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カテゴリ:人間交流
懐かしいフォークソングを満喫する「フォークソング歌声喫茶」。郡山市公会堂で3月20日開かれた。フォークソンググループ「AiaiFamily」の主催。
郡山市は音楽都市を目指しています。フォークソング、歌声喫茶は草の根的な音楽活動ですね。参加型でみんなで唄えるのがいいですね。 フォークソング歌声喫茶 (動画はこちらへ) フォークソング、歌声喫茶の記事がタウン誌に載っていたので20日郡山市公会堂の会場に足を運んでみました。会場内は昔若かった人達です。50代を中心にその前後の年代の人たちです。私が初めてフォークソングに触れたのは1971年(昭和46年)の初夏だった。田舎から都会にでて、銀座4丁目の音楽ビルの4Fホールで吉田タクローが「結婚しようよ♪」を謳っていた。それから20年後に吉田タクローと高校で同級生だった方と知り合いになるとは思いもよらなかった。 その前の年までは、夏の暑い日、畑で汗を流しながら草とりをしながら携帯ラジオを聴いていたのがその翌年は歩行者天国の銀座4丁目だった。「私の城下町」が流行り初めで小柳ルミ子も上野の松屋の屋上で新曲キャンペーンで浴衣姿で歌っていた。私は読売新聞の奨学生として浦和の岸町4丁目の読売新聞販売店で朝夕の新聞配達をしながら京浜東北線で田町の東京理工専門学校に通っていた。 群馬の田舎で育った私には何もかも新鮮で目新しい毎日だった。当時、浦和の街にも歌声喫茶があったように思う。私の記憶の喫茶店は浦和駅西口にあったクラッシックレコードの流れる純喫茶「田園」でコーヒー1杯400円位だったろうか。コーヒー豆を挽いた香りが漂う空間を今も思い出せます。 入口で入場料500円を払うと、おせんべいにキャラメルが袋入りで手渡されます。 「岬めぐり」を唄っていたとき、突然、当時のようすが映像となってあらわれる。房総半島を歩いたこと、三宅島を一周歩いたことなどが思い出された。「若者たち」当時の定番の歌だった。むかし若者だったおじさん、おばさんが舞台に立つ、白いものがまじり、あるいは髪を黒く染めた人も、歌っているとあの時代にタイムスリップする。 高校生のころ部活でも歌っていた。ガリ版刷りの歌集だった。いっしょに唄うことによって仲間との一体感が培われた。座禅とは対照的な歌声喫茶。唄うことによって自己の存在を認識する。郡山ではさくら通りに「ロイド」という歌声喫茶があったようだとのことを亀戸灯に通ったことのある方が教えてくれた。 20曲以上唄いますと身体の血流が良くなるのを感じました。若いころを思い出し脳内物質がでて気分が若返るかもしれません。こりゃ~定期的にこんな機会をつくるといいかもしれませんね。 今は便利な時代になりました。調べたいと思って検索すればすぐに概略を知ることができます。 全国の歌声喫茶紹介 歌声喫茶「ともしび」について FOLK SONG BAR 時代屋 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009/03/23 01:03:57 AM
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