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百人一首

2013/06/11
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カテゴリ:百人一首
1 番歌 秋の田のかりほの庵の苫をあらみ わが衣手は露にぬれつつ 天智天皇

2 番歌 春過ぎて夏来にけらし白妙の 衣干すてふ天の香具山 持統天皇

3 番歌 あしびきの山鳥の尾のしだり尾の ながながし夜をひとりかも寝む 柿本人麻呂

4 番歌 田子の浦にうち出でて見れば白妙の 富士の高嶺に雪は降りつつ 山辺赤人

5 番歌 奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の 声聞く時ぞ秋は悲しき 猿丸大夫

6 番歌 鵲の渡せる橋に置く霜の 白きを見れば夜ぞ更けにける 中納言家持

7 番歌 天の原ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に出でし月かも 安倍仲麿

8 番歌 わが庵は都の辰巳しかぞ住む 世をうぢ山と人はいふなり 喜撰法師

9 番歌 花の色は移りにけりないたづらに わが身世にふるながめせしまに 小野小町

10番歌 これやこの行くも帰るも別れては 知るも知らぬもあふ坂の関 蝉丸

11番歌 わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと 人には告げよ海人の釣船 参議篁

12番歌 天つ風雲の通ひ路吹きとぢよ 乙女の姿しばしとどめむ 僧正遍昭

13番歌 筑波嶺の峰より落つるみなの川 恋ぞ積もりて淵となりぬる 陽成院

14番歌 陸奥のしのぶもぢずりたれゆえに 乱れそめにしわれならなくに 河原左大臣

15番歌 君がため春の野に出でて若菜摘む わが衣手に雪は降りつつ 光孝天皇

16番歌 立ち別れいなばの山の峰に生ふる まつとし聞かば今帰り来む 中納言行平

17番歌 ちはやぶる神代も聞かず竜田川 からくれなゐに水くくるとは 在原業平朝臣

18番歌 住の江の岸に寄る波よるさへや 夢の通ひ路人目よくらむ 藤原敏行朝臣

19番歌 難波潟短き蘆のふしの間も 逢はでこの世を過ぐしてよとや 伊勢

20番歌 わびぬれば今はたおなじ難波なる みをつくしても逢はむとぞ思ふ 元良親王

21番歌 今来むといひしばかりに長月の 有明の月を待ち出でつるかな 素性法師

22番歌 吹くからに秋の草木のしをるれば むべ山風をあらしといふらむ 文屋康秀

23番歌 月見ればちぢにものこそ悲しけれ わが身ひとつの秋にはあらねど 大江千里

24番歌 このたびは幣も取りあへず手向山 紅葉の錦神のまにまに 菅家

25番歌 名にし負はば逢う坂山のさねかずら 人に知られで来るよしもがな 三条右大臣

26番歌 小倉山峰の紅葉葉心あらば いまひとたびのみゆき待たなむ     貞信公

27番歌 みかの原わきて流るるいづみ川 いつ見きとてか恋しかるらむ    中納言兼輔

28番歌 山里は冬ぞ寂しさまさりける 人目も草もかれぬと思へば      源宗于朝臣

29番歌 心あてに折らばや折らむ初霜の 置きまどはせる白菊の花      凡河内躬恒

30番歌 有明のつれなく見えし別れより 暁ばかり憂きものはなし      壬生忠岑

31番歌 朝ぼらけ有明の月と見るまでに 吉野の里に降れる白雪       坂上是則

32番歌 山川に風のかけたるしがらみは 流れもあへぬ紅葉なりけり     春道列樹

33番歌 ひさかたの光のどけき春の日に しづ心なく花の散るらむ 紀友則

34番歌 誰をかも知る人にせむ高砂の 松も昔の友ならなくに 藤原興風

35番歌 人はいさ心も知らずふるさとは 花ぞ昔の香に匂ひける 紀貫之

36番歌 夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを 雲のいずこに月宿るらむ 清原深養父

37番歌 白露に風の吹きしく秋の野は つらぬきとめぬ玉ぞ散りける 文屋朝康

38番歌 忘らるる身をば思はず誓ひてし 人の命の惜しくもあるかな 右近

39番歌 浅茅生の小野の篠原忍ぶれど あまりてなどか人の恋しき 参議等

40番歌 忍ぶれど色に出でにけりわが恋は ものや思ふと人の問ふまで 平兼盛

41番歌 恋すてふわが名はまだき立ちにけり 人知れずこそ思ひそめしか 壬生忠見

42番歌 契りきなかたみに袖をしぼりつつ 末の松山波越さじとは 清原元輔

43番歌 逢ひ見てののちの心にくらぶれば 昔はものを思はざりけり 権中納言敦忠

44番歌 逢ふことの絶えてしなくはなかなかに 人をも身をも恨みざらまし 中納言朝忠

45番歌 あはれともいふべき人は思ほえで 身のいたずらになりぬべきかな 謙徳公

46番歌 由良の門を渡る舟人かぢを絶え ゆくへも知らぬ恋のみちかな 曾禰好忠

47番歌 八重むぐら茂れる宿の寂しきに 人こそ見えね秋は来にけり 恵慶法師

48番歌 風をいたみ岩打つ波のおのれのみ くだけてものを思ふころかな 源重之

49番歌 御垣守衛士のたく火の夜は燃え 昼は消えつつものをこそ思へ 大中臣能宣朝臣

50番歌 君がため惜しからざりし命さへ 長くもがなと思ひけるかな 藤原義孝








最終更新日  2013/06/11 09:55:06 PM
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カテゴリ:百人一首

