ベネルクス、 ドイツを巡る旅 総集編 1オランダ、ルクセンブルグ、ドイツ、ベルギーを巡る旅 総集編 1(1日目~3日目)オランダ、ルクセンブルグ、ドイツ、ベルギーを巡る旅 1 2012-05-03 おばさんバックパッカー登場。 吉野の桜を見に行こうと思っていた。 しかし花粉症でうだうだしていて予約の電話を入れるのが遅れて予約が取れなかった。 次にGW中にほたるいか漁に行きたかった。 しかしこれも電話したらもう予約はいっぱいだと言われて断られた。 ・・・・・・。 そんな私の職場の作業机の前のカレンダーにはチューリップが咲くオランダのキューエンホフ公園の写真が。 ちょうどチューリップが咲く季節。 この間のクリスマスマーケットを巡るドイツ旅行はツアーだったので行けなかった所への未練があった。 それにベルギーのイーペルでは3年に一度の猫祭りがある。 GW迄2週間ちょっと。 余りにも急かなとも思ったけど、こんなに条件が揃っていて今は円高。 どうせ行くなら条件が揃っている今がいいだろうと思った。 休みを取るにしてもGWを含めた方が多く取れると思った。 GW明けから14日迄休みが欲しいと言うと、ちょっと待ってくれと言われた。 返事は実際に行く予定の10日前くらいだった。 今からじゃGW後半の3日からの航空券なんて取れないかもと断られる事を半ば覚悟してて電話を入れたのにあっさりオランダへの往復航空券が取れてしまった。 突然だが、私はもてない。 全くちっとも全然もてない。 そこでふと思った。 これは最早才能ではないだろうか? 後ろ向きに考えていても仕方ない。 前向きに考えたからってどうなるものでもないけど・・・。 まあそれは置いといて、きっとこのもてなさ加減は神が私が自由に歩き回ってもいいようにという配慮から与えたもうた才能かもしれない。 せっかく神から貰った才能は生かさなきゃいけない。 私ならヨーロッパくらいなら一人で歩き回っても大丈夫な気がする。 なんたって幼児体型なうえに日々もてなさ加減に磨きをかける為にやぼったい格好をしているし。 うん、ブスメイクとして顔には日焼け止めだけ塗ってすっぴんで歩き回ればかなり安全だろう。 年齢的にももう賞味期限切れのおばさんだし。 かといってこれ以上年取ったら今度は体力的な問題が出てくるし。 よし、行こう。 こうしておばさんバックパッカーが出現した。 成田空港で痛恨のミスに気付く。 ガイド本を2冊、べネルスク(オランダ、ベルギー、ルクセンブルグ)とドイツのガイド本を持ってきたつもりだったのに2冊ともべネルスクだった。 どうしよう。 迷ったけど、この旅は一人旅でツアーのように黙っていれば目的地に連れて行ってくれるというのとは違うので空港の本屋でガイド本を買うことにした。 出発ゲートから離れた本屋まで買いに行った。 ドイツのガイド本はあったけど、レジに人が3人ほど並んでいる。 しかもカバーなんか掛けてもらっている。 もう~急いでるんだからそんなの後にしてよ~。 ようやく自分の番が来たのでカードで支払いしました。 お釣りとか用意しなくていいから早く済むと思ったんです。 しかし、サインする手間が掛かった。 そうか~そうだよね~。 買った後、急いで出発ゲートへ。 恐らく監視カメラには汗だくの見苦しい顔で走る私の映像が映し出されたことと思います。 急いで来たのに出発ゲートでは皆座っていた。 あれ?係員にチケットを見せると、出発時間が遅れるとの事。 あ~やっぱり日本の航空会社じゃないと遅れるんだな~と思いながら座って待ちました。 飛行機の中では食べている時以外は寝てました。 急遽旅行が決まったのでその準備で殆ど寝てなかったんです。 お陰で目が覚めたら他の人はアイスを食べているなんて事がありました。 寝ていたのでアイスを貰い損ねてしまったらしい。 まあ。私の場合アイスは体に良くないからいいかと思って又寝た。 そうしてアムステルダム空港に着いた。 空港の1階が駅なのですが、自動券売機の使い方が分からない。 ガイド本を見ると、自暴券売機の使い方は複雑なので手数料が掛かりますが、窓口で買った方がいいとだけ書いてあった。 使えねぇぇぇ~(#ノー_ー)ノ 彡┻━┻。 傍にいた日本人とかに聞いたけど、ちゃんと買い方が分かっている人はいなかったので仕方無いので窓口で買いました。 そうして地下のホームに行くと、人が沢山待っていました。 