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3.11大震災

2018/10/10
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カテゴリ:3.11大震災

庭の隅に埋め置いた袋の除染土を掘り出して撤去です。
東京電力の福島第一原発の爆発で放射能物質が飛散したわけです。7年かけてやっと移動されるわけです。(2Fベランダから撮影)

除染して庭に埋めたのは2014年4月9日のできごとだったから4年半埋められていたことになります。

梅の木の根が袋の方に伸びていなかった気になっていたのですが、それはなかったので一安心。










最終更新日  2018/10/12 09:13:51 AM
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2016/05/06
カテゴリ:3.11大震災
  • 復興コンサート.jpg


5年前から準備してきた東日本大震災復興支援チャリティコンサートだったそうです。郡山市民文化センター大ホールがほぼ満杯でした。とってもブラボーなチャリティーコンサートだった。バチカンから作曲家もいっしょに来日というより作曲家が総勢200人のオーケストラ・合唱団を率いて世界中で公演を続けている。これまで180曲を超える宗教曲を作曲しているとのこと。宗教には宗教絵画、宗教建築、宗教音楽などなどの分野がある。また献金による漠倍な資金力の背景があるのでそこに芸術の華が咲く土壌が生まれ、その藝術に人々が圧倒される場面もあるわけです。こんな感動的なコンサートをやってのけた作曲家キコ・アルグエイヨ氏ってどんな人なのかググってみなくてはと思った次第です!



作曲家、キコ・アルグエイヨは1939年生ですから今年78歳になる。スペインを代表する宗教画家・建築家であり、現代まれに見る総合芸術家とあります。


画家・建築家・音楽家と現代まれにみる総合芸術家であるキコ・アルグエイヨは郡山の演奏会において演奏のさなか、やおらマイクを握って立ち上がって歌い出した。オーケストラ演奏でこんな場面は見たことがなかったのでキコ氏っていったい どんな人か興味をもったわけですが、オーケストラの作譜も逆転の発想であることを知った!天才とは常識にとらわれない発想から行動できる人であることをかいま見れた瞬間でもあったわけです。






最終更新日  2016/05/07 07:57:51 PM
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2015/08/15
カテゴリ:3.11大震災
  • ミニトマト.jpg



第2次世界大戦はハワイの真珠湾攻撃をした1941年12月8日に開戦し、1945年8月12日にポツダム宣言を受け入れることを決定し、9月2日に戦争終結のセレモニー(日本政府が、ポツダム宣言の履行等を定めた降伏文書に調印した日)、3年8ヶ月25日であった。

いっぽう福島原発事故が起きたのは2011年3月11日の東日本大震災の津波で電源喪失に端を発したメルトダウンである。この8月15日で4年5ヶ月4日である。いまだに原発事故の責任の所在が明らかにされていない。

8.15 終戦記念日。敗戦記念日と呼ぶ人もいる。ポツダム宣言を受諾することを決めたのは8.12 その3日後、昭和天皇のラジオによる玉音放送をもって 終戦を知った國民、 夜の灯りがその日から少しづつ点灯していき明るくなっていったことによって戦争の終わったことを実感したという。今は亡き爺さんから焼夷弾の錆付いた破片を見せてもらったことがある。厚さ1cm、6×15cm位の大きさだった。また庭の隅には防空壕が残っていた。サツマイモの種芋を保存するのに使われていたが東京オリンピックのころ埋め戻されたような気がする。東京空襲で東京が燃えたときは群馬県東部地域の邑楽町から東京の空が赤く見えたという。東京に住む兄弟のところをリヤカーで往復したともきかされました。昭和3年生まれの母から聞かされた戦争の話では女学校時代に学徒動員で中島飛行機に出向き木槌で飛行機・隼をつくったことを聞かされました。また当時は食べ物が無くてフスマでつくられた饅頭を食べたと教えられました。






最終更新日  2015/08/16 04:01:34 PM
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2015/03/18
カテゴリ:3.11大震災
たのしみは どこにあるだろ 仮設にて かいまみてきた 夕暮れのとき 

  • 4年経過してもなお、震災避難された方々は応急仮設住宅に住んでいる人が多いのが福島県の実情です。緑ヶ丘は郡山市の東部地区です。これより東は三春町になります。仮設に残っている方々は高齢者がほとんどでした。

