2023/09/17(日)19:58
人と猿の違い
猿と人の差を考えてみた。
類人猿として近い種であるが1万年前と今日までの進歩の違いをみると、人は車から、飛行機、ジェット機、宇宙ロケットまで飛ばすまでに道具を発明、進化させてきた。空を飛ぶようになったのはライト兄弟、1903年(明治36年)に世界初の有人動力飛行に成功したとされる。まだ120年の歴史しかないのだ。
この目覚ましい進歩には「気がつく、ヒラメキ、発想」などからなる発明。創意工夫の差であろう。
宇宙に有人飛行したロケットは、1961年4月12日には世界初の有人宇宙飛行となるボストーク1号が打ち上げられ、ユーリ・ガガーリンが世界初の宇宙飛行士となったとあるから、たった58年で大気圏外に飛び出すまでの技術の進歩には驚きますね。
1813年、ドイツのカール・フォン・ドライス男爵が“ドライジーネ”と呼ばれた木製のベロシフェールにハンドルを取り付け、走りながら曲げられる足蹴り式の二輪車を発明しました。現在ではこれが自転車の発明とされています。当時の記録として、ドライジーネは37kmを2時間30分で走ったそうで、これは時速15km/hに相当し、かなりのスピードです。
1801年にイギリスのリチャード・トレビシックは蒸気自動車を製作し、1804年には蒸気機関車を発明していますが、この事から判断すると自転車はそれより新しい乗り物になる訳でやや驚きです。
日本に自転車が初めて持ち込まれたのは幕末期・慶応年間で、ミショー型(ベロシペード)であったと推定されているが、ほとんど記録がなく詳細は不明である。この形式は、イギリスでボーンシェーカー(Boneshaker, 背骨ゆすり)とも呼ばれた。1980年代頃までは1870年(明治3年)に持ち込まれたとの説が定説とされてきた。日本での自転車製作も明治維新前後には始まっていたものとみられている。からくり儀右衛門の異名をもつ田中久重が、1868年(明治元年)頃、自転車を製造したとの記録が残っている。ただし現物や本人による記録が伝わっていないため、久重による製造の真偽は定かでない。初期の日本国産自転車の製造には、車大工や鉄砲鍛冶の技術が活かされた。
1870年(明治3年)、東京・南八丁堀5丁目の竹内寅次郎という彫刻職人が「自転車」と名付けた三輪の車(ラントン型と考えられている)について、4月29日付の願書で東京府に製造・販売の許可を求めた。この願書は「自転車」という言葉の最古の使用例とされ、東京都公文書館に保存されている「庚午府治類纂」舟車之部という文書綴りに収められている。東京府の担当官による実地運転を経て、5月に許可が下り、7月には日本初の自転車取締規則が制定された[1]。
1872年(明治5年)、横浜・元町でボーンシェーカー型木製自転車を作った貸自転車業者が、自ら東京〜横浜間を6時間で走ったとの記録がある。これは日本における貸自転車と自転車の走行に関する最古の記録と考えられる[2]。
1876年(明治9年)、福島県伊達郡谷地村(現:桑折町)の初代鈴木三元が「三元車」という前二輪の三輪自転車を開発した。その後も改良を重ね、一応の完成を見た1881年(明治14年)、第2回内国勧業博覧会に出品している。三元車は日本に現存する最古の国産自転車であるとされる。
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黒船来航(くろふねらいこう)は、嘉永6年(1853年)に代将マシュー・ペリーが率いるアメリカ合衆国海軍東インド艦隊の蒸気船2隻を含む艦船4隻が日本に開国を求めるため、黒船に乗ってアメリカからやってきた。
ペリーの圧力に屈した江戸幕府は、1854年に日米和親条約を結び、遂にアメリカに対して門戸を開いた。 これが、明治維新まで続くことになる幕末の動乱の始まりとなる。条約を結ぶときに鉄道機関車の模型を持参、その18年後には、アメリカから輸入して鉄道をひいた。
日本において鉄道が新橋駅と横浜駅(現在の桜木町)との間に開通したのは明治5年(1872)のことでした。今から151年前です。
ゴリラ研究の第一人者が居た。山極 壽一(京都大学総長)氏