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カテゴリ:神社仏閣
びわ 平安時代の貴族達は、京都の北山、東山、宇治などに別荘を構えていました。交通機関が無かった当時は、山超え野超え、牛車や馬、あるいは徒歩で行く遠い地だったのです。それ以上遠いと、都で何かあった時にも、連絡さえつかなかったのでした。 宇治にある平等院は、藤原道長の別荘で、陸路では奈良と京都の間にある交通の要衝でもありました。元々は帝の離宮として設置されてものを、道長が買い取って別荘にし、その死後息子の頼道が寺にしたのでした。 平等院といえば鳳凰堂ですが、正式名称は阿弥陀堂で、伝説の鳥鳳凰が翼を広げた華麗な姿に見えることから、通称鳳凰堂といわれています。 10円硬貨に刻まれているのが鳳凰堂です。 鳳凰堂の前には池があり、対岸から見るのが正しい眺め方とされています。 池のこちら側はこの世を表わし、堂がある方は彼岸(来世)と設定されています。堂が極楽浄土を表現しているのです。 藤原道長は、この阿弥陀堂で、背中の腫瘍と下痢による地獄の苦しみで、壮絶な最期を遂げました。 人々は、道長が自らの権力を拡大するために、犠牲にした三条天皇の祟りであると噂しました。 道長は、阿弥陀様の手に結んである五色の糸を握って亡くなりましたが、極楽浄土へは行けたのでしょうか。 その父の最期を見て、息子頼道は恐れをなし、その頃末法思想が流行っていたこともあって、阿弥陀堂を寺に造り替えたのではないでしょうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010.05.29 16:34:04
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