電車が来たので乗って座ってガイド本を見ていたのですが、暫くすると乗っていた人がどんどん降りて行く。 不思議に思ったけど、そのまま座ってガイド本を見ていたら、降りる人が壁をノックした。 どうやら降りないといけないと知らせてくれたようなので私も降りました。 ホームには人が沢山いました。 日本人家族がいたので事情を聞いたら、電車がキャンセルになったとか。 しかも2本。 ガイド本にはオランダ等の電車は正確って事だったから電車で移動の旅にしたのに~。 早くもこの旅に暗雲が立ち込めてきました。 しかもようやく乗った電車が走り出したと思ったら線路の途中で意味も無く止まっているし~結局、ガイド本には空港からアムステルダムセンター駅まで20分って事だったのに結局1時間近く掛かりました。 アムステルダムセンター駅は東京駅のモデルになったと言われている駅です。 駅を出たら日本では見ないこんな鳥がいました。 結構派手な色をしています。 なのに地面に落ちた食べ物を拾い食いしていました。 駅前のインフォメーションセンターは混んでいた。 結局何の情報も貰えずに外に出た。 そこでおじさんに声を掛けられた。 日本語で話しかかられた。 何だろうと思ったら、どうやらタクシーの運転手で客引きだったらしい。 その後、アンネ・フランクの家を目指して歩いたのですが、どうも道に迷ったらしい。 人気が無い場所になって来た。 もっとこっちかもと方向を変えて歩いていたのですが、風が吹いていて寒い。 そうだよね~海に近くて街中川だらけだし、風が強く吹いてなきゃ風車がぐるんぐるん回るわけないよね。 何で気が付かなかったんだ自分。 しかしこの街、街並みは綺麗なのにゴミが吹き溜まっている・・・。 まあゴミが落ちているのはパリもロンドンも同じだけど。 そうして彷徨っていたら、建物の前に行列が。 見てみたら、アンネ・フランクの家だった。 どこをどう歩いたのかサッパリ分かりませんが、辿り着けました。 まだ閉館まで時間があるようなので私も並びました。 ようやく私も入場出来たのですが、荷物のリュックは前にして下さいって言われた。 すごい大きいリュックなのですが、仕方ないので言われた通りにした。 アンネの日記を読むまでドイツでの話かと思っていたのですが、実際読んでみるとオランダでの話なんですよ。 そしてここはアンネ達が隠れて住んでいた建物です。 壁に雑誌の切抜きが貼ってあったり、色鉛筆で女性の写真にお化粧がしてあったり女の子らしさが感じられました。 作家になる夢を持った少女が大人になることも無く死んでしまった。 日記を読むと彼女はその年とは思えないほどの文章を書いていてきっと大人になるまで生きていれば文章を書いて生きて行く夢は叶っただろうと思うのに。 隣には西教会があり、教会の前には花が供えられたアンネの像がありました。 アンネの像 西教会の中にはレンブラントの墓があるし塔はアムステルダムで一番高いというので登りたかったのですが、もう教会は閉まっていたので後日又来る事にしました。 歩いて王宮とダム広場を見た後 ダム広場 レンブラントの像があるレンブラント広場へ そして移動してムント塔へ。 ムント塔が見えてきたのでデジカメで撮りました。 背後でカンカン音がして煩い。 やけに煩いのでデジカメで撮影後、振り返ったら至近距離にトラム(路面電車)が!! ムント塔の画像の下の方を見て下さい。 線路が道の上にあるのが分かると思います。 こうしてこの画像を撮った直後、私はトラムに轢かれてこの旅行は4時間で強制終了しました。 なんて事にはなりませんでした。 トラムが止まってくれたんです。 慌てて道の端に移動しました。 オランダ人良い人だな~すいません、トラムの運転手や乗客の皆様にはご迷惑をおかけしました。 その後ホテル目指して歩いたのですが、今日の宿泊先が何処か分からない。 完全に迷いました。 よろよろ歩いていたら酔っ払った若者の集団の一人がお~何してるんだ?と寄って来た。 肩を抱いて来たので地図を指差して場所を聞こうとした。 すると、仲間の一人が道の真ん中でいきなり吐いた!! おいっ飲み過ぎだよ!! その間、地図を見ていた奴はこっちだと教えてくれた。 サンキューと言ったら手を取られて手の甲にキスされた。 おい!!おばさんだよ!!飲み過ぎ!! 酔っ払い過ぎておばさんなのに気が付かなかったのか?お酒とは恐ろしい物です。 酔いが醒めた時、後悔しなければいいのですが。 