麻績の里の舞台桜で、春は輝く
そんな訳で、姉といっしょに明日からは楽しい 関西旅行に出かけてくるという訳で・・・次の 日記更新は5月1日か2日辺りになりそうだが う~~ん、でかい一眼レフを持っていくべきか コンパクトな方にするべきか悩む・・・ 娘と東京へ出かけるときは、街中だしコンパクト なんだけど、前から行きたかった街へ出かけるの だから、やっぱ良い写真を残しておきたいような 気もするし。電車旅行で着替えとかもあるので あまり荷物が大きくなるのもなんだけど・・ね どの街に行くかは大まかに決めたけど、そこで何を 見る事が出来るのかといった事を全然、決めてないし まっ、こうなったら当たって砕けろってまいりますか 駅でマップ貰って・・・で、工事中だとか休館して たりするとネットで事前に調べましょうと、ここで 叱られる さてとっ、本題に参りましょう。「桜紀行2012」 第三弾は、先週4月16日に信州飯田の舞台桜を紹介 この桜は以前にこの日記でも紹介をした事があるが その時には花の盛りを過ぎていたので、ある意味で リベンジとなる その時の日記は↓の日記をご覧ください。やっぱ 花が悲しい事になってたし・・・・ 2009年4月 「舞台桜に、南朝ゆかりの城跡は花盛り」 古代には「麻績(おみ)の里」と呼ばれたこの地に 咲く桜が舞台桜と呼ばれる訳は、すぐ脇に明治5年 長野県下で一番古い、「旧座光寺小学校麻績校舎」が 残されている為である 大鹿歌舞伎など地歌舞伎で有名な土地柄、この校舎は 一階が歌舞伎の舞台になっており、2階部分を学校と して建てられた珍しいもので、県宝に指定されている この桜、樹齢350年以上の「半八重枝垂れ紅彼岸桜」 といい、雄しべが花弁に変わり、花びらが5~10枚の 珍種で全国でもここでしか見る事が出来ないらしい それにしても桜の種類と言うものはとても多くて、前の 河津桜に、持ち出し禁止の高遠桜などなど固有のモノも 桜が寿命が短いと言われるのは、植えて成長が早いので 街中に普及した染井吉野の話であって、江戸彼岸桜など 数百年。いや千年越えの桜があちらこちらに今も咲いて いたりも この春デビューらしいバスガイドのお嬢さんらが、研修か 舞台桜にやってきており、田舎道で会ったら初々しい声で 「こんにちは♪」と、皆さんからご挨拶をいただいた その先では赤い帽子の子供たちの「こんにちは!!」は とっても元気が良い。桜の周りにはまだ冬服が暑苦しい 高校生の黒い集団も先生の号令で集団写真。平成の世に なっても、地元の人たちに愛され誇りの桜であるのだろう 前に御開帳で紹介をした事のある元善光寺は、舞台桜 からも近いところである。推古女帝代に、本多善光が 難波の堀江で一光三尊(善光寺如来)の本尊を見つけ 麻績の里へ戻り、自宅の臼の上に安置をしたそうだ すると臼が光を放った為に「坐光寺」とした。しかし 皇極天皇代に勅命があり、本尊は芋井の里(長野市)へ 遷座となり、善光の名から善光寺とされて、坐光寺は 元善光寺と呼ばれるようになった 長野市に遷座となった本尊の代わりに、木彫りの本尊が 安置され、「毎月半ば十五日間は必ずこの故里(飯田)に 帰りきて衆生を化益せん」という、仏勅(お告げ)から 善光寺と、元善光寺と両方に参拝をしないと、片詣りと なってしまうそうだ 更に信州全般に言える事だが墓守というような、一本桜が 結構ある。遠くから大きな桜を見つけて、近くに行って みると墓地だった・・・って感じで。それと同じ意味が あるのかなんなのか、古代の古墳の上に桜が植えられて いると言う事も多い。舞台桜のすぐ脇には「石塚桜」も 石塚第1号古墳というい、6世紀後半の築造と推定される 横穴式石室を持つ円墳の真上に、推定樹齢250年との 平安紅八重枝垂桜が咲いているが、これもまた美しい 午後のネット検索で、お好み焼き屋は4軒ほどの候補を 見つけました♪ 姉は気にいってくれるかな? 平成24年4月16日に信州飯田市内撮影