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コラム

2005年09月30日
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カテゴリ:コラム
先日のドラえもんOP変更には、さまざまな反響があった。賛否両論が沸き起こったのは言うまでもないが、その中には、「単なる話題集めの起用」だと評するものも少なくなかった。ここ最近、ドラえもんでも見られる有名アーティストの起用に対しては、そういった評価が目立っている。しかし、冷静に考えると、そもそもこれまでも、(悪い見方をすれば、)話題集めともとれる起用を、ドラえもんだってやってきたではないか?

ドラえもん映画の主題歌を多く手がけてきた武田鉄矢さんも、その記念すべき第1作「ポケットの中に」を作詞した当時は、ドラえもんとほぼ同時期に、「3年B組金八先生」も放送開始され、かなりの人気を集めていたはずである。「金八先生」がドラえもんの歌を作詞というのは、当時かなり話題になったのではないかと思うが・・・

そして、何より1985年の『のび太の魔界大冒険』。主題歌は、人気絶頂アイドルだった小泉今日子。「風のマジカル」がB面に収録されていた「渚のはいから人魚」のレコードは、その当時のオリコンウィークリーチャート1位を記録。その人気ぶりからしたら、これだって話題集めの起用ともとれるだろう。その後も西田敏行、島崎和歌子らが歌っていることも考えれば、別にゆずや島谷ひとみ、そして今回の夏川りみの起用はなんら不思議ではない。

それなのに、なぜこの起用に対しては、冷ややかな意見が目立つのだろうか?それはやはり、武田鉄矢さんの作詞した主題歌(あるいは「風のマジカル」)が、物凄く素晴らしかったからである。映画のテーマとうまく絡み合っていて、まさしく「主題歌」というものを作っていたからである。「話題集め」というものを武田さん(あるいは「風のマジカル」)は一掃してくれた。

だが、最近(傾向として武田さん降板後の97年以降)の主題歌は、「主題歌」と呼ぶにはふさわしくないものまで出てきてしまい、とうとう武田鉄矢さん以外の有名アーティストの起用に対して不信感を募らせるファンが出てきた。結局、それの繰り返しになるだけだと。ダ○ル○ーのような嫌な前例があるだけに、そうなるのは当然のことだろう。

むろん、その気持ちもわからなくはないが、しかし、要は「話題集め」を一掃してくれるものさえ作れば問題はないわけで、それを聞いても見てもいないのに、何やらかんやら言って批判するのは筋ではない。ドラえもんの声が変わったからといって、新しいドラえもんをろくに見てもいないのに、「面白くない、酷い」と、感情的になって批判するのと一緒である。

こういうことは、芸能人の声優起用にもいえる。私自身、芸能人の声優起用には批判的なことをときどき言うが、別に声優に芸能人を起用してはならないと言っているわけではない。もし制作スタッフが、このキャラクターには、(芸能人とはいえ)この人しかいないと言うんであれば、別にそれは構わない。大事なのは、いかにそのキャラクターをその人は演じられているかどうかである。わさドラでも、竹内都子さん(ピンクの電話)のジャイアンのかあちゃんは見事なハマリ役だったし、(個人的な感覚かもしれないが、)「スチームボーイ」のスカーレットの小西真奈美さんは、素晴らしい演技をしていたと思う。「話題集め」を一掃する演技や配役をしてくれれば、芸能人でも構わないのだ。先日も、阿部寛がケンシロウを演じることについてネチネチ言っていたけど、本来ならやってはならないことである。まだ、阿部寛のケンシロウは見ていないので、批判する立場にはない。

それでも芸能人の声優起用に嫌悪感を持ってしまうのは、下手なアフレコをする芸能人が多いためである。そういうのを何度見てきたことか・・・。演技力も声優さんの方が断然上である。そういう人たちの活躍の場が、こんな形で減らされるのはあまりにも苦々しい。

そういったことが繰り返されると、観客の目も厳しくなってくるのは当然である。にもかかわらず、どうして芸能人の声優起用や、主題歌のタイアップが未だに続いているのであろうか?それなりに効果があるからなのか?何かしら利益をもたらしてくれるからなのか?それとも、何か使わざるを得ない事情があるのだろうか?そこらへんのところを、もっと詳しく知りたいところだが、スタッフに聞いても、答えてくれないだろうなあ・・・。

本来ならば、芸能人が起用されて、批判が生まれる状況はあまり好ましくないと私は思う。作品というものをつくっているからには、それなりのベストを尽くして演技をしたり、曲を作ったりするべきである。以前のアニメでは、そういうのがしっかりしていたものが多かったように思う。それがたとえ、芸能人が起用されても、有名アーティストが歌っても。ところが、最近はそれができていないのが目に付く。果たして彼らは、本当に「作品」を作っているんだろうか?これで十分、観客を楽しませられるなどと思い込んでいないだろうか?

配役・起用する製作スタッフもそうではあるが、起用されたにもかかわらず、それなりのベストを尽くしてるかどうかわからない芸能人やアーティストも問題である。彼らは、声優さんのところにいって、演技指導やアフレコ指導なんか受けているんだろうか?原作読んだり、制作スタッフに会ったりして、世界観を確認して曲をつくっているアーティストはいるんだろうか?「ガンダムSEED」のT.M.Revolution(西川貴教)のように、「アニメ文化をサポートしたい」と意気込んで曲を作っているアーティストはおらんのか!!もはや作っている者たち全てが、そういう意識が低すぎるんではないだろうか?