51番歌 かくとだにえやは伊吹のさしも草 さしも知らじな燃ゆる思ひを   藤原実方朝臣

52番歌 明けぬれば暮るるものとは知りながら なほ恨めしき朝ぼらけかな  藤原道信朝臣

53番歌 嘆きつつひとり寝る夜の明くる間は いかに久しきものとかは知る 右大将道綱母

54番歌 忘れじのゆく末まではかたければ 今日を限りの命ともがな     儀同三司母

55番歌 滝の音は絶えて久しくなりぬれど 名こそ流れてなほ聞こえけれ   大納言公任

56番歌 あらざらむこの世のほかの思ひ出に いまひとたびの逢ふこともがな 和泉式部

57番歌 めぐり逢ひて見しやそれとも分かぬ間に 雲隠れにし夜半の月影   紫式部

58番歌 有馬山猪名の篠原風吹けば いでそよ人を忘れやはする       大弐三位

59番歌 やすらはで寝なましものをさ夜更けて かたぶくまでの月を見しかな 赤染衛門

60番歌 大江山いく野の道の遠ければ まだふみも見ず天の橋立 小式部内侍

61番歌 いにしへの奈良の都の八重桜 けふ九重に匂ひぬるかな 伊勢大輔

62番歌 夜をこめて鳥のそら音ははかるとも よに逢坂の関は許さじ 清少納言

63番歌 今はただ思ひ絶えなむとばかりを 人づてならでいふよしもがな 左京大夫道雅

64番歌 朝ぼらけ宇治の川霧たえだえに あらはれわたる瀬々の網代木 権中納言定頼

65番歌 恨みわび干さぬ袖だにあるものを 恋に朽ちなむ名こそ惜しけれ 相模

66番歌 もろともにあはれと思え山桜 花よりほかに知る人もなし 前大僧正行尊

67番歌 春の夜の夢ばかりなる手枕に かひなく立たむ名こそをしけれ 周防内侍

68番歌 心にもあらで憂き夜に長らへば 恋しかるべき夜半の月かな 三条院

69番歌 嵐吹く三室の山のもみぢ葉は 竜田の川の錦なりけり 能因法師

70番歌 寂しさに宿を立ち出でてながむれば いづくも同じ秋の夕暮れ 良暹法師

71番歌 夕されば門田の稲葉訪れて 蘆のまろ屋に秋風ぞ吹く 大納言経信

72番歌 音に聞く高師の浜のあだ波は かけじや袖のぬれもこそすれ 祐子内親王家紀伊

73番歌 高砂の尾の上の桜咲きにけり 外山のかすみ立たずもあらなむ 前権中納言匡房

74番歌 憂かりける人を初瀬の山おろしよ 激しかれとは祈らぬものを 源俊頼朝臣

75番歌 契りおきしさせもが露を命にて あはれ今年の秋もいぬめり 藤原基俊

76番歌 わたの原漕ぎ出でて見ればひさかたの 雲居にまがふ沖つ白波 法性寺入道前関白太政大臣

77番歌 瀬をはやみ岩にせかるる滝川の われても末に逢はむとぞ思ふ 崇徳院

78番歌 淡路島通ふ千鳥の鳴く声に いく夜寝覚めぬ須磨の関守 源兼昌

79番歌 秋風にたなびく雲のたえ間より 漏れ出づる月の影のさやけさ 左京大夫顕輔

80番歌 ながからむ心も知らず黒髪の 乱れてけさはものをこそ思へ 待賢門院堀河

