1733386 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

オンリーワン理念は、思いや志を文字にて表現してまとめたものです。言葉のチカラです。

PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール


新鮮美感@川島

カレンダー

カテゴリ

お気に入りブログ

アベ首相を筆頭に「… New! しっぽ2さん

感謝合掌の日々 New! ヨーガ1950さん

心の故郷特別号 New! よびりん♪   さん

楽天で買える作家モ… New! ひより510さん

運は 人が New! 宋休さん

ご近所に整体院Yu オ… New! 銀河のかっちゃんさん

★宅建の免許より、自… New! コウちゃん9825さん

コメント新着

 新鮮美感@川島@ Re:垣根仕立ての自然薯(06/15) 自然薯の種である、むかごを埋めてから12…
 新鮮美感@川島@ Re:自然薯(じねんじょ)(06/09) 2012年で5年経過と云うことは 2019年の今…
 本人です@ Re:アケビの盆栽をつくってみようと思い立ちました。(10/16) 植え付けてから3年半になります。 3年た…
 新鮮美感@川島@ Re:AIと呼ばれる第4の波 (人工知能)(10/28) 兵器の革新は、火薬➡核➡AI と変革を遂げ…
 新鮮美感@川島@ Re:ウンダラ柿(蜂屋柿)(10/26) この時は、この柿から美味しい柿酢が簡単…

フリーページ

全66件 (66件中 1-10件目)

1 2 3 4 5 6 7 >

郷土の歴史

2019/03/28
XML
カテゴリ:郷土の歴史
静御前堂・供養祭

毎年3月28日は、静御前の供養祭がおこなわれています。
今年も詩吟の会で静御前の吟を12名で吟じてきました。静御前は約800年前に亡くなり全国各地に終焉の地といわれている所があります。当地郡山市にも静御前ゆかりの地名が残り毎年供養祭を開催されています。

外気温8℃ですが西風が吹き屋外は肌寒い中、ふるまわれた甘酒を飲みながら出番を待ちました。終わりには紅白の餅まきがおこなわれ2ヶゲットです。昨年と同じく手を挙げた手の平に飛び込んで来た丸餅が1ヶありました(^_-)-☆

静御前堂の裏には円墳の古墳があります。古墳の上に生えていた木が今年は根元から伐採され無くなっていました。

郡山市田村町細田にある光照寺の念仏堂(明和9年(1772)建立)が建立された12年後の1784年(天明4年)に再建された静御前堂です。共に釘が1本も使われていない建物です。静御前堂の再建するにあたって交流があったとみるのが妥当かもしれません。










静御前堂・例大祭に詩吟の奉吟を仲間12名で参加。終えてからいただいた弁当です。


昨年参加した静御前例大祭2018









最終更新日  2019/03/29 11:21:33 PM
コメント(0) | コメントを書く
2019/03/08
カテゴリ:郷土の歴史
143段の石段を上るとそこには3間四方の念仏堂がありました。明和9年(1772)建立、完成まで31年かけたということです。247年前です。時の将軍は徳川家治 (10代目)でした。江戸神田の彫工による30頭の龍・象・獅子など彫刻が細部にまで施されていて彩色が色落ちているが創建当時はさぞ美しかったことが偲ばれます。














光照寺の念仏堂(郡山市指定重要文化財)

光照寺(こうしょうじ)は、福島県郡山市田村町細田に所在する天台宗の寺院。
正式には阿弥陀山 安養院 光照寺(福島県郡山市田村町細田字宿65)






最終更新日  2019/03/09 04:38:41 PM
コメント(0) | コメントを書く
2018/07/14
カテゴリ:郷土の歴史



「郡山の池と川の歴史地理」を学ぶ
        元福島大学特任教授 高橋康彦先生

郡山市内を流れる阿武隈川のかつての姿はアマゾン川のように蛇行した流れだった。
地図右側の黒い流れが河川改修された現在のもの、水色に塗った部分が過去に流れた部分です。我が家のすぐ近く50m位近くまでかつて流れていたことを知った。
阿武隈川の名前の隈は歌舞伎の化粧、隈どりのように曲がりくねっていることに由来しているのだとか。
(写真は先生に許可をいただき撮影する)

今回の西日本豪雨の件もありますので過去の地形を頭に入れて、どこに逃げればいいかをチェックしておく必要があります。

岡山県真備町の洪水で被災された方が「全国どこでも今後、起こり得るかも」と云っていた。






最終更新日  2018/07/16 01:03:41 AM
コメント(0) | コメントを書く
2018/04/28
カテゴリ:郷土の歴史
法事で龍泉院(群馬県大泉町)に!東門がこの町で現存する一番古い木造建築物であるとweb検索で知り対面を楽しみに出かけました。開山は天文3年(1534年)本堂は2度火災に遭ってますが東門は約400年前の骨組みが今に歴史を伝える。母親の叔母がこの寺に嫁いでいるので親戚筋にあたります。

