有名アーティストに主題歌を歌わせるのは構わない。芸能人を声優に起用するのも構わない。だが、もはや、確実に観客の目は厳しくなってきている。ナメた作りをしていては、おそらくアニメに対して見向きもしてくれなくなるだろう。そうならないためにも、改めてもう一度「作品」を作るということはどういうことなのか、業界全体で考える必要があるのではないか。


P.S.いまさら気づいた話なんだけど、最近のTVアニメ映画にも、ゲストで芸能人が出てくることが多いけれど、なぜか「名探偵コナン」だけは、芸能人の声優起用がないんだよなあ~。(まあ、そのかわり主題歌に力入れてるけど。)

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最終更新日  2005年10月01日 17時14分25秒
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2005年09月24日
カテゴリ:コラム
9月23日は言うまでもなく、藤子・F・不二雄先生の命日である。1996年のこの日に逝去されてから、実に9年の歳月が流れた。この9年の間、「ドラえもん」は大きく変わってしまったように思う。亡くなられた当初、春休み映画が、当時先生が原作を執筆していた「ねじ巻き都市冒険記」で打ち切られることになっていたそうなのだが、結局その後も映画は作られ続け、TVアニメもオリジナル作品を作ってなんとかいきながらえてきた。しかし、やはり藤子F先生の抜けた穴は大きすぎた。藤子F先生ほどの深みを感じられる作品はなかなか出てこなかった。それどころか、一アニメとして見ても稚拙な作りが目立つようになり、本来の「ドラえもん」らしさが失われつつあるように見えた。

その結果として、原作が読まれなくなっているというゆゆしき事態を招くことになった。以前、富山大の一般向けに開講された特別講義で、横山泰行教授が日ごろ学生と接している率直な実感として話されたそうだが、これだけ知られているキャラクターにも関わらず、原作があまり読まれていないというのだ。考えたら、今の大学生以下の年齢層の9年前は、小学生以下だ。完全にアニメ「ドラえもん」に接しているであろう世代である。が、彼らは下手をすれば、藤子F先生没後のアニメ「ドラえもん」しか知らないことになる。あのアニメの出来を見れば、原作を読もうという気が起こらなくても不思議ではない。原作をしらない人たちが確実に増えていることはもはや否めない事実なのである。

そんな中で今年、ドラえもんは大きな転換点を迎えた。声優が一斉に代わり、ストーリーも原作回帰の路線に。原作回帰の路線は、本当に喜ばしいことであった。このまま行けば、キャラクターとしてのドラえもんが強調されていくばかりで、作品としてのドラえもんが、どんどん知られなくなっていく。しかし、それでいいのか。数々の名作が知られなくなっても。それでは、作品の素晴らしさが後世に伝わらないままになってしまう。真に愛されるキャラクターはそういうものだろうか?

それだけに藤子F先生が送り出してくれたエンターテイメント性のある「ドラえもん」という作品は、何らかの形で伝えていかなくてはならないのだ。世間に対する影響が強いTVアニメにおいては、そういった作りが非常に重要なのだ。それだけに、このリニューアルは間違っていないことだと私は信じている。


しかしながら、反発するファンも多かったのはいうまでもない。声優交代の賛否はもとより、交代の仕方や、そもそも放送を続けることに対して異を唱える者も少なくなかった。(彼らに対しては、いろいろ申したいことはあるのだが、それはおいとくとして、)作品としての「ドラえもん」の残し方としては、彼らの言うようにアニメを作って続けさせずに、再放送で続ける。あるいは、声優はそのままで原作路線に戻す。声優は一斉に変えずに、イメージを崩さないように徐々に変えていく。最低一年の充電期間を置く。作品の残し方にしても、さまざまな意見が目立っていた。

確かに、完全に声優を入れかえ、リニューアルするという方法は、作品の残し方にしては、あまりにも大胆かつリスクを伴う方法ではある。これまでのイメージから、大きく外れるわけだから、ファン離れが起きても当然であろう。しかも、「天才バカボン」や「魔法使いサリー」、「オバケのQ太郎」のように、何度もリメイクされたアニメはあるにしても、それらは間隔をあけてやっていたので、今回のように、間隔をあまり開けずにリニューアルというケースは、これまで前例がない。前例がないから、どうなるかさえもわからない。にもかかわらず、ドラえもんのスタッフはそれをやったのだ。それゆえ、続け方に対しても異を唱える人が多かったのだろう。

「ドラえもん」にしても別の残し方というのもあったのかもしれない。新しくアニメを作らず、再放送で続ける手も一つの選択肢としてあっただろう。最近は「未来少年コナン」が再放送され、「まんが日本昔ばなし」も今秋から再放送もされる予定だ。今後、ゴールデンタイムに、過去の名作アニメの再放送が頻繁になる可能性も否定できない。それを、昔見ていた大人が楽しみ、それについてきて子どもも楽しむ。作品を後世に残す方法として、有効な方法であろう。

しかし、過去の名作の再放送ばかりに頼りすぎるのは、アニメ業界全体としては良くない傾向であろう。それに、昔の名作が、現代の子どもたちに、リアルタイムで見ていた当時の子どもたちと同じような感動を覚えるかというと、そうとは限らない。時代によって、感動させる演出やストーリーなどは変わってくる。「ドラえもん」にしても、過去の再放送を見て、当時の子どもたちと同じように楽しめるかというと、さすがにそうとは限らない。「のび太の恐竜」は、リアルタイムで見ていた人にとっては感動したかもしれないが、私からすれば、もっとこうすれば感動できたかもしれないのに、と思う部分も少なからずある。(もっとも、子供の頃に見ていれば、感想は違っただろうけど。)それでは、クレしん映画の『オトナ帝国』に見られたように、大人たちだけが懐かしんで、子供たちはただ冷めた目で見ることになりかねない。やはり、その時代なりの作り方で、アニメを新しく作ることも大事なのだ。

再放送か、リニューアルか。どっちにしてもメリット・デメリットはあるわけで、作品の残し方としてどちらが有益かはさすがにわからない。それだけに、今回の「ドラえもん」のリニューアルは、そういう点においても非常に興味のある事例といえよう。

こういうことはもっと深く掘り下げて書きたいところではある。海外を見渡せば、ドラえもんよりも長く親しまれているキャラクターが多い。ピーター・ラビットは1901年の誕生から実に100年以上親しまれている。日本でもおなじみのムーミンは、もとはフィンランドの絵本で、誕生から実に60年たっている。ミッキーマウスは70年以上。スヌーピーでお馴染みの「ピーナッツ」は、1950年の誕生からもう55年たっている。ドラえもんはまだまだ若いほうだ。どのキャラクターも、世界中で愛されていることは確かなのだが、その原作自体は、果たしてどれほど祖国の人たちに愛されているのかは、正直言ってわからない。どのような形で彼らは後世に受け継がれているのか、もっと知りたいところであるが、こればかりは、現地取材などをしないと詳細を書くことはできない。機会があれば、いずれまたここで書いていきたい。

