵の善妙に対する思い入れが深かったことは、承久の乱による戦争未亡人たちの救済のために、明恵が建てた尼寺を、善妙寺と名付けたことでも判る。 善妙(善妙)の夢 十蔵房という僧侶が、明恵の許へ一つの香炉を持ってきた。 これは崎山三郎貞重が唐から持って来て、十蔵房に奉ったものだった。 その中には仕切りがあり、中に色々な唐物が入っていて、その中に二匹の亀が交合している形(豊穣を意味する)のものがあったので、明恵はこれらを縁起物だと思った。 五寸ばかりの唐の女人の形の茶碗があった。その女は、唐から渡ってきたことを歎いていると聞いた。 人形に、我が国に来たことを歎いているのかと問うと、頷いた。 悲しむ必要はないと言ったが、拒否して頭を振った。 その後、人形を取り出して見れば、肩を震わせ涙を流して泣いていた。 明恵は、自分はただの僧侶ではなく、この国では大聖人と人々から崇められているのだから、嘆くことはないと言うと、人形はそれを聞いて嬉しく思ったらしく、それならお愛しみくださいと答えた。 明恵が了承すると、人形はたちまち生身の女になった。 翌日、他所で仏事があるので、仏と縁を結ぶために、一緒に連れて行くと言った。 其処へ行くと、香炉をくれた十蔵房が居て、その女は蛇と通じたと言った。 明恵は、そうではなく、この女自身が蛇なのだと言うと、十蔵房は、女は蛇と人を兼ねていると言う。 明恵は目覚めて、この女は「華厳宗祖師絵伝」に登場する善妙だと考えた。 善妙は龍人でもあり、蛇身でもある。茶碗になっていたのは石身であると思った。 つづく 現代語「源氏物語・須磨」はこの前にあります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009.02.09 11:40:26
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