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カテゴリ:その他
写真の花は「ハクモクレン」
ことわざ 「五十にして四十九年の非を知る」 人生の終わりに近づいて、自分の過去を振り返ると、間違いだらけの人生に気づくもの。そうならないように、常に生き方を反省して、身を正すべきという教え。 イスレンのバラ 第二章 2 道路脇の小さな公園に入りベンチに腰を下ろすと、イスレンのバラも隣に座った。 「ヘロドトスによると、エジプトの神秘学は、ギリシャに多大な恩恵を与えた、古代ギリシャの偉大な賢人たちは、エジプトの師に知識を与えられ、多くの賢人はエジプト神秘学派に入門が許された」 「それによって、その学問はギリシャに伝達されたんですね」 「そう、七賢人の最初の一人であるターレスは、ソロンの助けでピラミッドを計測した」 「ソロン?」 「ソロンは、エジプトに行って僧侶たちと哲学について議論した、アトランティスについての話をギリシャに伝えたのもソロンだった、その話はプラトンによってティマイオスとクリチアスで繰り返し伝えられた、ターレスはピタゴラスにも、エジプトへ行くように勧めた、ピタゴラスはエジプトで22年間学んだ、それからエジプトを出て、イタリアのクロトナに落ち着き、そこで学派を創設し、エジプト神秘学を教え続けた」 「ピタゴラスが、イタリアで、エジプト神秘学」 「ロードス島のアポロニウスによると、ヘルメスは息子のアイタリデスを通してピタゴラスの祖先だった、オルフェウスはエジプトでオシリスの秘儀に入門した、オルフェウスは6世紀頃に故郷へ戻って、オルフェウス秘儀という新たな儀式を起こした」 「オルフェウス秘儀はエジプトのオシリス秘儀なわけですね」 「ブルータークは、オルフェウスとバッカスの秘儀はエジプトとピタゴラスが起源だと述べ、ディオドトス・シクルスは、アテネ人がエレウシスで観察した儀式は、エジプトの儀式と酷似していたと述べた」 「同一だったんですね」 「5世紀にヘロドトスはエジプトに行った、彼の著作には、サイスの祝いのオシリス秘儀が記述されている、原子の発見者であるギリシャ哲学のデモクリトスは、エジプトの僧院でヘロドトスと一緒に入門儀式を受けた、そしてファラオの幾何学者に教育された、プラトンは、エジプトに3年間留まり、僧侶によって入門儀式を受けた、プラトンの弟子の一人数学者で幾何学者のエウドクソスも、ナイルへ航海し、科学と心霊の両方で入門儀式を受けた、ストラボもまた、エジプトへ行ってヘリオポリスの僧たちの許に13年間留まった」 「イスレンのバラも、ヘリオポリスで学んだんでしたね」 つづく カタクリ JR中央線国分寺駅前にある、都立殿ヶ谷戸庭園は、大正時代初期に江口定篠が創設し、昭和4年に岩崎家によって整備された、回遊式林泉庭園です。国分寺の崖と湧水を巧に利用し、武蔵野の面影を残しています。3月14日からはカタクリを見る会が開催されるそうです。 「ラ・ソレリーナ」はこの前にあります お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009.03.12 11:56:52
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