藤子F先生のエンターテイメント、いわゆる「F's Entertainment」が、このリニューアルを機に、もっと人々に浸透してほしいのが、本音ではあるが、それはまだ1年や2年ではわからない。今、リアルタイムで見ている子供たちが、大人になっても心に残る作品として、「ドラえもん」を挙げてくれれば、一つの成功と言えよう。それはもう10年ぐらい立たないとわからないかもしれない。

まあ、それを早く知りうることのできる一つの目安は、来年の春休み、「のび太の恐竜2006」が成功するかどうかであろう。それまでに、「F's Entertainment」が一人でも多くの子供たちに浸透してくれることを切に願うばかりだ。






最終更新日  2005年09月25日 16時08分08秒
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2005年08月26日
カテゴリ:コラム
前回の記事はこちら


そもそも私たちファンというものは、どういう立場なのか。それは与えられている立場に他ならない。テレビアニメ・マンガなど、どんな形であれ、私たちは受け取る側の立場なのだ。その立場にいるファンは、その作品が本当に面白いと思うのなら、やはり与えてくれた者たちに対して、それなりの敬意を払うべきではないだろうか。与える側と与えられる側の関係は、本来そういうものではないか。なにもファンレターを出せとかそういうわけではないが、ただその人たちに対して少なくとも失礼なことはやってはならないと思うのだ。

そういう観点から見ると、ファンは、作品を作り出してくれた人の思いを踏みにじるようなことはしてはならないと私は思うのだ。今回の声優交代で、大山さんらは次の声優さんにどんな思いを持って託したのか、その思いは本来なら尊重すべきではないのか?ところが、そんな思いとは裏腹に、「ドラえもん」を終わらせろだとか言う始末。それはファンとして正しい行動と言えるのか?与えてくれた者たちに対して、あまりにも失礼な行為としか思えない。

そう言うと、じゃあ作品に対して意見や批判をいってはだめなのかと言われそうだが、何もそういうことを言っているのではない。意見・批判を言うのならば、それなりの論拠をもって話せばいい。問題なのは、与えてくれた者たちの声に耳を傾けず、論拠を示さず、ただ単純に批判やバッシングをすることだ。それはファンとしてももちろん、人としても、ふさわしい行動とは思えない。

そういう人たちに対して、私は大山さんらの思いを、掲示板に書き込んだりもしたのだが、返ってくる答えというのは、「自分たちにもドラえもんに対する思いはある。今回の声優交代はそれを踏みにじった」というものだ。大山さんらの思いよりも、自分たちの思いの方が大事だというのか・・・なんて自分勝手な・・・


私としては、「ドラえもん」という作品が後世に受け継がれるためにも、そして大山さんらの思いを鑑みても、今回の声優交代というのは間違っていなかったことだと思う。遅かれ早かれ、いずれは来る時だったのだ。だからこそ、イヤだとか言う以前に、大山さんらの思いを確かめてほしいのだ。もっと長い目で「わさドラ」を見てほしいと思うのだ。まだ半年もたっていないこの時期に、声優交代は失敗だったとか、そんな結論を出すのは早すぎる。さすがにその答えが出るのは、1年ではわからない。たぶん5年、10年先にならないとわからないであろう。

まだまだ「わさドラ」にも課題はあるが、長く親しまれるであろう資質は持っていると私は純粋に思っている。それこそ大山さんらが望んだことだろうし、今の「わさドラ」を応援することが、大山さんらへの感謝の気持ちを示すことだと思うのだ。だから、私は「わさドラ」を応援する。


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最終更新日  2005年08月27日 01時17分48秒
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2005年08月22日
カテゴリ:コラム
「ファン」を辞書で引いてみると

スポーツや芸能、また選手・チーム・芸能人などの、熱心な支持者や愛好者。ひいき。(大辞泉)

芸能・スポーツなどの熱心な愛好者。また、特定の俳優・選手・人物などをひいきにする人。(大辞林)


しかしながら、現実においてのファンの姿は、その特定のもの・人に対する愛好という言葉だけで語ることはできないように思う。現実におけるファンの姿というものは、その特定のもの・人に対しての自分なりの価値観へのこだわりもまた持っていると思う。作り上げる作品が示す方向というか雰囲気というか魅力というものは、やはり作品を作り出す者に委ねられる部分が多い。その作り出す者が示した一つの方向に共感できる、あるいは感銘を受けるものたちが、ファンとなっていく。

だが、そのファンの受け取り方自体も、人それぞれ異なってくる。作品というものは、作った者の意図や思いが全ての人にそのまま伝わるというわけではない。どうしても、受け取る側はその作品に対し、自分なりに解釈をして受け取ろうとする。そういうふうにして、ファン一人ひとりが自分なりの作品観というものを形成していく。そのため、作った者が意図していなかった部分にも、作品の魅力が見出されるということもあるのだ。そういった作品に対する自分なりの価値観が、自分はその作品のファンであることを成り立たせている。

一人ひとりの持つ自分なりの作品観が崩されるとき、それこそ「ドラえもん」のリニューアルのような出来事が起こったとき、ファンはどうなるか。自分のドラえもん観にそぐわないものであれば、当然のごとく批判するであろう。大山声のドラえもんがすべてだと思っている人にとっては、今回の声優交代は許しがたいものだと批判する。それと同様に、「ドラえもん」は藤子・F・不二雄の漫画だという人にとっては、藤子F先生没後の大山ドラはあまりにも酷すぎるものだったと批判する。そして、それらの中からは、ファンをやめる者、あるいはアンチドラに転ずる者が現れてくる。今回のリニューアルでは、ドラえもんを終わらせろと主張する者や、リニューアルドラを純粋に見ようとせず、ただあら捜しをして批判する者たちがそうであろう。結局のところ、特定の作品そのものに対する愛情というよりはむしろ、自分のその作品に対する価値観に沿っているかどうかで、判断しているのだ。

