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2010.03.16
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カテゴリ:歴史・人物
  クロッカス
クロッカス

原始時代からわが国では、土を掘って遺体を埋める形態の葬制であった。
しかし墓の形は大きく変化した。
先土器時代には、そのまま墓穴に埋葬していたことは確実視されている。
そのような墓を土坑墓(ストーンサークル)といい、縄文時代の墓跡はほとんどがその形式である。
遺体を折り曲げて埋めるのを屈葬、遺体をまっすぐに横たえて葬るのを伸展葬と呼ぶ。
縄文時代は屈葬が多かったが、なぜ遺体を窮屈なかっこうに曲げたかというと、胎児のような形にして、母なる大地に返したという説と、死者の復活を恐れたからという説があるが、定説はない。
弥生時代はお墓の形態が多様化し、多くは渡来人がもたらしたと考えられる。
九州地方には、大きなカメを二つ組み合わせて棺にしたカメ棺墓が多い。
西日本に広く分布しているのは、土杭に石板を箱型に敷き詰めた墓で、石の代わりに木を敷き詰める場合もあるが、木は朽ちてしまって痕跡しか残らない。墓には複数の遺体が埋葬される場合もあった。
近畿地方では、四角く溝を掘り、その中心に墓穴を掘る埋葬方法が発生し、それが関東、東北地方へ広がった。
東日本には、白骨化した遺骨を集めて壺に埋葬する再葬墓も多い。







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最終更新日  2010.03.16 08:25:34
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