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2006.01.22
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カテゴリ:いろいろ

昨夜、教育テレビでラストエンペラー、清朝最後の皇帝で、旧満州国皇帝だった愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ)の弟の愛新覚羅溥傑(ふけつ)さんの波乱の生涯を見て、心打たれた。<以下敬称略>

(兄の溥儀が傀儡(かいらい)国家、満州国皇帝になったのが、昭和9年、紫禁城でのシーンは映画で見た・・・この頃、祖母、あの悪名高き西太后も生きていた・・というよりこの人が3歳の溥儀を皇帝にした)


弟、溥傑は日本軍が決めた日本人嵯峨公爵家長女の浩を嫁に迎え、波乱の人生の始まり・・。

皇帝に子供がなかったので、弟に子供ができることを皇帝は快く思わなかったが、女の子だったからその後は我が子のように可愛がられた。


日中戦争戦時下の時は、皇帝の正妻、婉容(えんよう)皇后と子供たちと共に逃げ回ったが皇后は途中で哀れな最期を。

ラストエンペラーの映画をご覧の方は覚えておられるだろうか、アヘンに侵された皇后・・・。

浩さんは、あの時自分達に覆いかぶさって砲弾を受け命を落とした人達に、60年ぶりにその現場を訪れ手を合わせておられた。


戦後は、国交がなかったから、父とは離ればなれの生活。
(その後次女、コセイは5歳で分かれた父と16年ぶりに再会した)。

日本で暮らす母子の生活の中、清朝の末裔の長女、慧生さんのピストル心中(1957年12月4日)は私は覚えている。遺書

本当に大変だっただろう。

日中国交回復を一番喜んだ人はこのご家族だっただろうと思う。
政略結婚でもあんなに愛と信頼の人生を送った・・・これは本当に素晴らしいことだと思う。

昔の「嫁しては夫に従い」の精神!を越えたものは動乱の中で生まれたのでしょうか。

流転の王妃の昭和史
浩さんの自伝

今、次女のご家族は兵庫県西宮市で暮らしておられる。
そして愛新覚羅家の菩提は山口県下関市中山神社に祀られている。


ノンアルコールデーの昨日、こんなテレビを見ることができて良かった。

どんな苦労って、あんな苦労は今のご時世はないからね~!。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

良いお天気!最高。
こちら雪もなしですよ。




。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。


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最終更新日  2006.01.22 18:59:44
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