最終更新日  2018/05/02 10:15:39 AM
コメント(0) | コメントを書く
2018/03/28
カテゴリ:郷土の歴史

静御前堂例大祭 奉納吟詠 に招集があり初参加する。
郡山の静御前伝説を今に伝える
静御前堂例大祭です。
静御前の命日の3月28日にあわせて郡山市静町の静御前堂にて行われます。

大人の奉納吟詠に比べ、子供(小学3年生)は昔語り。
昔語りはリレー語りで静御前のことがよくわかります。
はたして吟詠はどこまで伝わるのか考えてしまいました。

静御前は22歳の若さでこの世を去った人だったことを知る
郡山に伝わる「静御前伝説」は、平安時代、源義経の恋人であった静は義経を追って奥州平泉に向かう途中、郡山にて義経の死を知り落胆し、22歳の若さで美女池に身を投じたという悲恋の伝え。例大祭は里人がそれを哀れみ御堂を建て、霊を祀ったとの伝説に由来するものです。

静御前堂は1784年(234年前)に再建されたもので、釘を1本も使われていない建築物です。
​​​

イベントの最後は紅白丸餅の餅播きでした。運よく挙げた手のひらめがけて飛び込んできました。1ヶだけですがおみやげになりました。(^_-)-☆​​​​
















​​​​​
境内の桜の蕾も膨らみ始めました。
気温も20℃を超え半袖の子供も見られました。
例年は肌寒い気候が多いという。
会場では甘酒が無料で振る舞われていました。






最終更新日  2018/03/31 12:21:00 AM
コメント(0) | コメントを書く
2017/09/27
カテゴリ:郷土の歴史
安積国造神社に安積発祥の石碑が建っていました。
5世紀から6世紀にかけて大和朝廷が阿尺国造をこの地を統治するのに任命したそうです。この「阿尺」が「安積」の地名の由来とされているようです。

この石碑は柱状列石の六角柱の自然石を使っています。どこから採石してきたのだろうか気になった。













最終更新日  2017/10/01 01:53:08 PM
コメント(0) | コメントを書く
2017/08/13
カテゴリ:郷土の歴史
青面金剛石造(しょうめんこんごうせきぞう)・庚申の本尊



私の実家のそばに現存する歴史的な遺物です。実家の敷地から東南方角に隣接地にある「庚申さま」と呼ばれる庚申塔です。物心ついたときからその場所にあったのですが、いつごろ建てられたものなのかわかりませんでした。気になっていたので帰省した折り、朝の散歩で左右に彫られた文字があることが認識できましたが曇っていて読み取ることができませんでした。午後再度足を運びましたら太陽が顔を出していた関係で石に彫られた文字が陰影で読みとれました。右側に「 上野国 邑楽郡篠塚村」 左側に「 延宝5年」(1677) の文字を確認できました。こどものころの推察でもせいぜい100年位前かなと思ったらなんと340年も前に建立でした。

延宝(えんぽう、正字体:延寳)は、1673年から1681年までの期間を指す。この時代の天皇は霊元天皇。江戸幕府将軍は徳川家綱(第4代将軍)、徳川綱吉(第5代将軍) 340年前に建てられたものとわかりました。現在も年に数回しめ縄を飾って供養されているとのことを隣接する80歳になる方がでてきてくれて教えてくれた。話してみれば母のことをよく知る人でした。

道端にある歴史的な遺産といえるでしょう。昨今は一箇所にまとめられたりしていますが、この庚申さまは、ずっと同じ場所に建っている歴史遺産です。といいましても道路拡張で少し北側に移動されています。昔は盛り土の上に置かれてあったとのことです。現在はコンクリート基礎になっていますが私が子供のころは、コンクリート基礎はありませんでした。昭和30年代、道路拡張前は砂利道で現在の3分の1位の道幅でした。現在は太陽光を浴びていますが当時はうっそうとした林に囲まれていました。今回、文字が確認できましたので340年前に建てられたことがわかりました。

下にも文字があったのですが、判読が難しかったのですが、web画像検索しましたら、どうやら、その場所に書かれた文字は造立者名が連名に彫られてあります。もしや私の先祖の名前が彫られているのかもしれません。





場所は 邑楽町大字篠塚字水立(大字狸塚字十三軒の境)


◆この庚申さまの存在からわかったこと

篠塚村の文字を初めて見た。1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、篠塚村、狸塚村(むじなづかむら)、赤堀村が合併して邑楽郡長柄村が成立ですから篠塚村は長く続いた訳です。

篠塚は篠塚藩と呼ばれた時期があった。2万石だったそうです。

340年以上前からの古い道であったこと。


◆課題

この材料の石はどこから産出した石であろうか。





-------------------------------------------------------------------
庚申山と呼ばれる山が足尾山地にあります。高校時代に何度か登っています。