81番歌 ほととぎす鳴きつる方をながむれば ただ有明の月ぞ残れる 後徳大寺左大臣

82番歌 思ひわびさても命はあるものを 憂きに堪へぬは涙なりけり 道因法師

83番歌 世の中よ道こそなけれ思ひ入る 山の奥にも鹿ぞ鳴くなる 皇太后宮大夫俊成

84番歌 長らへばまたこのごろやしのばれむ 憂しと見し世ぞ今は恋しき 藤原清輔朝臣

85番歌 夜もすがらもの思ふころは明けやらぬ ねやのひまさへつれなかりけり 俊恵法師

86番歌 嘆けとて月やはものを思はする かこちがほなるわが涙かな 西行法師

87番歌 村雨の露もまだ干ぬまきの葉に 霧立ちのぼる秋の夕暮 寂蓮法師

88番歌 難波江の蘆のかりねのひとよゆゑ 身を尽くしてや恋ひわたるべき 皇嘉門院別当

89番歌 玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば 忍ぶることの弱りもぞする 式子内親王

90番歌 見せばやな雄島の海人の袖だにも 濡れにぞ濡れし色は変はらず 殷富門院大輔

91番歌 きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに 衣かたしきひとりかも寝む 後京極摂政前太政大臣

92番歌 わが袖は潮干に見えぬ沖の石の 人こそ知らねかわく間もなし 二条院讃岐

93番歌 世の中は常にもがもな渚漕ぐ 海人の小舟の綱手かなしも 鎌倉右大臣

94番歌 み吉野の山の秋風さよ更けて ふるさと寒く衣打つなり 参議雅経

95番歌 おほけなく憂き世の民におほふかな わが立つ杣にすみ染の袖 前大僧正慈円

96番歌 花さそふ嵐の庭の雪ならで ふりゆくものはわが身なりけり 入道前太政大臣

97番歌 来ぬ人を松帆の浦の夕なぎに 焼くや藻塩の身もこがれつつ 権中納言定家

98番歌 風そよぐ楢の小川の夕暮は 御禊ぞ夏のしるしなりける 従二位家隆

99番歌 人も愛し人も恨めしあじきなく 世を思ふゆゑにもの思ふ身は 後鳥羽院

100番歌 百敷や古き軒端のしのぶにも なほ余りある昔なりけり 順徳院














最終更新日  2013/08/25 11:13:18 PM
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2013/06/10
カテゴリ:百人一首

百人一首 100番歌

百敷や 古き軒端の しのぶにも なほ余りある 昔なりけり
ももしきや ふるきのきはの しのふにも なほあまりある むかしなりけり


宮中の古い軒端から垂れ下がる忍ぶ草を見るにつけても、偲んでも偲びつくせないものは、栄華を極めた昔のよき時代のことだねぇ~。


作者:順徳院(じゅんとくいん)
順徳天皇 1197~1242 在位1210~1221 第84代天皇。後鳥羽天皇の第3皇子。承久の乱で敗れて佐渡に配流され、その地で崩御。