    応急仮設住宅のある緑ヶ丘の集会所に寄り、そこに集っている方々とTV中継の大相撲をみながら四方山話交流をしてきたような次第です。集会所の制限時間は午後5時なんですね5時になると解散でした。緑ヶ丘ニュータウンは郡山市で最大規模の整然とした街づくり計画のもと造られたわけですから応急仮設住宅が目の前にある対比はなんとも酷なものかもしれませんね。


    s-緑ヶ丘.jpg
    応急仮設住宅 「緑ヶ丘」です。

    【郡山市】団地名:郡山市緑ヶ丘東七丁目
    ・建設地:郡山市緑ヶ丘東七丁目27-1
    ・戸数:169戸
    ・完成日:平成23年6月1日
    ・主な入居市町村:富岡町

  • s-11083889_927616880602818_87898974289669251_n.jpg




  • 【三春町】団地名:三春町斎藤場上田
    ・建設地:三春町大字斎藤字場上田227-1他
    ・戸数:16戸
    ・完成日:平成23年7月4日
    ・主な入居市町村:葛尾村
    s-三春 斎藤.jpg



  • 応急仮設住宅地には関係者以外、「無断立入禁止」の看板があります。s-無断立ち入り禁止.jpg


  • 応急仮設住宅建設地はどこにあるのだろうかと検索してみました。検索するときは「検索キーワード」が浮かぶかどうかがポイントですね。建設地住所、戸数など、地図上のマークをクリックすると表示されます。

    福島県応急仮設住宅建設位置一覧図









最終更新日  2015/03/18 03:50:02 PM
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2015/03/11
カテゴリ:3.11大震災
たのしみは 湧きおこること チョイスし こころ躍る日 企画するとき

  • s-11046292_923901754307664_4350126274643081091_n.jpg


けさも雪降る中の朝温泉でした。そういえば、思いだしたのは震災直後は断水が続き、家庭の風呂を沸かすことができなかったので源泉かけ流しの月光温泉は市民が大勢押し寄せて芋洗い状況だった。

3.11 あのときから4年になりました。早いものですね。東日本大震災&原発事故が起こったことによって昨日に続く今日であり、明日につづく今日であると疑わなかった日々が、あの地震を境にして、断水で給水車にならびながら、いったいこの先どうなるのかわからなかった。なぜなら原発が爆発を起こして危機的な状況になった。ライフラインまでもが混乱をきたしてこの先いったいどうなるのか読めない状況が続いた。

そういうときこそ、なるべく普段と変わらぬ行動をと思った。そして、明日をも知れない我が身であることを自覚させられたわけですが、早いものであれから4年目です。


たのしみは朝風呂浴びて湯あがりに オロナミンC口にするとき

  • s-玄関先.jpg


  • s-雪降る朝.jpg


たのしみは しんしんと降る 翌朝の 新雪の中 散歩するとき






最終更新日  2015/03/13 04:30:38 PM
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2014/06/09
カテゴリ:3.11大震災

人によっては原発事故のことをまとめて本にした人もありました。私には、それほどの原稿を書き溜めたものもありませんし、そのための本を出そうという気もございませんがなにかしらの記録を書き留めておこうと思うとこのBLOGくらいしか思い当たらないわけです。

『 メルトダウンしたら逃なくては 』と思ってはいたが テレビ画面からは『炉芯溶融』と漢字表現で報道したので 原発のことをよく理解していない私はメルトダウンと炉芯溶融が同じ意味を持つと判断できなかったわけです。

はたして「炉芯溶融」とは役人の指示による文言だったのだろうか。
しかし、その文言によってメルトダウンだと思わずに逃げ出すことなく居座ったわけです。
放射能の数値もすぐに命に別状があるわけでなし、次第に数値が明らかになると
私の住む郡山市は、それほどビックリする数値と思えなかったわけです。

この国の政府&マスコミは非常時において肝腎なことは国民に発表しないことを学んだ。信頼のおける外国在住の知り合いもいなかったし、地元在住であきらかに私より情報センスの良い方も逃げないでいたようだから、まだ大丈夫と思っていたわけです。遠く県外に移動していった人もおりますが、それはそれ、その人の決断でしょうね。県外で福島県人受け入れを表明していましたが、それは原発30Km圏内の居住者だった人向けと思っていたわけです。

どこまで逃げたらいいのか、どこまで逃げれば安全圏と云えるのか、そもそも安全基準はどこまでが安全かなどなど、その基準値を探そうとするとどこにその基準をもとめたらいいのかとってもわかりずらい。何故ならば過去に前例がないので、国に放射能の安全基準値と云うものさしがなかったわけだから。

