水舟の里、野仏の里。木曽路はすべて山の中
7月は二日に一度のペースで、今月は久々に12件 日記をアップすることが出来て、たぶん今日の日記が 7月最後になるかな? それにしても梅雨も明けず 雨、雨、雨の7月であった 先週末も芳しくない天気で、市内の日帰り温泉に 旦那と出かけたが、車窓からの風景も目新しくも ないので、撮影をする気も起きず、ブログに紹介 しきれずお蔵入りをしていた旅の写真を、代わりに 引っ張り出してみた 最近は権兵衛トンネルで身近になった伊那谷や 諏訪ばかりを紹介をしているが、信州を語る上で やっぱり忘れていけないのは、旅情溢れる木曽谷 中山道木曽路の、昨年と一昨年の初夏の写真を 紹介してみたい 木曽郡大桑(おおくわ)村須原の山の斜面にへばり つくようにあるのが「白山神社」で、覆われていて 判らないが、間口1メートル程の熊野、伊豆、白山 蔵王の4つの社殿が並んでいるそうだ 一間社流造檜皮葺きの屋根を持ち、建武元(1334)年 建立で県内最古の鎌倉建築は、国の重要文化財にも 指定をされている、こう見えても歴史ある神社だ 美濃国と信濃国を結ぶ木曽路は、木曽川沿いに急峻な 地形が続く難所として知られているが、「続日本紀」に 大宝2(702)年に、岐蘇(きそ)山道の建設が始まり 和銅6(713)年に開通の記述があるという 江戸時代には五街道の中山道となり、39番目の宿場 須原(すはら)宿なども、木曽川の氾濫で流失をして しまって、享保2(1717)年に高台に移転されたそうで 正岡子規のうたでも木曽谷の地形の険しさがうかがわれる 寝ぬ夜半を いかにあかさん山里は 月いつるほとの 空たにもなし そんな急峻な木曽の山々に抱かれ、豊富な湧水を 溜めて住民に重宝をされる「水舟(みずぶね)」が 宿場のあちらこちらにあり、別名を「水舟の里」と 呼ばれている 島崎藤村の「ある女の生涯」の舞台にもなった 清水医院には、藤村の姉の園も入院した事がある そうで、その建物は愛知県の明治村に移築保存を されている また幸田露伴も、須原宿に泊まった事があり 出世作の「風流仏」に須原宿が登場をしている 観光化をされた馬籠や、妻籠、奈良井を見物済みの 皆さんは、この文豪にも愛された須原宿を訪ねて みるのも面白い。普段着の木曽が垣間見えるかも 以前、このブログでも安曇野の穂高周辺の「道祖神」の 紹介をしたが、木曽福島から開田高原方面に少し入った ところに、ひっそりと道祖神の里「黒川郷」があった 黒川郷には18箇所19体の道祖神があり、そのうち 双体道祖神は11体、馬頭観音などの石仏も加えると 数百体もの石仏があるという 一番古い道祖神は、享和2(1802)年のもので 1846年から約40年間に、集中をして作られて いるという 道祖神は集落の境界や、道の辻などに祀られる神で 古い時代のものは、男女一対を象徴する双体道祖神が 多く、子孫繁栄、五穀豊穣、疫病や悪人の侵入を塞ぎ 止める、村の守り神として身近な神様である 最後に、信号も無く飛ばしやすい木曽の国道19号は スピード違反の取り締まりは、日常茶飯事で、何度も キップを切られているドライバーを見かけている ちょっと寄り道をしながら、ゆっくり木曽路を楽しんで みたらいかがだろう 白山神社、須原宿は平成20年8月1日に大桑村で 道祖神は平成19年6月5日に木曽町黒川で撮影