ホテルを探してもうずっと迷い続けて日も暮れて暗くなって来たので出会う人に片っ端から聞いて回りました。 英語ができないおばちゃんに皆親切にしてくれました。 地図を見て分からないと通り掛かりの他の人に聞いてくれました。 遂には聞く人がいなかったので、違うと分かっているホテルに入って受付カウンターの女性にホテルの場所を聞いたのですが、嫌な顔もせずそこを曲がって突き当たり。1分も掛からずに辿り着けるわよと教えてくれました。 こうしてどうにか辿り着けました。 しかしこのホテル、貧乏旅行者用の一部屋に3つの二段ベットが置いてある6人用だったのですが、私のベットの筈の場所に荷物が置いてある。 受付に言ったのですが、言葉が出来ないのでOK、OKと言われるだけで何もしてくれない。 しかし疲れていたのでそこで寝てしまいました。 暫くしてベットに置いてある荷物の主らしきカップルが帰って来ました。 そこ、私達が使ってたんだけどと言ったようなので、受付で貰った部屋番号とベット『F』の文字を見せると、OK、OKと言って荷物を移動してくれました。 よかった~大人しく引き下がってくれて。 言葉が不自由だからもめたりしたらどうしようと思っていました。 しかし男女関係無く二段ベットで過ごすなんて初めての経験です。 いかにも貧乏旅行!バックパッカーって感じです。 外人は自己主張が激しいから心配だったのですが、皆ドアから入る時にも出る時にも寝てる人に気を使ってそっと開け閉めしてそっと入ってきます。 凄い気遣いだ。 これじゃ集団生活に慣れていない私の方が皆に迷惑掛けるかもと心配になりました。 寝る時も6人もいるのに静かなんです。 私の方が寝ている間に鼾とか歯軋りとか音をたてないか心配になるくらいでした。 オランダ、ルクセンブルグ、ドイツ、ベルギーを巡る旅 2 2012-05-04 朝、ホテルを出た。 国立ミュージアムが見えた。 そして国立ミュージアムの前にあるI amsterdamのオブジェ。 アムステルダム国立美術館近くのダイアモンド店、コスターダイアモンズは日本語の見学ツアーをやってとガイド本に載っていた。 ■コスターダイアモンズのダイア コスターダイアモンズは、街で最も古いダイアモンド工場のひとつで、1840年に創立しました。以来、最高技術を誇るマスタークラフトマンが、170年以上に渡り素晴らしい傑作を生み出しています。世界的に知られる「コ・イ・ヌール」、英国の王冠のブルー・ホワイト・ダイアモンド、ザクセンの王冠の美しいドレスデン・ダイアモンドなど、多くの著名なダイアモンドの研磨も手がけてきました。 コスターダイアモンズが所有する1カラット以上の石のコレクションは、アムステルダムでも最大級です。181.15カラットという世界最大のダイアモンド原石「カリナン」を見ることができます。 まだ早いけど、先に見学の予約をしようとした。 しかし英語が出来ない。 日本語のという意味で「ジャパニーズ」と言ったら直ぐに入れてくれた。 あれ??? 中には日本人の集団が・・・。 これって何か勘違いしてない? そう思いながら見ていたら、やっぱり日本語スタッフが団体客ではないですよねと聞いてきた。 それで団体客から引き離されたけど、一応店内は見せてくれた。 ここでカットしたダイアモンドを使った王冠。 お土産用ミニ王冠。 ここのポスター等に使われている王冠冠った猫が可愛いんです。 その後、ゴッホ美術館を見学。 ■ゴッホ美術館 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ゴッホ美術館 (Van Gogh Museum) は、オランダのアムステルダムにある、ファン・ゴッホの作品を中心とした美術館である。 その後、キャッテンキャビネット(猫の博物館)に行きました。 中には猫のポスター等猫に関係した物が展示してあります。 招き猫もありました。 しかし中は撮影禁止だったので画像はありません。 その後、昨日のアンネ・フランクの家の隣の西教会に行きました。 しかし入り口が分からない。 あれ?1週してようやく分かった。 道路ではなく、川に面した方向に出入り口があるんだ。 そっか~川を生活路として使っていたから川側に出入り口があるんだ。 そうして教会内のレンブラントの墓を見付けました。 ここか~しかし教会内の床に墓がある。 なので皆墓の上を踏んで歩く。 何か日本人としては抵抗あるな~こういうの。 