渡良瀬川の西岸に連なる足尾山地の一峰で、奇岩怪石が多く、鋸11峰が連なっています。日光山開山の祖、勝道上人によって開かれ、古くから信仰登山の山として知られる。猿田彦神社(庚申神社)があり庚申講の本山。登山道口に国民宿舎かじか荘があり、シーズンにはここを拠点としてハイキング、登山、観光を楽しむ人も多い。

-------------------------------------------------------------------
庚申講とは

起源は中国の道教であるとされている。
人間の体内には三匹の尸(し)、 または彭(ほう)=虫が潜んでおり、庚申(かのえさる)の夜、人が眠っている間に抜け出して天帝の もとに上り、その人の罪や過失を告げて命を奪わせるという。眠らなければ三匹の虫が 抜け出せない、ということでその夜は眠らずに身をつつしんで過ごさねばならないとする。
そのための禁忌を道教で守庚申といった。

日本に伝わって変化し、徹夜とつつしみの行事は残ったが三尸虫の伝承はなくなり、行事にともなう 会食・談笑のほうに重点が移っていった。道教の守庚申は日本では「庚申さま」という信仰対象を 祀って礼拝する形となり、その行事が交歓の機会ともなった。

「庚申さま」の本体も青面金剛菩薩、阿弥陀仏、観世音菩薩、大日如来、地蔵菩薩、不動明王、 帝釈天、猿田彦、道祖神など様々である。これらの神仏は現世利益をもたらすとされており、道教の 天帝とは全くことなった、福の神の性格を持っている。  小学館百科事典より






最終更新日  2017/08/15 12:09:05 PM
コメント(0) | コメントを書く
2017/05/06
カテゴリ:郷土の歴史

たのしみは あぶくま川の いにしえに どんな歴史が 尋ね知るとき

みよた橋を渡るときに、あぶくま川の河床が洗濯板模様で白く見えるのが気になっていた。自分の足でその場に立ってみたいと思ったのです。流れの浸食で筋模様ができたののだろうか確認してみたいと思ったわけです。

あぶくま川を昔の人は比較的簡単に渡ったであろうことが推察できました。雪解け水も終わり、田に水を入れるようになるとあぶくま川本流の水量が少なくなります。洗濯板のような河床岩盤が 現れています。渇水期の今だからこそ川底が歩けるかもとウォーキング用ストック持参で現地調査を試みました。渡りこそはしませんでしたが、この位なら往来できたろうことが推察できました。釣り人もいましたが清流とは呼べない川の流れですね。場所は現在、みよた橋のかかっている場所です。ここに橋が掛けられたのもわかるような気がしました。

江戸時代、松尾芭蕉は奥の細道で須賀川方面から郡山に入るときにあぶくま川を舟で渡ったように記憶しています。あぶくま川に橋が架けられたのはいつ頃なのか気になりますね。御代田に橋が架けられたのかいつなのか調べてみることにします。

















最終更新日  2017/05/06 12:48:04 PM
コメント(0) | コメントを書く
2017/02/03
カテゴリ:郷土の歴史
この土器は4000〜5000年前(縄文中期)のものだそうです。
口径約20cm、高さ約30cmほどです。
発掘されたことにより郡山市には太古の昔からの歴史ある街であることがわかるようになりました。はたして、どんな人がこれをつくったのだろうか。平安時代、東北が蝦夷と呼ばれていた。アイヌ先住民族であったかどうかは定かでありませんが、この文様は4000年以上も前から使用されていたことをこの土器から知ることができました。







最終更新日  2017/02/10 08:15:41 PM
コメント(0) | コメントを書く
2016/12/01
テーマ:感じたこと(2924)
カテゴリ:郷土の歴史



子どものころよく遊んだ道ですが半世紀以上経過しますと、まったく同じ景色というわけにはまいりません。農地改修で一枚の田圃の面積が大きくなりました。大型機械で効率よく耕すことができるようにと集積されたわけです。用水堀も倍になったでしょうか。道路も舗装されて車も走れるような幅になっておりました。お墓のある位置だけは昔のまんまです。奥の方には高圧線のタワーがそびえていますが鞍掛工業団地への電気の供給用と思われます。

もうちょっと空気が冷えてきれいになると遠くに浅間山を見ることができるはずです。
100年もたつとここには知った人もすべて居なくなってしまうわけです。
もちろん私も含めてですが、世の中はそうして巡ってゆくわけです。
この時代を生きる、長くても100年余りの寿命を生きるわけです。
ならば遊戯三昧でありたいものですが、健康体であることが基本です。
そしてほどほどのマネーですね。
月の内、半分の15日位は働く心がけでありたいものです。
あるいは遊びながら働く、働くことが遊びみたいな心境で居られる場をつくることですね。

写真は、群馬県邑楽郡邑楽町篠塚下坪谷地内です。






最終更新日  2016/12/07 09:39:58 PM
コメント(0) | コメントを書く

全66件 (66件中 1-10件目)

1 2 3 4 5 6 7 >


Copyright (c) 1997-2019 Rakuten, Inc. All Rights Reserved.