1828234 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

オンリーワン理念は、思いや志を文字にて表現してまとめたものです。言葉のチカラです。

PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール


新鮮美感@川島

カレンダー

カテゴリ

お気に入りブログ

新鮮な刺激を New! 宋休さん

大豆を刈り入れまし… New! 銀河のかっちゃんさん

河口湖モミジ祭りに… New! たそがれの写真家さん

心の故郷特別号 New! よびりん♪   さん

火入れ式 2019.11.0… New! 森3087さん

旅のおもひで~豊橋… New! いずみね〜さん

小さな不動産会社の… New! コウちゃん9825さん

コメント新着

 koju@ Re:伝説の焼肉ラーメン復活か!(12/07) おぉーーー! マジですかーー!? 本局前か…
 新鮮美感@川島@ Re:鎌倉岳を登る(11/15) 鎌倉岳は郡山市駅前のビッグアイ7階東側…
 新鮮美感@川島@ Re:アケビの実(09/29) 五葉あけびの種をまいて花が咲くまで3~…
 新鮮美感@川島@ Re:ソウルフード(09/02) この次に復活させたいのは「ねぎぬた」 …
 新鮮美感@川島@ Re:たのしみは(08/21) 独楽吟を私は、2019.10.4現在341首を詠ん…

フリーページ

2019/10/01
XML
カテゴリ:郷土の歴史
安積開拓発祥の地と云われる郡山市開成館を訪問

その開成館を見学後に目にとまったのがこの「安積開拓入植者住宅(旧小山家)」です。明治15年(1882)に四国、松山から牛庭原(現・安積町牛庭地区)に移住した「愛媛松山開墾」15戸の内の一戸で当時の開拓者の代表的な住宅の形を今に残すものだとのことです。

なぜ着眼したかというと私が幼いころ住んでいた借家とほぼ同じサイズなのです。左右反転した間取りで屋根は寄棟藁屋根でなく切妻十能瓦でした。東京オリンピックのあった1964年まで間借りしていた間取りサイズが、82年前のものとほぼ同じであり私の育った家の方がやや粗末な建屋に思えた。わが家は家族5人で生活していました。

この開拓入植者住宅(旧小山家)には囲炉裏がなく、炊事場も屋外だったといわれ、それが色濃く残っている。また井戸と厠もありませんでしたが私には子どものころの暮らしから、だいたいの予測がつきます。安積町牛庭地区は現在のわが家から近いので牛庭を散策してみたいと考えます。

また関西方面から郡山まで来るのに気になったのは船で利根川を遡り群馬から栃木に入ったと解説を耳にしました。となると当時のルートを考えると赤岩の渡しで舟を降りて赤岩から足利へのルートだとすると育った群馬の実家のほど近いところを通過してきた可能性があります。小学5・6年のころ社会で安積開拓にふれましたが故郷・篠塚を通過して開拓民が郡山に入植したとなれば、なんとも機縁を感じるものです。














最終更新日  2019/10/02 12:21:04 AM
コメント(0) | コメントを書く
[郷土の歴史] カテゴリの最新記事

Copyright (c) 1997-2019 Rakuten, Inc. All Rights Reserved.