それぞれがそれぞれ、特定の作品に対する価値観が異なるものだから、作る側からすれば非常に難しい問題を突きつけられることになる。その方向がファンから歓迎されなかったから、だからこの方向に持って行った。ところが、その新しい方向でも、別の方のファンから反発される。ファンはそれぞれだから仕方のない話ではあるが、これを作る側から見れば、ファンというものは自分勝手なものとして存在していると言ってもいい。

自分勝手な存在、まさしくファンはそういうものだろう。自分なりの価値観を大事にしてきたからこそ、特定の作品への愛情もひとしおだと思うし、それが彼らのファンとしての自分を成り立たせるためのものだったと思う。だから、人それぞれが持つ自分なりの価値観を私は否定する気はない。


とはいうものの、それに固執しすぎるあまりに、ファンとして一番大事なことを最近のドラえもんファンは忘れているのではないかという感も否めない。次回は、そこらへんのところを私の個人的意見という形で書いていきたい。

後編:「ファンという存在(2)

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最終更新日  2005年08月23日 00時41分56秒
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2005年07月23日
カテゴリ:コラム
今週の「わさドラ」は、オールスター中継のためお休みだったのだが、その日の21時からの金曜ロードショーで「ルパン三世」のスペシャルが放送されていた。ご存知のように、ルパン役が山田康雄氏の死去で、栗田貫一氏に交代した国民的人気アニメである。(ところで、ブラッディエンジェルスのソフィ役が能登麻美子というのには驚いた。う~ん、違和感はさほど感じないのだが、ちょっと似合わないなあ・・・。さすがに東城綾、アンゴルモアのイメージが強いから…。)


ルパンの場合は、声そっくりの栗田氏に引き継いで、(言い方は悪いかもしれないが、)運よく生きながらえたが、しかし、ルパン以外の主要メンバーを見ると、すでに60代後半~70代という高齢。不謹慎な話かもしれないが、いつ役を降りてもおかしくないのは紛れもない事実である。では、もしそうなったとき、一体「ルパン三世」はどうする気なのだろうか。

人気のある長寿アニメほど、一番気になる問題として、声優交代というのが必然的に上がってくる。ではどういう形で交代させるべきなのだろうか。声の似ている声優を使う。一気に代える。あるいは、交代させずに終わらせる。選択肢としてはこの3つに絞られると思う。

交代して続けるというかたちであれば、やはりルパンと同様、声のそっくりな声優が見つかればそれにこしたことはない。その方がファンの反発も少なくて済む。が、そう簡単に見つかるものではない。それに、声がそっくりなだけではだめで、それなりの演技力がなければ、務まらないだろう。やっぱり、前任者とはどこか違うものになってしまうだろう。だから、当然ファンの反発はつき物だろう。ましてや一気に代えるとなれば、ファンの反発は2倍、3倍にも膨れ上がるだろう。しかし、作品を存続させるためには、声優交代は避けては通れない道である。


もう一つの選択肢は、もう終わらせてしまう。この人なしのこのキャラはありえない。だから終わらせる。もちろん新しいものが見られなくなるという寂しさはあるが、この人の演じたこのキャラは永遠であってほしい。ファンにとっては、そういう思いのほうが強いだろう。今はDVDが以前よりも売られているから、聞きたければいつでも聞ける。

短期的に見ればそれでいいかもしれない。が、10年後、20年後、30年後…長期的に見ればどうなるだろうか。どうしても若い人たちは、自分と同時代のものに走ってしまう傾向が強い。再放送でもすれば、なんとか後世にも伝えられるかもしれないが、しかし結局のところは、年配だけが盛り上がるといたかたちになってしまう。良作が埋もれてしまうことにつながりかねない。(それでもいいというファンもいるだろうけど)


難しい問題である。声優を交代してもしなくても、どっちもメリット、デメリットはあるわけで、どっちが正しいともいえない。ファンもさまざまな考えを持っていることだろうし、誰が決めるわけでもない。「ドラえもん」にしても、大山さんのまま、あのような形で続けていても、当然ファンの批判はあっただろう。

声優交代をさせるか否か。それは、作品のテーマ性を重視するか、キャラクターイメージを重視するかによって決まってくるのではないかと思う。「ドラえもん」の場合は、(本当は一言では表せないほどいろんなものを持っているのだが、)子供たちに夢と希望を与え、楽しませるという、「ドラえもん」の作品において一貫したテーマがあった。そのテーマ自体を守り、後世に伝えていくことが重要だと、スタッフは考えたのだろう。大山のぶ代さんら前声優陣も同様に思っていたことで、これはスタッフ・キャスト陣の総意であったわけだ。だから、思いきった声優一斉交代ということをやったのだろう。

だが、これをやろうと思ったら、かなりの覚悟がいる。キャラクターの演技自体も、作品の出来に大きく左右される。すでに一体化したキャラクターが崩されるわけだから、作品自体も大きく変わってしまうかもしれない。当然、ファンの反発は避けられない。やるにしても、リスクの少ない方法、つまり声の似た声優に交代させるのが望ましいだろう。それも段階的に。あるいは、もう他に適任はいないというのなら、作品自体を守るために終わらせるという選択をするだろう。キャラクターイメージを大事にしたいのなら、その方法が望ましい。しかし、現実問題、完璧にやるのは難しいだろう。


結局のところ、どの選択肢が正しいかどうかなんて我々が決められるものではない。最終的には、やはりスタッフが重要だと思った路線に落ち着くのが筋である。たとえ、批判するファンが現れたとしても。そのスタッフの示した方向性をしっかり見た上で、もし自分に合わないようなら、それは見なくて構わない。人気があるといえども、嫌いな人だっているのだから。

はたして、「ルパン三世」がとる道は・・・?