メルトダウンしたら逃げなくてはならないと思っていたのは、『 メルトダウン=命の危険 』という図式が頭の片隅になぜか刷り込まれていたのですが、なんということはなくい 『 炉心溶融 』という言葉をつかわれることによって認識スルーとなってしまったというなんともお粗末至極の顛末でしたが、結果、地に足をつけてじっくり構えたといえばもっともらしいのですが、ガソリンが手に入らないという現実問題もありました。






最終更新日  2014/06/09 09:10:48 PM
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2014/03/12
カテゴリ:3.11大震災
  • 玄米ご飯 銀河.jpg


今日のランチは銀河のほとりで玄米ごはん「まかない定食サラダ付き」  お客さんが今日は 主の克子さんは見えないようですがお出かけですかと声をかけると2Fの屋根裏部屋から「ここに居ますよ~」と急な梯子階段を器用に降りてくるのです。

福島原発がメルトダウンして3年が経過です。
メルトダウンしたら福島から脱出するしかないだろうと考えていましたが、、

炉心溶融とか言って何のことやらよくわからないまま、月日が流れて、半年もたってから炉心溶融はメルトダウンのことだったことを知る。

てなわけで、間抜けなのか、まんまと情報操作された結果そのまんま今日まで居座ったまんまです。

アメリカは本国命令で日本在住の米国民は即刻国外撤去の措置をとった。

米国のこの措置を知った福島県民は、情報が知らされないままだけに戸惑った、ある人はいち早く県外に避難したものもおり、多くの人は不安を抱えながらも、放射能は痛みも匂いも姿かたちが見えないのです。そしてできるなら見知らぬところに避難したくない心理があるのです。知識人であるあの人がまだ避難せずにとどまっているわけだから大丈夫だろうという日和見な方も多かった。私もその一人でした。








最終更新日  2014/03/13 10:21:39 AM
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2013/09/12
カテゴリ:3.11大震災


  • 春望.jpg


「国破れて山河あり」と中国の詩人、杜甫は国都長安が戦乱のために破壊されてしまいはしたが、自然の山や河は昔どおりに残っていると詩に詠みました。

福島の原発事故は、2年半も経過しても自宅に近づくこともかなわない人たちが沢山いるのです。自分の家なのに近づくことすらできないのです。福島県民の置かれた状況は、原発事故により、県外に避難している人がいまだに52,277人もいます。(2013.8.12現在)

県外に避難せずに県内の近隣市町村に避難している人も多いのです。

原発のある双葉町には、30年帰れないのではないかとも言われている。

なにしろ未だに汚染水事故は続く、炉心溶融(メルトダウン、メルトスルー)した燃料がどうなっているのかすらわからないのです。放射線線量が高くて危険で近づけない状況です。原子力発電所と呼びますが燃料は核爆発を起こす核と同じなわけです。冷温停止状態になるまで水で冷やし続けないとならないわけです。未だ放射能数値が高くて近づけない場所が多いのです。

30年と云えば一世代です。故郷は、孫子の代になればかつて住んでいた場所という認識に代わってしまうでしょう。第二次大戦を終え、戦後は終わったといわしめたのは高度成長時代の象徴である東京オリンピックであった。はたして3.11以降を震災後ということで、戦後に対して災後というそうですが、2020東京オリンピック、あと7年で災後の復興が成し遂げられるのであろうか。

現在、仮設住宅に住んでいる方々があと7年で復興できるのであろうか。ちょうど昨日が2年半、足して9年半です。アバウト10年で原発事故からの復興をなしとげられるのであろうか。原発の核融合は、ひとたび重大事故により冷やせなくなると温度が上がり暴走して炉心溶融(メルトダウン、メルトスルー)を起こすわけです。ひとたび炉心溶融を起こすと周辺環境汚染をひきおこし人が住めない環境になってしまうわけです。

また、原発を動かすさなかも末端労働者は高額アルバイトで雇われ、被ばく労働から、元気だった青年も白血病でなくなるということが実際に起こっている。先日、浜岡原発で一緒にアルバイトで働いた先輩が白血病で亡くなったと話されたのを聞いた。安全な電気をつくる技術の開発をすすめればいいのだが、利権やら法律やらいろいろあるようですね。








