★あらためて大庄屋の家
電チャリサイクリングで行った先は実はずっと前にこの町で大庄屋だったO家を紹介したことがあったが・・・・・・・あの家は間違いだったことが分かった。ごめんなさい!。町史の本の写真と違うので変だな~?気になっていた。いつかちゃんと紹介して訂正しなければ・・・ブログに汚点を残すのは嫌だ~~!と思っていたで、昨日は以前行った場所からもうちょっと先まで足を伸ばして行ってきた。前撮った家の前を通り過ぎ旧国道を走った。地図サイトの写真で、ここでは?と思ったそのお屋敷が見えてきたこんもりとした木々を囲う石垣ここではないかな~? 木の間から奥にはお屋敷が見えた。 門です!この門を撮ったが、もっと先に大きな門があった。ここは正門でなかったのだ。大門 昔のままの形の門だと思われる。これは絶対まちがいない! 昔は周囲はお堀だったという回りをぐるりと1周してみようと思った。ぐるりと90度入った先に又別の門が見えた。すご~~い! 今度こそ家を間違えてはいけない!と・・近所の方に聞くと・・・やはりここがそうだと判明町史にはこの家にたくさんの残っている文書が載っていた。ご近所のおじさんに聞いた話で昔は門の前には松の大木がたくさん並んでいた。昔は大庄屋、長△藩の飛地だから大庄屋は領主の代わりにこの場所を治めていた。その上、造り酒屋でもあったそういえば町史にも書いてあった。長△毛利家の殿が時々足を運んだとか・・・(あの大門から入るのは殿だけだったかも)家老は料理を運ぶ順番や器の汚れがうるさかった。赤穂浪士が討ち入りの日が棟上だった。そういうことを本で読んだ事があった。だから私が住む地域とは藩が違うわけだ。観光バスが案内する地域の名所。お寺と間違えそうです。見れば見るほど大きなお屋敷。そうそう、現在もO家がお住まいなんだそうです。 中門が普通の玄関で小さい方が勝手口きっと裏の小高くなったあたりがお堀がないから商売用地だった?ような気がする。(今は昔のお医者さんの建物が建っているが、その敷地との境の塀は比較的新しいから)1周ぐるりと回り 戻ってきて改めて石垣を撮り振り返りながら帰ってきた。地域ブログの方でもっとたくさんの写真を紹介の予定。後日になりますが・・昨日は10キロくらい走ったかな?曇りの日は日焼けの心配もなく良い撮影日和だった。ネットが切断したりカラスの鳴き方が異常でもしや?と思っていましたが・・30日02時48分頃 南太平洋 (サモア沖) M8.3 30日02時48分頃 南太平洋 (サモア沖) M7.930日07時43分頃 沖縄本島北西沖 M4.8 震度1 30日07時36分頃 沖縄本島北西沖 M5.5 震度2 30日02時21分頃 青森県東方沖 M4.2 震度2 相模湾が異常です→こちらパンデミックに備えよう!→こちら★こことは別に被災者が選んだ物まとめています■震災は忘れた頃に・・・■ すくって丸めてくっつける!花瓶や骨董品が倒れない! ミュージアムジェル 50g 【地震対策/転倒防止ジェル】 ガラスが飛び散らないように!!ガラス飛散防止フィルム(積水樹脂) FMラジオで放送される緊急地震速報を自動的にキャッチし、お知らせします。 海外旅行や災害非常時などに生水を飲む時、水の中にいる大腸菌を処理し衛生的な飲料水をつくります。 [代引き料無料]地震を感知して扉をロック!NEWひらかんゾー