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カテゴリ:百人一首
百人一首 63番歌 今はただ 思ひ絶えなむ とばかりを 人づてならで いふよしもがな いまはたた おもひたえなむ とはかりを ひとつてならて いふよしもかな 作者:左京大夫道雅(さきょうのだいぶまちまさ) 藤原道雅(ふじわらのみちまさ)993~1054 平安中期の歌人。中古三十六歌仙の一人。藤原伊周の長男。一条天皇皇后定子の甥にあたる。関白道隆・儀同三司母の孫。父伊周の失脚に加え、当子内親王との密通事件などの悪行によって、家柄に比べて職位ともに低くとどまった。 今となっては、恋愛を禁じられて監視されているいるあなたへの想いをあきらめてしまおうということだけを、人づてにではなく直接逢ってお話しする方法があればいいのだが。 この歌は実話で、この歌の作者・藤原道雅と三条院の皇女・当子(とうし)内親王との秘密の恋のエピソードが残されています。後拾遺集の詞書には「伊勢の斎宮(さいぐう/いつきのみや)わたりよりまかり上りて侍りける人に、忍びて通ひけることを、おほやけも聞こしめして、守り女(め)など付けさせ給ひて、忍びにも通はずなりにければ、詠み侍りける」とあります。 時の三条院(三条天皇)の皇女・当子は伊勢神宮の斎宮の任を終えて、都に戻りました。その当子の元へ藤原道雅がひそかに通うようになります。皇女・当子は15歳ほど、藤原道雅は24歳くらいでした。やがてその噂は父・三条院の耳に届き、院は激怒。当子に見張りの女房を付けて、道雅と逢わせないようにしました。そこで恋愛を禁じられ悲しんだ道雅が詠んだ歌がこれです。 ※ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013/05/07 02:16:27 PM
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