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2013/05/10
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カテゴリ:百人一首

百人一首 69番歌

嵐吹く 三室の山の もみぢ葉は 竜田の川の 錦なりけり
あらしふく みむろのやまの もみちはは たつたのかはの にしきなりけり



作者:能因法師(のういんほうし)

橘永やす(たちばなのながやす) 988~? 平安中期の歌人。肥後守橘元(もとやす)の息子。橘諸兄の後裔。藤原長能に和歌を学ぶ。文章生となった後に出家。
26歳の時に出家します。摂津国古曾部(大阪府高槻市)で生まれ、東北や中国地方、四国など各地の歌枕を旅して歩いた漂泊の歌人でもあります。


嵐が吹いて三室山の紅葉は、竜田川の水面に落ちて、川面を錦織りなす流れにしたのだった。



もともとこの歌は、1049(永承4)年の11月に後冷泉天皇が開いた内裏歌合せの中で、藤原祐家の「散りまがふ 嵐の山のもみぢ葉は ふもとの里の秋にざりける」という歌と競って勝った歌です。
山と川を錦織りなすゴージャスな紅葉で彩るまことに華やかな歌で勝利したようです。能因法師は文章生、今で言う国立大学で学問を研究する学者であったわけですが、何を思ったのか26歳ので出家、諸国を歌を詠みながら旅する漂泊の歌人となりました。






■小倉百人一首は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活動した公家・藤原定家が選んだとされる私撰和歌集である。
その原型は、鎌倉幕府の御家人で歌人でもある宇都宮蓮生(宇都宮頼綱)の求めに応じて、定家が作成した色紙である。
蓮生は、京都嵯峨野(現・京都府京都市右京区嵯峨)に建築した別荘・小倉山荘の襖の装飾のため、定家に色紙の作成を依頼した。
定家は、飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳院まで、100人の歌人の優れた和歌を一首ずつ選び、年代順に色紙にしたためた。
小倉百人一首が成立した年代は確定されていないが、13世紀の前半と推定される。
成立当時には、この百人一首に一定の呼び名はなく、「小倉山荘色紙和歌」「嵯峨山荘色紙和歌」「小倉色紙」などと呼ばれた。
後に、定家が小倉山で編纂したという由来から、「小倉百人一首」という通称が定着した。









最終更新日  2013/05/10 09:38:41 PM
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