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2010.02.04
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カテゴリ:名画の秘密
ガーベラ

ピカソ

パブロ・ピカソの名作「ゲルニカ」は、現在スペインのソフィア王妃国立博物館に所蔵されている。
見た人の多くは、防弾ガラスに囲まれて展示してあるので驚くに違いない。
ゲルニカとはスペインの古都の名称で、1937年の市民戦争中に、ナチスの爆撃を受けて、市民数百人が犠牲になった。
対抗する共和国軍は、これを世界に伝えようと、その年のパリ万博に出品する作品をピカソに依頼した。
大量虐殺に激しい怒りを覚えていたピカソは、4日目から制作にとりかかった。
ゲルニカは異様なほどの迫力ある作品に仕上がり、ファシストの非道な行為を世界中に訴えるためには、これ以上ない働きをした。

広島や長崎の爆心地、そして東京の焼け野原も、すべて綺麗な公園に整備してしまわずに、一角をそのまま保存しておいて、ピカソ級の人に見てもらえば良かったのに。

しかしその市民戦争は敗戦の結果、それ以後の36年間、フランコの独裁政治が続くことになった。
フランコは、ゲルニカを敵視し、スペインへ帰れなかった。ゲルニカだけでなく、すべてのピカソの作品は一切スペインでは公開を禁じられた。
パリ万博終了後、ゲルニカはイギリスで公開され、その後アメリカへ亡命することになった。
ニューヨークの近代美術館に落ち着き、スペインに共和制が訪れるまで所蔵されることになった。
ピカソはフランスで1973年に永眠したが、その2年後にフランコが死んで、スペインは民主化が始まった。
ゲルニカもスペインに帰国することになったが、返還交渉中にはアメリカ側からスペインの状況が危ぶまれ時期尚早論もあった。
実際スペインでは、ピカソ展の会場が襲撃されるなどの事件があった。
民主化の象徴となったゲルニカが、万一傷つけられたら、スペインは国際的にも対面が保てなかった。
そのため、ゲルニカは防弾ガラスで囲われることになったのだった。
現在でもスペインは国内紛争などによるテロが絶えない。
ゲルニカが防弾ガラスから出られる日は、まだまだ遠そうだ。






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最終更新日  2010.02.04 16:09:12
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