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郷土の歴史

2009/10/03
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カテゴリ:郷土の歴史
あぶくま山地は比較的になだらかな山並みがつづきます。そのあいまあいまに集落があると云ったところですが道路が入り組んでいてよく知らないとなかなか目的地に辿りつけない道路事情は複雑系です。いつも走っている馴れた道路と違う道を選びました。

くねくれとした道が多いのでスピードを落として走りますとお店のガラス戸に「木幡の幡まつり」らしきポスターが目にとまったので車を降りてパチリと収めました。11月1日に第1回「旗祭りの里史跡巡り」が開催されるお知らせポスターでした。

「木幡の幡祭り」は今年は12月6日(日)開催ですが、この「旗祭りの里史跡巡り」は11月1日(日)に今回初めて開催されるようです。最近はやりのウォーキングと地域の再発見の動きがコラボレーションしたものかもしれません。

11月1日に第1回「旗祭りの里史跡巡り」蔵のある風景 東和

木幡の旗祭り由来
木幡の旗祭り由来・

二本松市東和 火の見櫓のある風景

「木幡の幡まつり」は、東和町と覚えていたのですが、東和町は平成17年12月1日より、二本松市、安達町、岩代町と合併し今では「二本松市」となりました。

ポスターがあるわけですから、「木幡の幡まつり」が行われるのは、この近くなのだろうと散策してみることにしました。新聞ニュースで毎年季節の風物詩として飾られる彩鮮やかな旗まつりの写真を見ていましたが、その背景にある祭りの起源は知りえませんでした。ここ現地に来てわかることがあります。なんとも立派な神社がありました。

一の鳥居

一の鳥居kaisetu
なかなか立派な一の鳥居でした。二の鳥居までの距離もあり、本殿まで辿りつけませんでした。帰宅してからネットで検索してみましたら歴史ある神社で彫り物もなかなかの立派なものがあることがわかりました。県内には隠岐津神社が3ヶ所あり、この木幡・隠岐津神社は安積国造神社とのつながりがあることがわかりました。現存している建物で県内で一番古い建物は何だろうかなどと興味が湧いてきます。

隠津島神社の創建は神護景雲3年(769)に安積国造比止称命乃子丈部直継足の三男継宣がが隠津島神社を勧請したことが始まりとされます。

「木幡の幡祭」幡行列と交通案内・現地の看板
「木幡の幡祭」幡行列と交通案内・現地の看板

隠津島神社案内図
隠津島神社案内図

木幡山人工壁

遠目からみてなんだろうと思った灰色の巨大な壁がいきなりどーんとあるのです。かなり近づいてみないとなんであるか判別つきかねる物体でした。ふくしま国体の山岳競技選手の強化用に設置されたことが書かれてあったので、ふくしま国体の山岳競技を検索してみましたら優勝しておりました。山岳競技は、練習環境が整っていないととても勝負にならない競技でもあることがWEBの書き込みから判りました。アマチュアスポーツでさえもいまや優勝するためには優勝するための環境整備がないといわゆるコストの負担もないととてもかなわぬ世界になっているんですね。きっと県の山岳競技強化委員会では優勝するためには何をどうするかのプロジェクトチームがあったのでしょうね。国民体育大会と呼ばれてはいますが、一般人が知る由もないところで優勝するためのコストなどが計算された上で準備計画がなされ優賞必達のもとに頑張らねばならない状況のもとでの競技になっているのだろう。

木幡山人工壁 平成7年ふくしま国体山岳競技選手の強化用に設置され、フランス製日本唯一の人工壁です。一般の方々は危険ですので近寄らないようお願いいたします。 福島県山岳競技強化委員会












最終更新日  2009/10/04 01:03:32 PM
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2009/07/16
カテゴリ:郷土の歴史

紫陽花や 紫陽花の花 そこかしこ

車を走らせていたら紫陽花の花が目に飛び込んできました。


紫陽花

あじさい






最終更新日  2009/08/31 09:55:13 AM
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2009/06/06
カテゴリ:郷土の歴史
猪苗代町にある土津神社は一度行ってみたいと思っていたので会津若松市倫理法人会での講演に行った帰路に立ち寄りました。私の車にはカーナビがついていないし、前もって地図で調べてもなかったのですが、会津若松城の鬼門の留石にあたる位置にあり、日本一大きい風水の石碑ということですから、きっとこの辺だろうと勘をたよりに車を走らせましたら神社の目の前の駐車場に一発で到着しました。会津磐梯山の裾野で氣の流れの良いところと云えば東南の位置だろうと車を走らせたわけです。

