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2019/10/01
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カテゴリ:郷土の歴史
安積開拓発祥の地と云われる郡山市開成館を訪問

その開成館を見学後に目にとまったのがこの「安積開拓入植者住宅(旧小山家)」です。明治15年(1882)に四国、松山から牛庭原(現・安積町牛庭地区)に移住した「愛媛松山開墾」15戸の内の一戸で当時の開拓者の代表的な住宅の形を今に残すものだとのことです。

なぜ着眼したかというと私が幼いころ住んでいた借家とほぼ同じサイズなのです。左右反転した間取りで屋根は寄棟藁屋根でなく切妻十能瓦でした。東京オリンピックのあった1964年まで間借りしていた間取りサイズが、82年前のものとほぼ同じであり私の育った家の方がやや粗末な建屋に思えた。わが家は家族5人で生活していました。

この開拓入植者住宅(旧小山家)には囲炉裏がなく、炊事場も屋外だったといわれ、それが色濃く残っている。また井戸と厠もありませんでしたが私には子どものころの暮らしから、だいたいの予測がつきます。安積町牛庭地区は現在のわが家から近いので牛庭を散策してみたいと考えます。

また関西方面から郡山まで来るのに気になったのは船で利根川を遡り群馬から栃木に入ったと解説を耳にしました。となると当時のルートを考えると赤岩の渡しで舟を降りて赤岩から足利へのルートだとすると育った群馬の実家のほど近いところを通過してきた可能性があります。小学5・6年のころ社会で安積開拓にふれましたが故郷・篠塚を通過して開拓民が郡山に入植したとなれば、なんとも機縁を感じるものです。














最終更新日  2019/10/02 12:21:04 AM
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