今回の歌は小倉百人一首の100番目。撰者である藤原定家が仕えた後鳥羽院の息子、順徳院の歌です。

この歌は承久の乱が起こる前、順徳院が20歳の時に詠んだ歌です。
  

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす
おごれる人も久しからず、ただ春の世の夢のごとし、たけき者も遂には滅びぬ、偏に風の前の塵に同じ



ご存じ、平家物語の冒頭、平氏が没落していく様を表しております。平家の栄華と没落を描いた軍記物語である。

保元の乱・平治の乱勝利後の平家と敗れた源家の対照、源平の戦いから平家の滅亡を追ううちに、没落しはじめた平安貴族たちと新たに台頭した武士たちの織りなす人間模様を見事に描き出している。和漢混淆文で書かれた代表的作品であり、平易で流麗な名文として知られ、「祇園精舎の鐘の声……」の有名な書き出しをはじめとして、広く知られている。

作者は、最古のものは吉田兼好の『徒然草』で、信濃前司行長(しなののぜんじ ゆきなが)こと藤原行長なる人物が平家物語の作者であり、生仏(しょうぶつ)という盲目の僧に教えて語り手にしたとする記述がある。


平家物語の作者:藤原行長 (ふじわらの-ゆきなが) 鎌倉時代の官吏。
藤原行隆の子。関白九条兼実(かねざね)の家司(けいし)で,蔵人(くろうど),下野守(しもつけのかみ)をつとめる。漢詩文にすぐれ,元久2年(1205)の「元久詩歌合」の詩作者のひとり。従弟の葉室時長とともに,「平家物語」の作者とされる信濃前司(しなののぜんじ)行長に擬せられている。
















最終更新日  2013/06/10 09:07:47 AM
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2013/06/09
カテゴリ:百人一首


百人一首 99番歌

人も愛し 人も恨めし あじきなく 世を思ふゆゑに もの思ふ身は
ひともをし ひともうらめし あちきなく よをおもふゆゑに ものおもふみは

人をいとおしく思うこともあれば、いっぽうでは人を恨めしく思うこともある。思うにまかせず、この世を思うがゆえに、あれこれと思い悩むよこの私は。


作者:後鳥羽院(ごとばいん)
後鳥羽天皇 1180~1239 在位1183~1198 平安時代末期から鎌倉時代初期 第82代天皇。高倉天皇の第4皇子。諸芸、とくに歌道に優れ、和歌所を設置し、『新古今和歌集』を勅撰。承久の乱で敗れて隠岐に配流され、その地で崩御。



時代は変化しています。後鳥羽天皇は平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての激動期に生きたがために、このような歌を遺されたのでしょう。

「人も恨めし」の歌を詠んでから9年後に、後鳥羽院は貴族復権を掲げて北条義時に挑み(承久の変)はしたものの破れ、島根県の隠岐島へ流されました。

















最終更新日  2013/06/09 10:29:31 AM
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2013/06/08
カテゴリ:百人一首


百人一首 98番歌

風そよぐ 楢の小川の 夕暮は 御禊ぞ夏の しるしなりける
かせそく ならのをかはの ゆふくれは みそきそなつの しるしなりける


風がそよそよと楢の葉に吹いて、ならの小川(上賀茂神社・御手洗川)の夕暮れは、すっかり秋めいているが、六月祓(みなづきばらえ)のみそぎの行事だけが夏のしるしなのだった。


作者:従二位家隆(じゅにいいえたか)
藤原家隆 (ふじわらのいえたか) 1158~1237 平安末期・鎌倉初期の歌人。藤原俊成に和歌を学び、定家とともに歌壇の中心人物となる。『新古今和歌集』撰者の一人。



 
平安時代は今と違い「旧暦」のこよみを使っていました。、月の動きをもとにした太陰暦です。
「1カ月を30日、1年を360日です。 旧暦では1~3月を春、4~6月を夏、7~9月を秋、10~12月を冬」としていました。そして、現在のこよみは1年365日である太陽暦ですが、比べると1カ月ほど月日がずれています。この歌に出てくる6月30日の「六月祓(みなづきばらえ)」は、8月の初め頃に行われていました。
  