土津神社の御祭神である土津霊神・保科正之公は、二代将軍徳川秀忠の第四子、三代将軍家光
の弟で、高遠藩藩主・保科正光の養子であり、寛永ニ十年(1643)会津に封ぜられ会津松平家の始祖となった。また徳川300年の基礎をつくったといわれる。


この地に行ってわかったことがあります。会津が長く長州との和解をしていないことの一つに日光東照宮とも比較されるほど豪華絢爛であった藩祖、保科正之の墓所を焼き打ち破壊されたこともあるだろう。

土津神社入り口
ここの紅葉はとっても美しいようです。秋にまた訪れてみたいですね。

土津神社の鳥居の前は、黄色い花のじゅうたんでした。

土津神社の入り口にある表示看板から.

土津神社拝殿

土津(はにつ)神社

土津霊神之碑. 西側&北側
土津霊神之碑は会津藩、初代藩主、保科正之の履歴を石に刻んだ。風水ではこの土津神社は会津若松城の鬼門の位置にあたり、永く会津若松の繁栄を願い、ここを鬼門封じとして神社を置いたとも云われている。風水の石碑としても日本一の大きさだと云われています。

土津神社霊神之碑

土津霊神之碑

台座の亀石・

亀石・・.

保科正之墳墓への道・
土津(はにつ)神社から奥の院まで玉石を敷いた参道がつづきます。

保科正之墳墓への道・・
正面には、会津藩の初代藩主、保科正之公が眠っている。

八角形の鎮石

保科正之公墳墓、説明板から

土津(はにつ)神社は会津藩の心がわかる場所と云われています。















最終更新日  2009/06/06 10:55:05 PM
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2009/04/14
カテゴリ:郷土の歴史
12日(日)の散歩道から

最近、この笹原川の桜の花が美しく咲きます。植樹したのは平成9年11月と記念植樹の植え込みを見つけました。約11年になります。となると10年すれば、桜も眺めることができるようになるということです。

となりの本宮市の高松山に桜の名所をつくろうと仲間と計画しています。「100年後、高松山を桜と紅葉の名所にしよう」ということですが、100年たたずに10年後には、どうにか形になるかもしれませんと思うと楽しくなります。13年後の70歳になったら、みんなで花見をしよう。自分たちがいなくなってからも毎年桜の花で多くの人に楽しんでもらおう。

笹原川の桜

平成21年4月12日撮影 (平成9年11月植樹)
平成21年4月12日撮影 (平成9年11月植樹)






最終更新日  2009/04/29 10:05:06 PM
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2009/01/07
カテゴリ:郷土の歴史
伝統の郡山のまつり、「高嶽山・如寳寺 七日堂まいり」

1月6日(火)午後3時~7日(水)午後4時

如寳寺は市の中央、堂前に位置する郡山屈指の名刹。正式には高岳山如宝寺。真言宗豊山派。
今から約1200年前、京に上った虎丸長者が平城天皇より馬頭観音像を賜り、帰郷して観音堂を建立、笹久根上人を招いて開眼供養を行ったのが始まりとされています。

七日堂まいりは商店街(通称:一心坂通り)を歩行者天国にし、夜通し露天が建ち並びます。
お参りする人の列は 如宝寺 境内から参道から門前そして一心坂通りにまで、その年の開運を祈願する人々で大変賑わいます。

七日堂まいり 一心坂通りから

一心坂通りから如宝寺には本殿へ直進して階段を登ってゆくの参道と、観音堂へ直進して階段を登ってゆく2本の参道があります。七日堂参りは、西側にある観音堂にて行います。登ってゆくのはここではなぜか左側通行です。

七日堂まいり・・

七日堂まいり
如宝寺・七日堂まいり 2009/1/6 19:37(動画)

七日堂まいり4
如寳寺・七日堂まいり 2009/1/6 19:42(動画)

