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カテゴリ:郷土の歴史
かつて福島県にあった藩の数は、15藩、2番目の9藩あった長野県をぬいて断トツ1番多いということを先ほど知人からの電話で知りました。「城と寺」の書き込みをしようと日曜日の26日からディスクトップに置いて追加書き込みしようかなと思っていたら携帯電話が鳴ったわけです。城のこと思ったときに彼を思い浮かべたわけですが、3日目に電話が先方から掛かってきたわけです。彼からの電話は2年ぶりだろうか。これって今日のシンクロニシティでしょうね。 福島県内にみる城下町の寺。城下町にはお寺が多いのはなぜ。城下町では、寺院を城の外縁にまとめたり、通りの要所、要所にいざと云う時の敵からの侵入を防御する役目を担った。藩主の墓所となっている寺や神社の位置関係は、城の鬼門(東北)か裏鬼門(南西)の位置になっていることが多い。 これは箕輪門です。かつて天守閣は山の頂上にありました。現在、天守閣の石垣だけ積み直したものがあります。 ■二本松市には霞ヶ城 二本松藩が誕生した寛永20年(1643)、初代藩主丹羽光重が10万700石で入城し、幕末まで丹羽氏10代の居城として、220有余年続きました。戊辰戦争に際し、西軍との徹底抗戦で城内・家中屋敷のすべてを焼失し、慶応4年(1868)7月29日に落城しました。 城壁と箕輪門 台運寺は、寛永20年(1643)、丹羽藩三代光重が白河から二本松に移封された際に、白河常宣寺の第四世往蓮社生誉学山上人により開山されました。創建後、数度の移築を経て、最終的に現在地に移ったのは、寛文7年(1667)とされています。光重は当寺を丹羽家代々の奥方の菩提寺とすると同時に、芝増上寺にならった御霊屋を設け、丹羽藩の初代長重が授かった台徳院殿(二代将軍秀忠)の位牌を祀りました。台運寺は霞ヶ城の鬼門(東北)に位置しています。 台運寺の本堂 なぜ、二本松市のこの寺に徳川将軍の御尊牌があるのか疑問が湧いたわけです。 二本松藩、お殿様の丹羽家御内室御廟がありました。 ■会津若松市には鶴ヶ城があります。 土津神社(はにつじんじゃ)は、福島県耶麻郡猪苗代町にある神社である。会津藩初代藩主・保科正之を祀っている。土津神社は延宝3年(1675年)、磐梯山麓見祢山の地に葬られた保科正之の墓所に造営された。土津神社は鶴ヶ城の鬼門(東北)に位置しています。 ■三春町には、三春城跡(舞鶴城) 福聚寺は、鎌倉時代の創建で、三春藩藩主・田村家の墓所ともなっている。 福聚寺は、舞鶴城の裏鬼門になっている。 ■白河市には小峰城 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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