最終更新日  2013/06/08 07:50:46 AM
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2013/06/07
カテゴリ:百人一首
百人一首を毎日一首づつ紹介しながら学んでいこうと始めて、あと3首残すのみとなりました。

100日というと3ヶ月ちょいです。テレビドラマは3ヶ月をワンクールとしています。13週91日間ですね。季節も約3ヶ月です。短いようで長い、終わってみれば短いものです。

24節気は1年間を24節気に区切っています。1節気は約2週間です。

100日区切り。これ、なかなかいいかもしれません。

100日間続けていると、響感共鳴するものが見えてきます。現れてきます。
今回は95日目にして、百人一首 62番歌の清少納言の枕草子の解説を聞くことができました。



たまに足を運ぶ朝風呂での会話です。花瓶に花を活けている姿を見たので、「ご自分で育てた花を持参されていつも活けてくださっているのですか。花があるとないとでは違いますもね」と言葉をかけましたら「このカスミソウは珍しいピンクの花なんですよ」と教えられました。遠目だったので色までははっきりしなかったのですが、確認しましたらピンク色の可憐なカスミソウでした。
カスミソウは白ばっかりだと思っていましたら、ピンクのカスミソウもあるんですね。






最終更新日  2013/06/07 10:57:10 AM
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カテゴリ:百人一首

百人一首 97番歌

来ぬ人を 松帆の浦の 夕なぎに 焼くや藻塩の 身もこがれつつり
こぬひとを まつほのうらの ゆふなきに やくやもしほの みもこかれつつ


待ってもやって来ない人を待ち続け、松帆の浦の夕凪のころに焼いている藻塩が焦げるように、私の身も来てはくれない人を想い、いつまでも恋こがれています。


作者:権中納言定家(ごんちゅなごんさだいえ)
藤原定家 (ふじわらのさだいえ[ていか]) 1162~1241 鎌倉初期の歌人。平安末期の大歌人藤原俊成の二男。父俊成の幽玄体を発展させ叙情的な作品を得意とし、有心体(うしんたい)を提唱し、新古今調の和歌を大成した。
『新古今和歌集』の撰者の一人であり、後に単独で『新勅撰和歌集』を撰進。この『小倉百人一首』の撰者。歌論書『近代秀歌』『毎月抄』、日記『明月記』。歌人の寂蓮は従兄、太政大臣の西園寺公経は義弟にあたる。

この歌は万葉集の 「 淡路島 松帆の浦に 朝なぎに 玉藻刈りつつ 夕なぎに 藻塩焼きつつ 海人娘人(あまおとめ)」の本歌取りの歌です。
  
 
海に入ってあわび貝などを採る海人娘人(あまおとめ)の少女が、いくら待ってもなかなか来てくれない、恋人を待ちわびて身を焦がす情景を歌にしているわけです。
松帆の浦で夕なぎ時に焼いていた藻塩と重ねて歌に表現しています。










最終更新日  2013/06/07 10:06:43 AM
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2013/06/06
カテゴリ:百人一首

百人一首 96番歌

花さそふ 嵐の庭の 雪ならで ふりゆくものは わが身なりけり
はなさそふ あらしのにはの ゆきならて ふりゆくものは わかみなりけり

花をさそって散らす嵐の吹く庭は、雪のような桜吹雪が舞っているが、本当に老いて古りゆくものは、雪ではなくわが身である私自身なんだよなぁ~。



作者:入道前太政大臣(にゅうどうさきのだいじょうだいじん)
藤原公経(ふじわらのきんつね)、西園寺公経(さいおんじきんつね)とも呼ばれます。
1171~1244 鎌倉前期の公卿・歌人。
また、姉は藤原定家の後妻で、定家の義弟でもある。承久の乱に際して鎌倉幕府に内通し、乱後は幕府権力を背景に内大臣、太政大臣に昇進。京都北山に壮麗な西園寺(鹿苑寺[金閣寺]の前身)を建立するなど、藤原氏全盛期に匹敵する奢侈を極めた。