大黒さま

一心坂通りには、どこからか大黒様に扮したお方が出現して、打ち出の小槌で道行く人の頭をなでなでしておりました。ご利益を配る人、ご利益にあやかりたい人が路上パーフォーマンスを楽しんでいました。


七日堂まいりは毎年1月7日に行われる如寳寺の境内にある馬頭観世音の祭礼で「馬が駆けるように早く願いごとがかなう」といわれるので近隣近在からの多くの人でごったがえします。

参詣者は家族連れが多く、また市外からの人々も多いようです。聞こえてくる会話の中から矢祭町から参拝に来ていた若い人たちがおりました。また境内では鐘楼が参拝客に開放されており、並んだ人たちが次々に鐘を突いて合掌をしておりました。

七日堂まいり 1
如宝寺・七日堂まいり 2009/1/6 19:40(動画)

俗に「七日堂市」と云い、古くは物々交換の場、つまり初市から様変わりしたものとされています。今では物々交換がなくなり、現在は参道にダルマ、宝船、まさる、団子さしの団子木などの縁起物を売る店が並びます。境内は約十万人の人出で終日賑わい続ける云われ、参詣を終えた人々が縁起物を買い求める郡山の風物詩です。

一心坂通りの両側にも植木市と夜店が並びます。タバコまで通りで売っていたのにはビックリしました。同時に門前商工会加盟店の七日堂初市のお楽しみ福引セールが開催されて賑わっている。

七日堂まいり 2.
如宝寺・七日堂まいり 2009/1/6 19:38(動画)



七日堂まいり 3.
如宝寺・七日堂まいり 2009/1/6 19:39(動画)











最終更新日  2009/01/08 11:54:14 PM
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2008/11/08
カテゴリ:郷土の歴史
福島県須賀川市の松明あかし(たいまつあかし)は16世紀後半、伊達政宗の侵攻を受けた城を守るため、領民がたいまつを手に集まったという故事に基づき、400年以上の伝統を誇る日本三大火祭りの一つです。

今年は11月8日(土)に開催されました。(例年11月の第2土曜日開催)高さ6~10mの松明は、今年は計33本あったそうです。場所は須賀川翠ケ丘公園内の五老山にて開催されました。

松明あかしの夜店

松明によじ登り点火

2008松明あかし

今年の松明あかしの火の勢いは凄かった。
風があったので火のまわりが早くすごい勢いで燃える。

「本能的に人間は火を見ると心躍るんじゃないのか」という声が耳に入った。
どこからこんなに人が集まってくるのかと思うほど人が集まってきた。
須賀川市は夏の釈迦堂川の花火大会とこの松明あかしは見物人が多い祭りです。

祭りは不景気風を吹き飛ばす勢いがあった。
高校生が大人に交じって祭りの主役になれる場面がある。
松明の頂上に火を点火する役は、きっと一生の思い出に残る場面だろう。
記憶の残る場面を体験することが生きてゆく中での醍醐味ではないだろうか。

松明あかし 2008.11.8


松明あかし 2008

木枯らしが吹き、火の勢いが今年の松明あかしは凄かった。
火の勢いが強いと、この松明あかしはすさまじい火祭りになります。
周囲には消防士がホースを構えて時々、放水をしていた。
TV局がクルーが寒暖計を手に持って只今31℃ですと取材していた。
燃えるたいまつの火の遠赤外線で顔面がほてってきます。
火を見ているのもいいですが、火を眺める観衆の顔をみてみるのも、、、
素の顔でただ火を眺める人達の顔が輝いてみえます。


昨年の松明あかしをユーチューブに載せたのが、私のユーチューブ、デビューでした。
たまたま、推薦動画ということになり1週間で約7000アクセスがあり、
ユーチューブは影響力あるなぁ~と思った次第でした。

今朝になってTBSの番組関係者から私の携帯に電話がかかってきました。ユーチューブ画像を番組で放送に使いたいのですがよろしいでしょうかとのことでした。どんなふうに紹介するのかわかりませんが「よろしかったらどうぞお使いください」と云いましたので番組で紹介されるようになるようです。番組名は本日放送のTBS「ピンポン」AM11:00~13:00までです。










最終更新日  2008/11/10 11:40:25 AM
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2008/09/28
カテゴリ:郷土の歴史
安積国造神社秋季例大祭2008

郡山総鎮守・安積国造神社の秋季例大祭は28日、郡山市の駅前で大通りでメーン行事の山車まつりが行われ、16町会の提灯に彩られた山車が16台参加して威勢よく山車が練る。

郡山市、秋祭り.


