|
カテゴリ:心理学と神秘学
写真の花は「香り椿」
ことわざ 「言葉は国の手形」 なまりによって、その人の出身地がわかるということ。 C・G・ユングの心 23 ユングは、自分が証明できないことでも拒否はしなかった。それが存在するかどうかは、証拠があるか無いかは関係ない。 とはいえ、多くの人は心とか精神というものが、個人の所有物以外のものと考えることはできない。 それは人が無意識的なものを経験したことがなく、夢にしても、夢がそれ自身の生活を持つなどと考えることもできず、たんなる夢に過ぎないとみなしているからだ。 ユングはそれを良く知っていたので、彼はあの霊媒の少女を観察し、そこから「それ自体の自律的法則を持った客観的現象としての心」という着想を得ていた。 あの少女がトランス状態で、まるで将来の自分を予見しているかのように、中年の女の物腰で振舞ったのは、実際驚くべきできごとだった。 こうした個人的経験に基づく考察は、ユングにとって極めて重要なものだった。 哲学者たちが、無意識について書いていた事柄も、ユングには重要だったが、それは抽象的であって、経験が持つ直接性に欠けていた。 若い時代にそうした思索があったからこそ、ユングは夢に関するフロイトの著作を知った時にも、良く評価することができたのだった。 ユングがフロイトから得たものは大きかった。フロイトは、夢の価値を認めることによって、単なる哲学上の仮定でしかなかった存在が、無意識に至る道であると発見した。 それは、ユングがかつて、夢からのメッセージを読み取ろうと試みて以来、失われたかのように見えた道具なのである。 精神病患者を相手に研究を進めるユングを支えていたのは、病気が何を意味しているかを明らかにするという決意だった。 普通の医学が扱う患者とは別のものに見えたが、精神分裂病という用語を、病名自体が何ものか意味するように受け取ることは、ユングは気が進まなかった。 彼は、分裂病患者が示す奇怪な症状の背後に何があるのかを知りたかったのだ。 それは複雑な人間的問題かもしれず、あるいは肉体の病気と複合しているのかもしれない。 ユングは自分の体験からだけではなく、言語連想実験からも、無意識の心の活動が、一つの現実であるという確信を得た。 多くの症例において、病気を引き起こしたのは、本人が気づかない心の葛藤であると確信した。 この結論は、証明はできなかったが、彼が患者と会話する中で経験したことが、まさにそれを示唆していた。 つづく 現代語「源氏物語・明石」はこの前にあります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009.03.13 11:53:31
[心理学と神秘学] カテゴリの最新記事
|