「国破れて山河あり」

杜甫の詩『春望』の冒頭の句 「 国破れて山河あり、城春にして草木深し( 国は滅亡したが山や川はそのままで、町には春が訪れ草木が茂っている )」から。

【意味】 国破れて山河ありとは、戦乱で国が滅びても、山や川の自然はもとのままのなつかしい姿で存在しているということ。

杜甫(とほ、712年 - 770年)は、中国の詩人。中国文学史上最高の詩人として、李白の「詩仙」に対して、「詩聖」と呼ばれている。
杜甫が活躍した時代は日本では奈良時代、712年は古事記ができ、759年万葉集ができた時代です。



【訳】 国都長安は戦乱のために破壊されてしまったが、自然の山や河は昔どおりに残っている。
この城内は春になっても、草木が深く生い茂っているのみで、人陰すら見えない。自分はこのいたましい時世に感じて、平和な春ならば花を見て楽しいはずなのに、かえって花を見ては涙をはらはらと流してしまう。家族との別れを恨み悲しんで、心を慰むべきはずの鳥にも心を驚かされる。
戦火は三ヶ月もの長い間続き、家族からの手紙もなかなか来ないので、万金にも相当するほど貴重に思われる。自分の白髪頭をかくと、心労のために髪の毛も短くなってしまい、役人が頭につける冠をとめるかんざしも挿せないほどになってしまった。












最終更新日  2013/09/12 07:06:58 PM
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2013/07/15
カテゴリ:3.11大震災


3.11東日本大震災の被害は津波もさることながら、原発事故を隠ぺいしようと画策していた東京電力は酷かった。




<それで結構だ>
「この事象をメルトダウン(炉心溶融)と呼びたいというなら、<それで結構だ>」という言い方の東電幹部。反省・謝罪は微塵もない。

<形状をとどめていません>
形状をとどめていないのは、燃料ではなく、原子炉だと・・・
メルトスルー(溶融貫通)の東電風な言い方。







最終更新日  2013/07/15 10:09:18 AM
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2013/03/11
カテゴリ:3.11大震災

3.11から2年目、今朝の散歩中にふきのとうが顔を出しているのを足元で発見、昨夜は-2℃まで下がりましたが、ふきのとうをみると春が近づいているのを感じるものです。一昨日は17℃まで上昇しましたから、、、、三寒四温が続きます、、、

たのしみは 春一番の ふきのとう どう食べるかを 思案するとき

  • s625502_542736622424181_533927505_n.jpg

3.11、原発事故で人生観が大きく変わったという声を多く聞きますが私の場合、そんなに大きく劇的に変わったという感覚は起こりませんでした。

多少のことはありましたが、人生にはいろいろなことが起こるものと思っていたからなのか、地震で家が壊れることもなく、食器棚が倒れて、食器棚のガラスと食器が割れた位だった。地震よりも大変だと思うことも経験していたからだろうか。

いずれにしても人は自分に起こったこと、自分の周辺に起こったことに心を砕くものです。麦踏みという農作業を子供のころから経験して、麦踏み的な経験をしてきたからであろうか。ただたんたんと事象を傍観しながら、その中の立ち位置を確保するかのような自分がいた。

震災直後わがやの近所の日本一の避難所であったビッグパレットにも足を運んでみた。避難所では景色をみるようにその時空間を共有した。このBLOGにそのときの様子も書き込んであるので確認することもできます。主な書き込みを載せてみました。


2011/03/12 ・地震の書き込み

2011/03/15 ・原発ドミノ現象

2011/03/21 ・災害ボランティア: ラーメン炊き出し隊

2011/03/28 ・起き上がれ、立ち上がれ
  • s起き上がれこぼし.jpg


百年に一度という経済ショックの記憶が消えないうちに千年に一度という大震災で大津波が起こり加えて、世界でも類をみないほどの4つの原発が電源喪失からあわや管理不能となりかねなかった大事故が重なったわけです。制御棒を冷却できなくなったら半径250km内には人が住めなくなり、住む場所を移動しなくてはならなくなったわけです。かろうじて冷却することができているので半径30km以内の避難ですんだわけです。

地震の直後の情報はtwitterとfacebookと仲間の掲示板、地元のラジオ福島の放送、この4つが頼りになったことを思い出します。

人が住めなくなる危険があるもの、すなわち人類がまだ完全に管理できないものを燃料源とすることに問題がある。ましてや再稼働させようとするのは暴挙といわざるを得ない。地震活動期に入っていていつまた大地震が起きるかわからない状況にあるのに、まだ安全神話にしがみつこうとするのか。新たなる次なる安全なエネルギーに着目するべきである。












最終更新日  2013/03/11 09:08:07 PM
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