山車に乗った子どもたちが小太鼓を叩きながら奏でる祭囃子と山車を引っ張る掛け声が響き、ドどん・ドン・ドンと祭りのリズムが心地良い。祭りは参加してみないとわかりませんね。子供も大人もいっしょになってこの日の夜だけは駅前大通りは祭り一色です。それにしましても山車の台数が16台もあるとは知りませんでした。

本町一・中町・大町三・大町二・北町・南通・東町・本町二・細沼・赤木・神明・柳町一・たちばな・坦ノ越・堂前・虎丸一の以上16台です。



安積国造神社

比止禰命(ひとねのみこと・安積国、県中地方の開祖)
和久産巣日神(わくむすびのかみ)
天湯津彦命(あまゆつひこのみこと)
誉田別命(ほんだわけのみこと)
倉稲魂命(うかのみたまのみこと)の5柱が祀られている。

比止祢命(ひとねのみこと)が初代安積国造に任ぜられて安積国を建国し、神社を創建して祖神・天湯津彦命(あまゆつひこのみこと)と五穀の神・和久産巣日命(わくむすびのかみ)を祀ったのが起源とされる。大和朝廷の時代、第13代・成務天皇5年(135年/1873年前)、比止禰命が初代安積国造に任ぜられ赴任したとき、祖神・天湯津彦命と五穀の神である和久産巣日神とを祀ったのが始まりで、のちに延暦19年(800)坂上田村麻呂の東征のとき、安積国造神社に詣で武人・八幡大神(誉田別命)を合祀して戦勝を祈願した。そのため通称「はちまんさま」と呼ばれている。古来、郡山総鎮守で県社の社格を誇る。幕末の学者、安積艮斎(あさかごんさい)は同社の宮司家から出た。




神輿

神輿 9.28 ,.
動画はこちらへ

神輿 9.28
動画はこちらへ

神楽.









最終更新日  2008/10/03 09:46:43 PM
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2008/09/15
カテゴリ:郷土の歴史

海老根の秋蛍をあとにしてさらに東に向かうこと10分位であったろうか。午後7時15分に柳橋歌舞伎伝承館に到着。昨年に比べ観客席が広くとってあります。年々観客受け入れ体制をアップしているようです。


柳橋kabuki


柳橋歌舞伎伝承館

柳橋歌舞伎1

柳橋歌舞伎2


柳橋歌舞伎

柳橋歌舞伎1

柳橋歌舞伎2

柳橋歌舞伎3

柳橋歌舞伎4

柳橋歌舞伎5

柳橋歌舞伎の舞台は、柳橋歌舞伎伝承館・黒石荘(郡山市中田町柳橋字町向51)です。



阿武隈山脈の山あいにある中田町柳橋には、江戸時代から連綿と伝わる農民歌舞伎(柳橋歌舞伎)があります。途中中断することもありましたが、なぜこの地に歌舞伎なのか不思議に思いましたが、江戸時代、柳橋地区は天領で、他地区に比べて領主の介入も年貢の取り立ても比較的おだやかであったため冬期間の楽しみとして芸事が盛んに行われ、その芸は秋の収穫を感謝する菅布彌神社の例大祭に奉納され、これが柳橋歌舞伎のはじまりと云われるとのことです。昭和55年、菅布彌神社の祭礼に上演以来今日まで上演される。昭和58年「柳橋の歌舞伎」として郡山市指定重要無形文化財に指定される。

参考:柳橋歌舞伎伝承館

天領(てんりょう)とは江戸幕府の直轄領のことを指す通称なわけですが、
なぜ、ここ柳橋地区が、江戸幕府の直轄領であったのか!興味の湧くところです。













最終更新日  2008/09/15 09:52:42 PM
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2008/09/14
カテゴリ:郷土の歴史
秋蛍&柳橋歌舞伎ポスター

郡山駅から阿武隈川を渡り東に約12キロ。あぶくま山系に囲まれた郡山市中田町に風流な秋祭りが開催されます。海老根長月宵まつり「秋蛍」と柳橋歌舞伎の同時に開催です。海老根和紙の行燈が稲穂がたわわに実った田のあぜ道に並びます。