  


春は花、とりわけ桜は花見を代表する花です。そして桜の花の下に眠りたいとも例えられる花です。明治以降、ソメイヨシノが桜を代表する桜ですが、それ以前は、山桜などの桜が多かったのだろう。吉野の千本桜の桜の種類は何だろう。一度この目で見たい桜の名所の一つです。

散るゆく桜と詠まずに、雪にたとえて「ふりゆくもの」としたところが妙なる世界ですね。作者の藤原公経は61歳で出家して、京都市北山に西園寺を建て住んだとされています。西園寺は、のちに足利義満が譲り受け別荘として使われました。かの知られた金閣寺です。
  






















最終更新日  2013/06/06 10:16:04 AM
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2013/06/05
カテゴリ:百人一首

百人一首 95番歌

おほけなく 憂き世の民に おほふかな わが立つ杣に すみ染の袖
おほけなく うきよのたみに おほふかな わかたつそまに すみそめのそて

身の程をわきまえずしたいと考えるのは、このつらい世の中で生きている人々に覆いをかけて救ってあげたいのだ。私が比叡山に住みはじめて私の墨染めの袖をもって


作者:前大僧正慈円(さきのだいそうじょうじえん)
慈円 1155~1225 平安末期・鎌倉初期の僧・歌人・学者。関白藤原忠通の子。九条兼実の弟。良経の叔父。
13歳で出家、37歳で天台宗の座主(比叡山延暦寺の僧侶の最高職)となる。第62世、第65世、第69世、第71世天台座主。日本初の歴史論集『愚管抄』を書く。



比叡山に住んで、開祖最澄の意志を継ぎ、この荒れてつらい世の中の民を仏法で包み込み救済し、安心な世の中にするのだ。それが私の使命であろう。         

この歌の舞台になったのは最澄が開いた比叡山延暦寺(天台宗)。
若い僧であった慈円が、伝教大師(最澄)の歌を本歌とし、自らの使命感と理想を詠んだ一首。

慈円の生きた時代は、栄華を極めた藤原氏が段々に弱まり、貴族が衰退して新興勢力の武士の時代へと移り変わる時代でした。
1192年には鎌倉幕府が開かれる激動の時代でした。
 
慈円は後の1220年に日本で初めて歴史を論じた史論集「愚管抄」を書き上げています。
            














最終更新日  2013/06/05 05:19:34 PM
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2013/06/04
カテゴリ:百人一首

百人一首 94番歌

み吉野の 山の秋風 さよ更けて ふるさと寒く 衣打つなり
みよしのの やまのあきかせ さよふけて ふるさとさむく ころもうつなり


吉野の山々にも秋風が吹きわたり、夜もふけ、古都は寒々しくもあり、夜なべ仕事の衣を打つ音が聞こえてくるのです。


作者:参議雅経(さんぎまさつね)
藤原雅経 (ふじわらのまさつね) 1170~1221 平安時代末期から鎌倉時代前期の公家・歌人。鎌倉幕府の第4代征夷大将軍であった藤原頼経の子。蹴鞠に優れ、蹴鞠の元祖である飛鳥井流の祖となる。後鳥羽院に気に入られ、『新古今和歌集』の撰者の一人。



古今集の「み吉野の 山の白雪つもるらし ふるさと寒くなりまさるなり」の本歌取りにもなっています。

本歌取りと云えば優雅に聞こえますね。けっしてパクリとは言いません。
歌のリメイクを歌をつくる技術として評価したのでしょうね。

       
  
            
 
百人一首にはかつて古代の都の離宮があって栄えていた吉野の里(奈良県吉野郡吉野町)がよく登場します。吉野の里が今は古び、晩秋の夜には里の家で砧を打つ音だけが聞こえている、といった内容です。















最終更新日  2013/06/04 09:23:08 AM
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