さすがに、反対派に「わさドラ」推奨論を唱えるのにも、そろそろ限界というか、もういいだろうという気がし始めたので、少しまとまりのない文章だったが、最終結論のような形でこの記事を書かせていただいた。まあ、ファンがバラバラになってしまうことは寂しいのだが、やはり仕方のないことか。もちろん、私は「わさドラ」を今後も応援していくし、毎週見ていくつもりだ。

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最終更新日  2005年07月23日 14時29分41秒
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2005年06月18日
カテゴリ:コラム
最近、仕事が急にベラボーに忙しくなってしまい、更新が滞ってしまった。しばらくこの状況が続きそうなので、当分の間は週末に一気に更新というかたちが続くということをあらかじめお伝えしておきます。


6日ほど前の話になってしまったが、フジテレビで放送された「ウチくる!?」に、大山のぶ代さんら前メイン声優陣が出ていたそうな。この番組は一応、関西でもやっているんだけど・・・放送は関テレではなく地方ローカルのサンテレビKBS京都。私の住んでいる奈良では、ケーブルテレビに入らないと見られないため、見ておりません・・(泣)。内容はとてもよかったようなので、それだけに非常に残念だ。(ちなみにこの番組のナレーションは、現のび太ママ役の三石琴乃さんである)

その番組終了後、ファンサイトの掲示板には、番組の感想に加え、「わさドラ」を批判する書き込みが目立ったという。一方で、まだ「わさドラ」自体、2ヶ月しかたっていないにも関わらず、前声優陣が堂々とテレビに出て声を出すというのはいかがなものかという意見が掲示板やブログに書かれていた。

さすがに、前声優陣はしばらく声を出すなというのは私は賛同しかねる。第一、「わさドラ」放送開始後も、大山ドラのDVDは今後次々と発売されるし、声を耳にしない状況を作り出すことなんて困難である。それに、声優は確かに変わったけれども、「大山ドラ」は「大山ドラ」、「わさドラ」は「わさドラ」でしっかり割り切ればいい話ではないだろうか。

どうも、何かにつけて「大山ドラ」と比較して、「わさドラ」への感想や批判、意見を言おうとする者が目立っているような気がしてならない。声や話し方もそうだが、作画や演出にいたっても、そのようなことを言う人が少なくない。もう少し割り切って見られないものだろうかと思ってしまう。

別物とまでは言わないが、「大山ドラ」も「わさドラ」も、やろうとしている(していた)ことは一緒だと思う。藤子F先生の「ドラえもん」をうまくアニメにして子供たちを楽しませる、それに尽きると思う。ただ声優やスタッフが変わっただけの話なのだ。

26年という長い歴史をわさびさんらは受け継ぐ形となったとはいえ、決して彼らは「大山ドラ」の延長でやっているわけではない。あくまでも自分なりの「ドラえもん」、「わさドラ」を作り上げようとしているのだ。「大山ドラ」に似せようとしても、「大山ドラ」には決してなりきれないし、逆に質の悪い作品になってしまう。ならば、「わさドラ」には「わさドラ」なりの魅力のある作品を作るのがベストだ。だからこそ、もっと作品そのものに対して、見る者は真正面で向かい合うべきではないだろうか。

確かに「大山ドラ」は、(末期の迷走があったとはいえ)とても魅力のある作品を作り出してきたと思う。中には原作にはないアニメオリジナルの作品もあったが、「ドラえもん」の世界観を大事にしていて、一アニメ作品としても非常に完成度の高い良作もあった。その点は認めるが、「わさドラ」もまた純粋に楽しめる作品に仕上がっていると私は思う。それこそ「どくさいスイッチ」は原作以上に大いに感動できたし、まだまだ不満なところはあるとはいえ、今後も質の高い作品を次々と生み出してくれるのではないかと期待している。もちろん、来年の映画にもだ。


いまやキャラクターグッズが溢れるほどの人気になったドラえもんだが、こうした今の人気があるのは、やはり原作・アニメ共に、作品そのものに魅力があったからこそなのだ。今回の「ドラえもん」リニューアルは、原作回帰を最大のテーマとしている。ならば、見る者もまた、作品そのものを楽しむという原点に帰るべきではないだろうか。何といっても、一番の視聴者である子供たちは、そういう風に見ているのだから・・・・。


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最終更新日  2005年06月18日 10時50分14秒
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2005年05月04日
カテゴリ:コラム
 ドラえもんをはじめ、ポケモン、アンパンマン、ハローキティなど数多くの世界的人気キャラクターを生み出している日本。もはやキャラクター大国といっていい。そのキャラクターグッズは、子供向けのものだけでなく、大人に向けたものにまで広がっており、その数は無数である。そのキャラクター市場は、実に1000億とも、2000億とも言われており、日本経済にも大きな影響を与えていることは、周知の事実である。

 だが、そういったキャラクター商品の氾濫の一方で、そのキャラクターの原点ともいえるべき作品そのものの本質、つまり、筆者がその作品を通じて伝えようとしているメッセージや、その作品に込められた思いなどといった作品性そのものが、いまひとつ忘れがちになっているのではないかという気がしてならない。愛知万博の「サツキとメイの家」の保存先をめぐる誘致合戦などという、「となりのトトロ」のキャラクター性にしがみついているようなことが起きているが、では宮崎駿が「となりのトトロ」を通じて、伝えようとしたことは何だったのかを知っている人はどれくらいいるのだろうか?やなせたかしは、どのような思いを込めて「アンパンマン」を書いたのか、それを知っている人はどのくらいいるのだろうか?

