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カテゴリ:百人一首
百人一首 73番歌 高砂の 尾の上の桜 咲きにけり 外山のかすみ 立たずもあらなむ たかさこの をのへのさくら さきにけり とやまのかすみ たたすもあらなむ 作者:権中納言匡房 (ごんちゅうなごんまさふさ) 大江匡房(おおえのまさふさ) 1041~1111 平安時代後期の公卿、儒学者、歌人。大学頭・大江成衡の子。平安時代を代表する学識者で菅原道真と比較されました。後三条天皇に登用され、摂関家にはばかることなく政治改革を推進した。藤原伊房・藤原為房とともに白河朝の「三房」と称された。 遠くの山の峰の頂の桜が美しく咲いた。美しい桜がかすんでしまわないように、人里近い山の霞よ、立たないでほしい。 詞書(ことばがき)によると、この歌は、内大臣・藤原師通の家で花の宴が営まれた時に、「遙かに山桜を望む」という題が与えられて詠んだ歌だという記録が残っています。 技巧を凝らさずに、実直に素直に美しい遠景の桜を詠んでいますね。 ※ 藤原定家が京都・小倉山の山荘で選んだとされる小倉百人一首。 平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活動した公家・藤原定家が選んだとされる私撰和歌集である。その原型は、鎌倉幕府の御家人で歌人でもある宇都宮蓮生(宇都宮頼綱)の求めに応じて、定家が作成した色紙である。蓮生は、京都嵯峨野(現・京都府京都市右京区嵯峨)に建築した別荘・小倉山荘の襖の装飾のため、定家に色紙の作成を依頼した。定家は、飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳院まで、100人の歌人の優れた和歌を一首ずつ選び、年代順に色紙にしたためた。小倉百人一首が成立した年代は確定されていないが、13世紀の前半と推定される。 小倉百人一首に選ばれた100名は、男性79名、女性21名。 男性の内訳は、天皇7名、親王1名、公卿28名(うち摂政関白4名、征夷大将軍1名)、下級貴族28名、僧侶12名、詳細不明3名。 また女性の内訳は、天皇1名、内親王1名、女房17名、公卿の母2名となっている。 100首はいずれも『古今和歌集』『新古今和歌集』などの勅撰和歌集に収載される短歌から選ばれている。 春の歌 6首 夏の歌 4首 秋の歌16首 冬の歌 6首 旅の歌 4首 月の歌13首 桜の歌 5首 梅の歌 1首 心変りの歌10首 恋の歌43首 ・片思いの歌 14首 ・情熱恋の歌 10首 ・忍ぶ恋の歌 9首 ・その他 10首 男歌人 79人 女歌人 21人 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013/05/14 10:34:54 AM
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