ご当地B級グルメを賞味し、日本一古い飴やに、看板にアノ有名人
数千羽ものオオハクチョウやコハクチョウが飛来をして 10月頃から3月頃にかけ越冬をする瓢湖(ひょうこ)は この時期は蓮の花園になっていた 寛永16(1639)年に用水池として完成し、当時の 池の形が瓢箪に似ていた事から「瓢湖」と呼ばれたそうで 昭和25年に、初めてハクチョウが飛来したそうである 昭和29年に吉川重三郎氏(白鳥おじさん)が、野生の ハクチョウの餌付けに全国で初めて成功し、国の天然 記念物に指定され、昨秋にはラムサール条約の登録湿地 にも登録された 古代より信濃川の河口部にあたる蒲原津(かんばらのつ)が 栄えており、1616年に長岡城主の堀直寄によって、港町と しての基礎が構築された。浦賀に黒船がやってきて江戸幕府は 日米修好通商条約を結び、海外との貿易港として、長崎、下田に 加えて、神奈川(横浜)、神戸、函館、そして新潟が選ばれて 今年の6月には150年になるという 明治元(1869)年に外国船に開港をして、貿易が開始され 新潟運上所(のちの新潟税関)も設けられたが、地元の大工が 西洋建築を真似して造った擬洋風建築で、国の重要文化財に 指定をされている 新潟の歴史を伝える「みなとぴあ新潟市歴史博物館」の 本館は、鉄骨鉄筋造り、外装は木造モルタル仕上げで 明治44年建てられ、昭和16年に焼失をしてしまった 「二代目市庁舎」のイメージを踏襲をし、現代工法で 建てられており、基壇部は中国花崗岩、屋根は玄昌石に 銅板の段葺きを行ったる風格のある建物だ 「旧第四銀行住吉町支店」は、昭和初期の銀行建築に多い 古典的な様式で、4本のイオニア式の列柱が並んでいる 1階は吹き抜けのレストランで、雰囲気がなかなか良い 渡し船しかなかった信濃川下流に、明治時代に橋がかけられ 現在のものは、昭和4(1929年)年に完成をした三代目の 鉄筋コンクリート造6連アーチの「萬代橋」で、昭和39年の マグニチュード7、5の新潟地震にも耐えたものだ その向こうには新潟市のランドマークのひとつ。カラフルな 「万代シティ・レインボータワー」だ 夏旅は紀伊半島に行くか、丹後半島に行くか、それとも 新潟かと海と温泉と歴史と求めて、図書館で借りたガイド ブックを吟味をしていた中で、娘の鶴の一声で行き先が 決まってしまった 「新潟のたれかつ丼が食べたい!」 薄手のトンカツを醤油ベースのタレに潜らせ、そのまま 丼飯の上に乗せる丼で、新潟市の「とんかつ太郎」初代 店主が考案したもので、作者が新潟出身の「ドカベン」や 「クッキングパパ」でも紹介されたご当地B級グルメだ とんかつ太郎で修行後に、独立した「とんかつ政ちゃん」で いただいたが、確かにうまいではないか~! 新潟といえば、やっぱりコシヒカリ・・・というか 右も左も大きな田んぼに、稲穂がたれて流石に米どころ コシヒカリのアイスとか、塩アイスなんかもあった そして錦鯉なんかも名物かな~。道の駅の池にも錦鯉 新潟市白根地区(南区白根、旧白根市)と、味方地区 (南区西白根、旧味方村)で、毎年6月上旬に開かれる 白根大凧合戦は、両地区が信濃川の分流の中ノ口川を 挟んで、両岸から大凧を揚げて絡ませ、凧の綱が切れる まで、引き合って勝敗を決める勇壮な祭だそうだ さらに越後の有名人が看板に! こっこれは水戸黄門! 偽装だけど、越後のちりめん問屋のご隠居だった 上杉謙信の領国であった上越は、のちに高田藩となり (福島藩とも呼ばれていた)、改易になったり、越後 騒動などもおきて、次々に藩主が変わる有様で、最後に 榊原政永が姫路から高田への移封したのも、政永の父の 政岑が吉原で遊び呆け、徳川吉宗の怒りを買ったことに よる懲罰的なものであったそうだ 雪国らしく、屋根のある商店街の町並みや、雪下ろしの為 屋根に上るはしごなど、冬の厳しさを感じ取る事が出来る お土産を買おうと立ち寄ったのは、寛永(1624年~)の頃 より商う、日本一古い飴やさんの「高橋孫左衛門商店」で 十返舎一九の「金のわらじ」にも紹介をされている そして、新潟のお土産といえば一升瓶・・・いえ日本酒で 有名銘柄がごろごろしている中で選んだのは、こちらの スーパーでは2~3倍ものプレミア価格の「越乃寒梅」の 白ラベル。過去に懸賞で当たって1度だけお正月に飲んだ 事があるだけだ。しかも姑、こぼしたし~(泣) そのリベンジだ 新潟最後のグルメは、妙高のサービスエリアで渋滞を 眺めながら、娘が食べた 「よもぎソフトクリーム」の ミックスをほんのひとなめ賞味! 平成21年8月13、14日に新潟県で撮影