2013/05/20(月)13:35
百人一首 79番歌 秋風に たなびく雲の たえ間より 漏れ出づる月の 影のさやけさ
百人一首 79番歌
秋風に たなびく雲の たえ間より 漏れ出づる月の 影のさやけさ
あきかせに たなひくくもの たえまより もれいつるつきの かけのさやけさ
作者:左京大夫顕輔(さきょうのだいぶあきすけ)
藤原顕輔 1090~1155 平安後期の歌人。清輔の父。崇徳院の院宣による勅撰集『詞花和歌集』の撰者。
秋風のためにたなびいている雲の切れ間から、洩れてくる月の光の何と美しいことか。
この歌は久安6年に崇徳院に捧げられた百首歌「久安百首」で披露されたものだそうです。
百人一首の77番歌の崇徳院の歌も久安百首からの引用です。
「月の影のさやけさ」がポイント。名月を眺める観月会では、月の美しさを競って詠んだものでしょう。
夜は当時、電気がないわけですから夜の明かりといえば月明かりが夜空に輝くくらいだったでしょう。テレビもラジオもないわけですから月を眺めて歌を詠むことくらいだったのだろうか。
とはいえ、万葉集に当地、郡山に住む采女が詠んだ歌、「 安積山影さへ見ゆる山の井の浅き心を我が思はなくに 」万葉集に残る歌が伝えられた。京よりはるか離れた郡山でも歌を詠む教養のあった人たちがいた証拠が残っていたのがいいですね。
人間の脳細胞や感性はにわかに進化したとは思えない。確かに電気や車など道具は進歩したであろうが目の機能、耳の機能、感受性機能は、そんなに変化があったとは思えない。
万葉集、安積山の歌は、原文は漢字だけ書かれていたわけです。
原文:阿佐可夜麻加氣佐閇美由流夜真乃井能安佐伎己ー呂乎和可於母波奈久尓
訓読:あさかやま かげさへみゆる やまのゐの あさきこころを わがおもはなくに
安積山 影さえ見ゆる 山の井の 浅き心を 我が思わなくに
木簡に書かれた1300年前の文字は、一音に一漢字を当てて書かれていました。
歌を詠むのが教養であった日本の文化
現代にシンガーソングライターがいますが、日本には1300年前に歌を詠んで楽しんでいた人たちがいたのです。
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