その後、レンブラントの家を目指して歩いた。 歩いてる途中にあった店のショーウインドウにアジア雑貨も置いてある店が。 おおっ招き猫にこけしだ!! この店にはアジアの物とフェアリーやドラゴンのフィギアようなファンタジーな物が置かれていた。 危ないお店が。 オランダでは大麻の所持・使用、売春、安楽死が合法です。 本屋のショーウインドウに村上春樹の1Q84が!! 【送料無料】1Q84 BOOK2〈7月~9月〉後編 世界中で読めれてるんだね~しかし何故かQが小文字だった。 散々迷ってようやくレンブラントの家に到着。 ■レンブラントの家出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 レンブラントの家(Museum Het Rembrandthuis、レンブラントハイス美術館)は、オランダのアムステルダムにある、画家レンブラント・ファン・レインが1639年から20年間住んでいた家を利用した博物館・美術館である。 1606年に建てられた豪邸であったが、レンブラントは1639年に13,000ギルダーの大金で購入し、妻サスキアとともに引っ越した。彼は『夜警』の注文を受けるなど当時経済的に絶頂期にあったが、1642年にサスキアは世を去り、レンブラントは借金が重なって1656年に破産し、1658年には家は競売にかけられてしまった。 1906年のレンブラント生誕300年記念を期にこの家は残されることとなり、1911年に博物館として開館した。内部はレンブラントが住んでいた当時のように再現してある。 隣接の新館ではレンブラントのエッチングが200点以上とエッチングを刷る機械などが展示されている。 エッチングを刷る機械 モデルになった花瓶等と絵 レンブラントの家近くでは蚤の市がやっていました。 その蚤の市の中でフライドポテトが売られていた。 オランダではフリットと言うそうなのですが、フライドポテトの英語での言い方チップスと書いてある。 なので、チップスプリーズと言って買いました。 オランダではマヨネーズを付けて食べるのが一般的だそうですが、マヨネーズを頼む勇気が出なくてケチャップにしてしまいました。 ムント塔近くのシゲルの花市には青いチューリップとかチューリップの球根の缶詰なんてあります。 欲しいけど、検疫が~。 ガイド本によると検疫マークがあるものならOKってことだけど、その肝心の検疫マークがどんな物か載っていない。 使えねぇぇぇ~(#ノー_ー)ノ 彡┻━┻。 青いアマリリス(?)の球根が欲しかったので渾身の英語で店員に聞いた。 エキスキューズミー、(球根を指差しながら)エアポート、OK? 店員の一人は何故エアポートという単語が出てくるのか分からないようでエアポート、エアポートと繰り返し呟いていた。 もう一人は手を広げて飛行機の真似をしている。 ようやくエアポートと呟いていた店員が意味に気が付いたらしく、NOと言った。 あ~やっぱりダメか。 欲しいんだけど諦めました。 店頭で大麻の種(?)が売られている所もありました。 流石オランダ。 店の奥には食べたりすると幻覚作用のあるサボテンのウバタマが6籠分も。 可哀相に~このウバタマちゃん達も切り刻まれて食べられてしまうのか? あ、でもこんな店の奥にあるって事は売れ残ってるって事か? あまりの苦さに人気が無いのかも。 よかったね~ウバタマちゃん。 オランダの風が吹き付ける中、長い事外を歩いていたので体が冷えたのでホテルに戻りさっさと寝ました。 オランダ、ルクセンブルグ、ドイツ、ベルギーを巡る旅 3 2012-05-05 朝、ガイド本に蚤の市があるというのでそっちの方に歩いて行ってみた。 しかし、蚤の市というよりもそれは市場のようなものだった。 日本に帰って来て他のガイド本を見たらペイプ地区にある日用品市だったようです。 マヘレのハネ橋、17世紀に作られた木造製の跳ね橋を見ました。 歩いて又アンネ・フランクの家横の西教会に来ました。 ■アムステルダム西教会 オランダ政府観光局サイトより 1631年に完成した西教会は、オランダ最大のプロテスタント教会です。85メートルの美しい塔は、アムステルダムを一望します。その他50の鐘を持つカリヨンと美しいオルガンも、この教会の見どころです。 西教会の歴史 西教会は、アムステルダムにとって重要な数々の歴史的出来事の中で、大切な役割を果たしてきました。