 別にキャラクター商品の展開を批判しているわけではない。作品の知名度を上げるために、その中でわかりやすいものとなるキャラクターの商品展開は必要なことである。が、最近は「忍者ハットリくん」や「タイムボカン」シリーズなどといった、本来なら子供向けであったはずのアニメのCR台が出るなど、キャラクターそのものが私たちの想像以上に、一人歩きをしている。そうするうちに、作品そのものを知らない人にとっては、その容姿を見るだけで「かわいい」だとか「かっこいい」だとか、そういった表面的なイメージでしか、キャラクターをとらえなくなる。作品の知名度を上げるためのはずのキャラクターが、逆に作品から人々を離していくという恐るべき現象を生み出しているのだ。それゆえ、キャラクター性と作品性のバランスを考えないと、かえって作品そのものの重みが失われる。

 そうしたキャラクターとしてのイメージの増大は、時として作品の面においても影響を及ぼす。つまり、キャラクターイメージにあった作品にしないと、ファンが付いてこないといったことになる。だが、そうした作品づくりは、本来もっていた作品そのものの良さを殺すことにもつながる。

 それこそ「ドラえもん」は、キャラクター性の増大によって、作品としての質を落としてしまった悲しい例といえよう。特に、最大の監修者とも言える藤子・F・不二雄先生の死去が、一番の転機となってしまったように思える。製作スタッフとしては、藤子F先生の魂を受け継ぎ、新しい「ドラえもん」を作り上げようとしたかも知れない。だが、「保護者」「かわいい」といった、本来ならばドラえもんの一側面に過ぎないイメージが、キャラクター性の増大によって広く知られ、そして強まり、それに合った作品づくりを強いられることになった。その結果、(アニメにおける)しずかちゃんの入浴シーンも消え、キャラクターデザインも原作から外れたものになってしまった。かつてのように、原作とうまくバランスをとっていたアニメドラえもんの姿は、そこになかった。

(たぶん多くの方は、アニメ「ドラえもん」に対しては、子供の頃に見ていたアニメのイメージが強いと思うが、2年前のOP・EDリニューアルなど「ドラえもん」のアニメは、時代を経るにつれ変質している。このことについては、MISTTIMES.COM Blogのこの記事が詳しいので参照してほしい。実際に見てみたいという方は、一昨年の『ふしぎ風使い』、昨年の『ワンニャン時空伝』を見てほしい。黄金期と言われる『のび太と鉄人兵団』と見比べれば、一目瞭然である。)

 そうした傾向に、製作スタッフもうすうす気づいていたのではないだろうか?声優・スタッフの交代は、高齢化というのが最大の理由ではあるが、もうひとつの理由は、増長してしまったキャラクター性によって、失われてしまった作品性を取り戻すためのリニューアルではなかっただろうか?


 作品性とキャラクター性。どちらを重要視するかは、そのアニメの方向性にもよるところがあるので、何ともいえない。だが、それらをうまくバランスを取り合ってやっていかなければ、どんなに作品が素晴らしいものであっても、その作品の本質が伝えられないままで終わってしまう。それで本当に後世に伝えられるものになるのだろうか?キャラクター性だけだと、もはや今後出てくるであろうアニメ・漫画に取って代わられることは目に見えている。これは「ドラえもん」に限った話ではない。先の「となりのトトロ」にしても、「アンパンマン」にしても、作品ありきで生まれたキャラクターにも関わらず、それが忘れ去られている気がしないでもない。一度「かわいい」とかという感情を抜きにして、「となりのトトロ」を見てはどうだろうか?「アンパンマン」の絵本を一度読んでみてはどうだろうか?「ドラえもん」の原作を読んでみてはどうだろうか?きっと、これまで気づかなかったことがわかるはずだ。


<5/5追加>
「わさドラ」反対だと言う方は、ぜひこの記事読んでください。↓
MISTTIMES.com Blog「わさドラへの期待」


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最終更新日  2005年05月04日 13時46分56秒
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2005年04月13日
カテゴリ:コラム
先日、ドラえもん新声優陣にまつわる報道についてのブログを書いたのだが、改めて読み返してみると、非常に感情的になってしまって、少し偉そうに書いてしまい、どこか矛盾した内容になってしまった。さらに、後で声優業についてのご指摘も受けたので、補足記事という形で改めて書かせていただく。

本当はこんなことを話してもよいかどうか、判断に迷うところなのだが、先日あんなことを言っておきながら、実は十二分に調べてなかったところもあり、それでは申し訳が立たないので、あえてここで取り上げさせていただく。なお、決してこれは、多くの声優さんの名誉を傷つけるためではないということをあらかじめお伝えしておく。


ドラえもんの新声優陣の18禁Hゲーム出演についてだが、未成年の木村君が出演していることは、常識で考えて完全にガセである。だが、その他の4人については、実はそうとも言い切れないのだ。

実は18禁Hゲームに、アニメ声優が裏名で出演していることは良くあるケースなのだと言う。現在、週5本以上のレギュラー番組を抱え(子供向けも含まれる)、若い女性に大人気の男性声優K氏も、裏名で何本かのHゲームに出演経験があるのだ。また、水田さんが所属する事務所には、年間数十本ものHゲームに出演しているほど、その方面では人気の女性声優も所属しているのだが、その彼女もHゲームでは裏名で出演している。さらに、旧スネ夫役の肝付氏が主宰する劇団にも、Hゲームに出演経験のある有名声優がいる。

声優業界は、同じ役者でも俳優ほど恵まれているとは言い難い。ギャラは年功序列で決められていると言われており、30分1本で、新人声優の場合は1,5000円前後。10年ぐらい経験を積んだ中堅声優でも、40000円台だという。レギュラー一本持っただけでは食っていけないのが実情なのだ。あとは、舞台・ナレーション・ラジオパーソナリティ・歌手として収入を稼ぐくらいだが、それも人気がなければ無理な話。そのため、食っていくためには、あるいは経験を積むためには、仕方なく…というよりは、仕事と割り切ってHゲームに出演しているケースが多いのだ。

それを言うなら、私も、彼らと同様、パソコンのスキルを上げるために、それと次の仕事へのつなぎとして、アダルト系出会いサイトがらみのバイトをしている。騙されたとはいえ・・・。

そんな裏事情もあり、Hゲームに出演しているという噂が間違っているとも言い切れないのだが、そうはいうものの、それぞれがHゲームに出演しているという根拠が明確に示されているわけでもなく、またそのゲームに出演している声優が、彼らと同一人物であるということも未確認である。そんな未確認の情報を、確証を得ていないにもかかわらず、本当であるかのように伝えてしまうというのはいかがなものだろうか?

