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カテゴリ:随想
昨日は、茨城の筑波山山頂付近では雪が降ったとTVのニュースでやっていた。郡山では朝方、霙まじりの氷雨模様だった。この時期4月半ばの天候としてはかつて経験したことがないかもしれません。朝は3~4℃ですから冬の気候です。10日ほど前に温度が上がったときは車にクーラーを入れたほどでしたから、急に夏のような気温になったかと思うと真冬にまた逆戻りです。暑くなっても寒くなっても大丈夫な用意をしておかないとなりません。この温度差は砂漠地方の昼夜の温度差と似てないだろうか。 さて昨日、懐かしの歌声バスツアーで過去の記憶にスイッチが入ったついでにこどものころの記憶をたどってみましょうか。 おばあちゃんの味 「鉄鍋でじっくりと煮込んだ味噌味のタニシ」 自家製の味噌とたんぼで獲れたタニシを泥を吐かせてあといったん軽くゆであげてから殻からとりだして、味噌仕立てで竈の余熱を利用して鉄鍋でじっくり煮込んだあの味は今となっては幻の味です。昭和36年くらいの記憶の味です。 おじいちゃんの味 「里芋をゆでたものを皮をつるっとむいて醤油だけでたべる」茹でたての湯気がでているのを食べるのが美味かった。もみがらを燃料にする万能窯だったろうか。 おふくろの味としては「せいろで蒸かした自家製のまんじゅう」と「大根といっしょに食べる手打ちそば」 左足を2008年の大みそかに階段から落下して骨折、病院内で再度骨折したので今は杖をつきながらかろうじて歩いています。4人いた同じ病室の2人は、歩くのを断念したということですが、母はあきらめずに杖を使って歩けるようになった。まんじゅうはふくらし粉を使って少しモチモチ感のあるふっくらしたまんじゅうだった。つぶあん入りのできたてを食べるのが 楽しみだった。昭和35年位の記憶に残る味です。「大根といっしょに食べる手打ちそば」は、大根を細くして蕎麦といっしょに食べるあの蕎麦の感触は忘れがたい。昭和46年位の記憶です。 親父がつくった「冷や汁で食べた手打ちうどん」 冷や汁は、すり鉢で炒った胡麻を擦って味噌と冷水で仕立てて青紫蘇の葉を刻んで加えた。夏の蒸し暑い夜のごちそうだった。 そういえば家庭での手作りの味ですね。田舎育ちですから外食しようにもレストランがない。小学校の入学まもないころ、隣町の歯医者さんに行った帰りに「支那そば」と「生寿司」を食べるのが楽しみだった。あの店は今でも残っているだろうか。そういえば親父に映画館に連れて行ってもらったことがあった、その帰りも「支那そば」と「生寿司」だったろうか。昭和35年位のことです。私の「3丁目の夕日」でしょうか。 まだテレビがなかった時代、わがやの唯一の電化製品であるラジオで夕方、大相撲の始まる前、連続ラジオドラマ『赤胴鈴之助』が流れてきた「♪ 剣をとっては日本いちに~夢は大きな少年剣士~」ナレーションにはデビューまもない吉永小百合さんが出ていたと数日前の真夜中のラジオで言っていた。その放送を聞いてから風呂の水汲みが私の仕事だった。くみあげポンプの外井戸からバケツで水を運ぶのです。風呂まで8mくらいでしたが30回位往復したでしょうか。そして風呂焚きです。薪割りもやってました。子供も家族の中で役割を与えられていた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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