1669年には、かのレンブラントがこの教会に埋葬されました(正確な埋葬場所はわかっていません)。西教会の隣で隠れ家生活を送っていたアンネ・フランクは、その日記に何度も西教会のことを書いています。ベアトリクス女王が、1966年にクラウス・フォン・アムスベルグと挙式をあげたのもこの教会でした。 何だか毎日通っています。 今日は西教会のタワーに登るツアーに参加する為です。 昨日レンブラントの墓を見た時にはもうツアーは終わっていたので出直してきたんです。 鐘 これが塔の上からの眺めです。 ツアーは英語だったので説明はよく分かりませんでした。 英語勉強しないとな~。 100%HOLLAND(100%オランダ)?という店。 何故か天井が牧場になっています。 ミッフィーがある事でも分かるようにブルーナはオランダ人です。 歩いていたらフリット(フライドポテト)を売っているお店があったので買いました。 今度はただの塩味で。 ・・・中々マヨネーズを頼む勇気が出ません。 国立美術館で知られざる名画を発見!! これです ↓ 躍動感、臨場感が素晴らしいと思いませんか? 『The threatened swan』(脅かされた白鳥)?Jan Asselijn 一応日本語ツアーの人達に混じってガイドの話に聞き耳を立てたところ、この絵は左下にいる犬から右にある卵を守ろうとする白鳥を描いた物らしい。 犬の上、白鳥の足の間、卵にオランダ等と文字が書かれていて。 卵がオランダで犬が侵略しようとしてくるのを国が必死で守っているという事らしいです。 でもこの文字は後から書かれたものなので最初は純粋に必死に我が子(卵)を守ろうと敵に立ち向かう白鳥という絵だったようです。 私はそっちの方がいいと思うのですが。 夜警 レンブラント ■夜警 (絵画)出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 作者 レンブラント・ファン・レイン 制作年 1642年 素材 キャンバスに油彩 寸法 363 cm × 437 cm (143 in × 172 in) 所蔵 アムステルダム国立美術館(アムステルダム) 夜警(やけい、オランダ語:De Nachtwacht)は、オランダの17世紀の画家レンブラント・ファン・レインによる絵画作品の通称。この作品は18世紀以降この通称で呼ばれているが、より適切な題名は『フランス・バニング・コック隊長とウィレム・ファン・ラウテンブルフ副隊長の市民隊』(De compagnie van kapitein Frans Banning Cocq en luitenant Willem van Ruytenburgh)となる。現在はアムステルダムの国立美術館に展示されており、レンブラントおよびオランダ黄金時代の絵画の代表作とされている。 この絵を発注した隊員たちが、支払った額と同じ様な平等さで各人を描かなかったレンブラントに不満を持ち、これが『夜警』以後の受注減やレンブラントの人生の転落の始まりになったという言い伝えもあるが正確ではない。 と、いうわけで他の人が描いた人々を平等に描いた正しい集団肖像画の例 ↓ この美術館にはフェルメールの絵もあります。 牛乳を注ぐ女 フェルメール 国立美術館を出てホテルに帰る迄にソフトクリーム付きワッフルを食べてしまう。 勿論、マクロビアンを目指している私は食べてはいけない物なんだけど、旅行中はしょうがないよねと食べてしまった。 ホテルに帰ったのですが、その日2日間静かだったホテルが大変な事になりました。 集団でとんでもない旅行者が来たんです。 その旅行者はそれぞれの部屋をホテル中に響き渡る強さでガンガンドアをノックして回り、仲間を呼び集め廊下でパーティーをし始めました。 今迄私の方が音を立てて迷惑を掛けていないか心配な位だったのに凄く煩くなりました。 Oh my Godを連呼していたから、英語圏の人間だと思います。 イギリス人かアメリカ人か? しかもそれは翌朝の5時迄続きました。 なので私はもうさっさとホテルをチェックアウトする事にしました。 オランダ、ルクセンブルグ、ドイツ、ベルギーを巡る旅 総集編2 (4日目~6日目) 海外旅行記 目次 親ばかインコ日記2 ホーム にほんブログ村 ジャンル別一覧
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