未確認の情報を伝えるべきか、そうでないかについては、いろいろと意見が分かれるだろうから、何といえないが、ただ、それをもてあそんで、多くの読者に誤解を与えたり、困惑させたりするというのは、なんとも甚だしい。そっちの方が遥かに、子供たちの夢を壊している。

新声優陣がHゲームに出演していたかどうかにはもう触れないが、困るのはこの情報を真に受けた親御さんが、子供たちに「ドラえもん」を見せないという言語道断なことをやってしまうことである。
その論理だと、子供たちに人気のある山寺宏一さんは、かつて『エヴァンゲリオン』で三石琴乃さんとともにベッドシーンを演じたことがあるのだが、その山寺さんが出演している『アンパンマン』や『かいけつゾロリ』も見せないということになってしまう。

声優というのは、いろんな場面設定や雰囲気、それに登場するキャラクターの心情をうまく読み取り、それに合わせた演技をするのが仕事である。これは、声優に限らず、俳優業にも言えることである。彼らは役者である以上、求められたものをこなさなければ、プロとはいえない。にもかかわらず、そんな行動をとる大人は、はっきり言って役者の本質を見誤っているとしか言いようがない。そんな人が出てこないことを祈るのみである。


なお、旧声優陣が唐突の声優交代に怒っているという報道は全くのデマであることに変わりはない。サンデー毎日3月6日号の大山のぶ代インタビュー、女性自身4月12日号の小原乃梨子インタビュー、女性自身 4月19日号の野村道子インタビュー、TVBros.4月2日号の肝付兼太・たてかべ和也インタビューと、続々旧声優陣のインタビューが報じられたが、みな交代をしっかり受け入れている。また、『カミさんはドラえもん』(砂川啓介著・2001年・双葉社)の中でも、大山のぶ代さんは交代を考えている発言をしていたし、『20周年だよ! ドラえもん ザ・ムービー』(1999年・キネマ旬報社)では、5人の対談の中で、最後に大山さんが「いずれは交代しなくちゃならない」と言っていた。本当か?と思う方は、自分で読むように。

さて、ここのところ、ドラえもんの新声優陣は、もう『ドラえもん』以外には出ないのではという噂が広がっているが、さすがにそれはないのでは?『ドラえもん』だけで食っていけるとは考えにくい。事実、かかずさんは『創聖のアクエリオン』『ストラトスフォー』に出演しているし、関さんだって、新番組の『フタコイ』が始まったばかりだ。また、近々ヘロQの公演も控えている。水田さんは、『あたしンち』の川島役をどうするか気になるところだが、川島は結構気に入っているし、最近ビデオ借りて見てみたが、川島はやっぱり水田さんでやった方がいいと思う。大山さんとは違い、いろんな声が出せるので、『ドラえもん』だけにしておくのはもったいない気がする。大原さんと木村くんは、一声優としても将来が物凄く期待される。『ドラえもん』を通じて成長してもらって、いろんなアニメで大活躍してもらいたい。そんなわけで、新声優陣にはかなり感情移入してます。


最後になりましたが、先日の記事にご指摘いただきましたMISTTIMES.comのTOJHOさん、本当に有難うございました。


「“わさ”ドラ」放送開始まであと2日!!

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最終更新日  2005年04月14日 01時51分29秒
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2005年04月11日
カテゴリ:コラム
以下の記事についての補足

もうすぐ「“わさ”ドラ」が始まるというのに、ここに来て水を差すようなことばかり起きる。本当はこの話題は取り上げないでおきたかったのだが、あまりの報道の横行ぶりに、ついに我慢の限界が来た。もう言いたいこと言わせていただきます。

その新声優陣にまつわる話題というのが、ネットで噂になっている18禁ゲーム出演疑惑である。だが、彼らは本当に18禁ゲームに出演していたのか?

以下が、新声優陣が出演していたと言われているゲームである。

「陵辱痴漢電車」「鬼医者」「凌辱コンビニ 店長やめてください」「性愛学園ふぇち科」「姉ちゃんとしようよ!」「はじめてのおるすばん」「KANON」「炎多留」「炎多留II 魂」 「い・い・な・り」「しゃぶり姫」「悪っ外伝~悪夢のラッシュアワー~」

これらの公式ページなどを調べてみたのだが、「kanon」のアニメ版に、関智一氏が出演していたことを除いては、いずれもキャストの中に新声優陣の名はない。その関氏が出演していた「kanon」は、確かにもともと18禁ゲームではあるものの、全年齢向けの商品展開も積極的に行っており、アニメ版も18禁ではない。

おかしいのは、未成年の木村昴くんも出演していたということだ。常識で考えて、未成年が18禁のアニメ、ゲームに出演することは、犯罪行為である。それに、未成年である以上、木村くんの親も、息子がどんな仕事をしているのか把握しているはずである。黙って出演というのはまずありえない。

つまり・・・・この報道はガセということだ!!!!


以前にも、「コロコロコミック」に載っていた公式情報として、ドラえもんの新声優が江原正士氏になったというウソの記事が伝えられたが、まさしくその二の舞である。しかも、今回は、新声優陣の名誉を傷つけかねないものであり、ニセ新声優発表よりもたちが悪い。

この手のニセ情報は、おそらく2ちゃんねるから発したものと思われるが、一体誰が何の目的でやったのだろうか?単なるエイプリルフールのようなお遊びでも許されないが、声優交代に反対して、新声優陣を陥れるために行ったこととすれば、もう人間として最低の行為である。

こんなニセ情報を流す奴もそうだが、この情報を疑いもせずに信じ込んで、いろんなところにたれ流す奴らも同罪だ。彼らには情報を疑うということを知らないのか?ネットの情報はみなホントのことだと思い込んでいるつもりか?日本人のメディアリテラシー能力は一体どうなっているんだ?

