紅葉の信州高遠城より、中央アルプスを望む
コヒガンザクラが満開の頃には、2度程 ピンク色に染まる高遠城に、訪れたことが あるのだが、今回は紅葉に彩られ、遠くに 中央アルプスの白きいただきが望めた 諏訪氏一門である、高遠頼継の居城であったが 武田信玄軍に降伏をしたことで、伊那地方への 足がかりとして、山本勘助や秋山信友に命じて 大規模な改築を行い、後に武田勝頼が城主と なったこともある 天正10年、織田信長は、長男の織田信忠を 大将に高遠城を取り囲み、信玄の五男の城主 仁科盛信は、降伏を勧める僧の耳を切り落して 追い返し、わずか三千の兵をもって、果敢にも 5万もの大軍を迎え撃ったという 盛信以下将兵の決死の奮戦も、ことごとく討死し 盛信は腹をかき切り、自らの手で腸を壁に投げ つけたと、古書は伝えているそうだ。高遠城の 落城によりって武田軍は瓦解し、わずか9日後に 武田氏は滅亡をしたのだ 国の登録有形文化財の指定を受ける 赤い屋根が印象的な、高遠閣 江戸城の大奥女中であった絵島が、痴情沙汰で この地に遠流されて、28年間の生涯を幽閉を されたという、絵島囲み屋敷(復元)もあった 高遠出身の画家原田政雄氏から寄贈された コレクションを中心に、中村不折、池上秀畝ら ゆかりの画家の作品を所蔵する信州高遠美術館 最後の高遠藩主である、内藤頼直によって 高遠城内に開設をされた藩校である進徳館は 文学部、武学部の2部からなり、多くの学者や 政治家が世に出ていった 明治4年の廃藩置県で廃校となり、城内で唯一 現存する文学部の建物が残る 平成18年11月24日撮影 皆様には、足の具合を心配をしていただき、大変に 恐縮しています。1ケ月も放置をしてきたものが ものの1週間で完治することもなく、相変わらずの 病院通いですが、ま、気を楽にゆるゆると 沢山のお見舞いの言葉を、ありがとうございました