Free naturalist Free tourist

2007/09/12(水)13:10

西安への列車の中

1995中国旅行(編集期間'07年8月-10月5日)(22)

■西安への列車の中 238次 直快 西安行きの列車は定刻19時12分に成都駅を静かに滑り出した。 今回の西安までの寝台は硬臥。寝台は3段で軟臥と違い、見た感じ庶民と分かる人たちがたくさん乗っている。 西安までは150元(=約1.680円)でとても安い。 だけど、車内は軟臥と違いゴミの散らかりようはケタ違いだ。 何でも窓からゴミを捨てるし、足元にタンを吐く。これから1泊乗る車両なのにタンを床に吐いたら汚いだろう、と思うが日本流に言えば「アホなので仕方ない」前はもっとイライラしてたけど、僕はこういうことに随分慣れた気がする。 夜になった、時折思い出したように停車する駅名を窓から見て時刻表と照らしあわすと30分程度の遅れのようだ。中国では30分程度の遅れなど全く問題ではない、というか中国では問題にしてはいけない。逆に時間にルーズな国での旅行に合わせることができる自分の時間の余裕に感謝をしたいくらいだ。だからイライラなどしない。 外は雨が激しく降っている。僕は寝台に仰向けになって成都での日々を思い出していた。 体調不良のまま乗り込んだ街。最初から街に親しみや優しさを感じた。この街で僕は始めて自分の旅行の一つのスタイルを持つことができた。 日本ではテントを持って北海道や九州、日本全国を旅行した。テントがないときは駅舎や公園で寝たこともあった。これは治安や気候のいい日本だからできることだ。自分は旅慣れた人間だと思っていた。だけど中国に来てから、治安はもちろん文化の違いで旅行の仕方も大きく変わることを学んだ。サービス精神の無い国での旅行に本当にとまどった。 例えば、どこの国でも闇両替は違法だが、杭州の中国銀行内で銀行の警備に闇両替を持ちかけられた時は驚いた。しかも兌換券がなくなっているので、闇両替には全く意味がない。目の前の窓口と一緒のレートを提示するだけだ。(手数料分程度の利益かな?) 目の前の窓口で正規に両替できて、数十円も変わらないのに誰がそんな怪しい警備から両替するのだろう?わけが分からない。 銀行にいる警備が信じられなかったら、何を信じればいいのだろう? ちょうど、中国に疲れていた時期でもあったし、湿気と暑さで頭の中の回転スピードも落ちているときだったので、中国らしくない綺麗な銀行の中で、僕は白昼夢のような、どこかに突き落とされてしまうような、そんな錯覚を感じていた。 ちょっと大げさだけど、信じるものを失いそうな・・・そんなショッキングな出来事だった。 僕は、そんな常識が通用しない中で旅行を続けた。日本の常識をいったん崩し、新たなスタンダードを自分に構築する時間を過ごす間に精神的にも疲れ、体調も悪化していった。 結局僕は成都の街で精神的なリハビリに成功したのだと思う。それは自分なりの旅行のスタイルに気付き、世の中には別の国があり、そこには全く別の常識があるという当たり前のことを身をもって感じたことでもある。 僕は今まで生きてきた自分がいやだった。その全てを壊し、新しい自分になりたかった。その気持ちが別の国のスタンダードを受け入れさせた。 それは同時に、実に僕は客観的に、中国のソレを受け入れることができたように思う。 もし、僕のような理屈を捏ねてしまう人が「今までの自分も好き」な状態で、中国に来ても、文化の違いに対して、単に反発するだけのような気がする。 僕のリハビリをしてくれた成都は三国志の中心となった街だ。ずっと言ってるように僕は中国の歴史には疎い(歴史全般だけど)だから興味が無い。 交通飯店で一緒だった旅人の多くはレンタサイクルや路線バスで様々な史跡を巡っていた。 成都は四川省だから、パンダの本場だ。だけどパンダ見るためにわざわざ1日を費やす気にもならなかった。 僕は成都にいた7日間ほとんどの時間を交通飯店の前の川沿いにあるフラワーカフェで過ごした。そして他の旅人の話を聞いた。僕は観光地に振り回されないスタイルの旅行が楽しくなった。 別に日本に来たら「京都」に行かないといけないわけではないし「京都」に行ったら「金閣寺」に行かないといけないわけでもない。京都の整備された、あの碁盤の目のような「通り」に迷いながら街を歩き、「五条通」に都だった頃の京都へ思いを馳せてみるだけでも、京都の良さは感じることができるだろう。 東京の渋谷駅前の交差点が見えるカフェに1日居るのと、京都嵐山の川沿いのカフェで時間を過ごすのでは、感じる街の空気が違う。どちらがいいとか悪いとかそういう問題ではなく、事実としてそうなだけだ。 僕が成都でたくさん話をしたほとんどの旅人が「自分探し」の旅というニュアンスを持っていた。 中国に留学していて夏休みだから旅行している、といった人とは、全く感覚が違っていた。 時々、自分を見失っているのではないか?というほどキケンな香りを持つ人もいた。日本の日常を受け入れることができないのだろう。 僕は話を聞いているときに、ある旅人はそのままアジアを旅行し続けると、もはや日本で社会復帰できないのではないか?とも思うことがあった。 そんな質問をすると本人も「自分もそう思うよ」と言った。 僕にはまだ何も「意見」することができるだけの知識も経験もなかった。ただそんな旅人の話を聞いていて、【ちょっとだけ】自分なりに何か思うだけだ。 海外で宿を探し、毎日食事をどうするか?生きるために一日を考えて過ごし、自分の足で確認しながら歩いて過ごすと、本当に1日があっという間に過ぎる。 夜には疲れて勝手に目が閉じる。 生きるために活動し、そして疲れて眠る。人間的な感覚を肌で感じている。 人間として当たり前の感覚だけど、日本にいたら感じることのないことだ。 列車の心地よい揺れを感じながら遠くなる意識の向こうに日本を思い出す。懐かしい気もするが、今の僕は「まだ日本に帰りたくない」と感じている。 中国を知ることで、始めて別の国の基準をもって、日本を見ることができた。 中国人を知ることで、始めて別の人種と日本人を比べることができた。 自分は日本人なんだ、ということを改めて理解した。 「相手に譲る」「筋を通す」「情を持つ」そんな優しく繊細な感性をもっているのも日本の素晴らしさだ。 日本の常識、偽の笑顔の営業やご都合主義、その全てに違和感があっても、僕は日本でその違和感を受け入れながら生きていける客観性を持ちたいと中国に来て思った。 「日本も知っていて、中国も知っている」方が「日本だけ知っている」より良いに決まってる。 僕は、そんなことをいつまでも考えていた。 中国に来てから何度か目が覚めると「ここはどこだ?」と思うことがあった。最初のうちは「家ならいいのに」に思って目が覚めたら、中国にいることに気付き、がっかりすることもあった。 今日は夜行列車の中で目覚めたけど、そんなことは思わなかった。僕は西安に向かっている。 夜明けの靄の中、列車は東に向かって走っている。 「そうか、西へ向かった僕の最初の旅はもう終わったんだ。」

続きを読む

総合記事ランキング

もっと見る