ネットだけならまだ良かったのだが、これが「東京スポーツ」や「週刊現代」(今日発売号)にも取り上げられ、あたかも本当のことであるかのように書かれたというのはもう怒りを通り越して、あきれてものが言えない。しかも、「週刊現代」に至っては、スネ夫役に決まった関さんが、前任の肝付さんに電話をしたところ、「どんなご用ですか?」と流されて切られてしまったというエピソードが取り上げられたのだが、これはちょうど肝付氏が電車に乗っていてよく聞こえなかったからそうなってしまっただけの話にもかかわらず、「唐突の声優交代に、前任の声優陣が怒っていたため」と曲解されていた。むろん、声優交代劇は、すでに昨年の5月ごろに大山さんらに話が来て、その大山さんら自身も数年前ぐらいから、交代を示唆する発言を雑誌などでしており、ちょうどいい機会と判断して交代を決めたので、そういった事実はまったくない。

それなのに、校閲を経ているはずの紙媒体が、ネットの情報を信じ込んでしまうというのは一体どういうことなのか?(もっとも東スポや現代は、もとからそうだけど。)もはや、すべての情報は、ネットから手に入る時代なのか?
それはいくらなんでも違うだろ!!

確かにそりゃ、テレビ、新聞など既存メディアが伝えない真実を、ネットはブログなどを通して伝えてくれるかもしれない。だがそれはあくまで、しっかりとした情報元があって成り立つものであって、その大前提を無視して、情報をたれ流し、そしてそれを真に受けてしまうのは、いかがなものか?まだこの話題そのものが小さかったからいいものの、もし、重大事件に関わるようなことだとしたら、それこそ冤罪を生むことにもなりかねない。

インターネットとマスメディアとの融合といったのが、最近叫ばれてはいるが、まずは氾濫する膨大な情報の中から、どれが正しく、どれが間違っているのか、それを判断するメディアリテラシーは、必要不可欠となってくる。日本人は、そのリテラシー能力があまりにも欠如している。メディアリテラシーの能力を育てる教育がもはや必須だ!!

メディアリテラシーというのは、そう難しいものではない。要は、その情報元がどこにあるのかを探せばいい話である。仮に「情報元:○○」と書いていても、それで流すのではなく、実際にその情報元を見てみる。それだけでも、本当のことかどうか確かめられる。実に簡単なことである。さきのニセの新声優情報だって、コロコロコミック3月号に書いてあったとは言ってたけど、実際にコロコロ見たらそんな記事は載ってなかったし。

メディアリテラシーの参考になるかどうかはわからないが、情報を疑い、調べるということについては、と学会の『トンデモ超常現象99の真相』や山本弘氏の『こんなにヘンだぞ!「空想科学読本」』が、物凄く長けている。いずれも、超常現象や『空想科学読本』を徹底的に疑って、自ら調べ上げて、真相を究明している。山本氏は、伝えるということについてはかなりしっかりした考えを持っておられるので、大いに参考になるかと思う。

私もまた自戒の意を込めて、情報を疑うことを心がけたいと思う。



誰が何と言おうと、私は新声優陣を応援します!!
「“わさ”ドラ」放送開始まであと4日!!

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最終更新日  2005年04月14日 01時50分29秒
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2005年03月10日
カテゴリ:コラム
もう残すところ、現声優陣でのドラえもんの放送は、あと2回となった(25日の『ワンニャン時空伝』放送を除けば)。新スタッフ・声優陣を迎えようとするドラえもんに対し、未だに抵抗を覚えるファンも多いことだろう。さまざまな意見が上がった今回のドラえもんリニューアルについて、今更ではあるが個人的意見を述べたいと思う。


声優陣の交代については、かねてから大山さんらが考えていたことであった。今後も「ドラえもん」を残していくためには、次の世代に受け継ぐべきだと。

そんな大山さんらの思いとは裏腹に、声優交代に反対するファンは多かった。ドラえもんの声は大山さん以外にありえないと。それはつまり、大山さん演じるドラえもんの声が、よほど人々に浸透していたことの証といえる。そして、交代させるぐらいなら終わらせるべきというファンも少なくなかった。そうした意見も、前記の理由であることもそうなのだが、それだけではない。藤子F先生没後のTV・映画の質の低下に困惑していたファンが、リニューアルでさらに質の低下を招くのではという制作陣に対する不信感からというのも少なくなかった。

そして、映画は『のび太の恐竜』のリメイク版を作ることになったのだが、これについても賛否両論が起こった。公開当時のイメージのままにさせてほしいというのが、否定派の共通した意見であろう。

だが、テレビも映画も終了させてしまっていいのか?


テレビも映画も終わらせてしまうと、もはや「ドラえもん」の活躍の場は、漫画やキャラクターグッズといったところでしか用意されない。まだ漫画があるからいいというファンもいるだろうが、しかし、問題なのは・・・そんな状況で、果たして子供たちは「ドラえもん」を受け入れられるのかということだ。

キャラクターグッズを通して、ドラえもんのファンになる子供たちは出てくるであろう。が、それでは、もはや「キャラクター」としてのドラえもんが先行するばかりで、肝心の原作の部分を知らないままで終わってしまうかもしれないのだ。漫画があるからいいだろうという人もいるだろうが、しかし、数多くの漫画の中から「ドラえもん」を選ぶ子供たちは出てくるだろうか?キャラクターグッズを通して、原作に触れるものもいるだろうが、子供たちはたいていテレビアニメを通して、原作に触れるケースが多い。アニメのない「ドラえもん」の単行本を手に取ってくれる可能性は、低くなるばかりではなかろうか・・・。

『恐竜』のリメイクにしてもそうである。今の子供たちは、果たして「ドラえもん」の本質というものを知っているだろうか?それを伝えないままで、「ドラえもん」は本当に後世に受け継がれるのだろうか。だからこそ、今、必要なのだ。“原作回帰”が。真の「ドラえもん」の魅力を、改めて子供たちに触れてもらうためにも。それだけに、今回“原作回帰”を大きく掲げている新しい「ドラえもん」に大いに期待している。

リニューアルが成功するか、失敗するかは、もう新シリーズが始まってからでないとわからない。未知数なのだ。ここは一つ、見守っていこうではないか。たぶん新スタッフ・声優陣も、それなりの覚悟を持って挑んでいることだと思う。とにかく、現声優・スタッフ陣にはお疲れ様と言いたい。そして、新スタッフ・声優陣には、心からエールを送りたいと思う。


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最終更新日  2005年03月11日 01時50分38秒
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