今宵は、中秋の名月。名月と秋蛍。日が落ちるころ、ろうそくに火が入ります。ろうそくは、約3時間ほど輝きを保つそうです。今年6回目の開催で、行燈の数は約500個とのことです。みそづくりに大豆を煮る大鍋で2ヶ分豚汁をつくり来場者には、無料でふるまってくれます。そのうえ、お代わりどうぞと声をかけます。

田んぼの畦ですので、秋の鈴虫がチロチロと鳴き、ゆらゆらゆれる行燈のあかり、そして空には中秋の名月です。全国各地の中秋の名月の祭りの中でも、この町のまつりは、風流な催しでありましょう。

いちばん奥に昨年も他の絵と比べて趣のある行燈墨絵が並んでいたので今年はどんなものかなと覗き込んでおりましたら、筍伸会の渡辺さんから声をかけられました。やはり自分達の描かれた墨絵をよく見る人をみると気になるものなのですね。

宵まつり 誰が名付けた 秋蛍 海老根の里に 月も微笑み

海老根・手漉き和紙

海老根伝統手漉和紙保存会 〒963-0712 郡山市中田町海老根字北向38 (工房は別場)
TEL 024-943-4264


秋蛍・

秋蛍・・

秋蛍1

中秋の名月

秋蛍2

明かりになれた生活から、中秋の名月の月あかりとろうそくの行燈のひかり。アナログの光の中に身を置くとなぜか心が落ちつきますね。この祭りは、昔のなつかしい時間の流れを思い出す祭りです。素朴な祭りならではのものがあります。








最終更新日  2008/09/15 09:38:01 PM
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2008/05/23
カテゴリ:郷土の歴史
【万葉歌木簡】「こりゃ、えらいこっちゃ」発見の瞬間。
日本最古の歌集・万葉集の歌の木簡が初めて見つかったと、今朝の地元新聞紙はトップニュースの扱いでした。その木簡に書かれた歌は、私の住む郡山市ゆかりの「安積山」を綴ったもの。「 あさかやま かげさへみゆる やまのゐの あさきこころを わがおもはなくに 」の木簡発見というものです。

聖武天皇が造営した紫香楽宮(しがらきのみや)(742~745年、滋賀県甲賀市)跡で出土した木簡。甲賀市教委が5月22日発表されたということです。今をさかのぼること1263年前のことです。

「安積山の歌」は、平安時代に紀貫之(きのつらゆき)が古今和歌集の仮名序(905年)で和歌を習得する際に必ず学ぶものとして「歌の父母」と記しているんだそうです。万葉集は8世紀半ば以降に成立したとされ、木簡の埋まった年代は、万葉集編纂以前に記された木簡とみられる。

この前の日曜日、江戸時代の歌人・芭蕉が探し歩いたと歌に歌われた安積山の「花かつみ」を探しに行って安積山周辺を散策した記録写真からです。


安積山公園

安積山公園絵地図

安積山説明看板

山の井清水

「山の井清水」は、保護され岩で囲まれ今もチョロチョロではありましたが湧き出ております。清水の底にはアメリカザリガニがうごめいておりました。

山の井清水由来

安積山の芭蕉小道

安積山斜面の花かつみ

安積山の花かつみ

花かつみ説明看板

■「山の井清水」を検索しておりましたら安積山と山の井清水は、どうやら2ヶ所あるようです。芭蕉と曾良も江戸時代奥の細道の旅の道中、探し歩いたが見つからなかったと記録に残っている。あとで私ももう少し詳しく調べてみようと思います。

■私が郡山市内2ヶ所にある「安積山と山の井清水」はたしてどちらが本当なんだろうと
思うように、日和田町の「安積山と山の井清水」と片平町の「安積山と山の井清水」とを
取材したWEBサイト
がございました。

■郡山市の夏祭りである「うねめ祭り」は万葉集の歌枕「 あさかやま かげさへみゆる やまのゐの あさきこころを わがおもはなくに 」の歌を残した采女の山ノ井伝説(うねめ物語)からだったのですね。今年のうねめ祭りは、今回のニュースを加わりどんな新しい話題を提供してくれるだろうか。







最終更新日  2008/05/23 08:54:53 PM
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