晩秋の若草山の麓で鹿とたわむれ、聖武天皇の御陵へと
元号の「令和」は、奈良時代に大伴家持が編纂をした「万葉集(まんようしゅう)」から選ばれて注目をされたが、天皇や貴族、防人、庶民などと様々な人たちの歌は4500首にものぼると言うその中に「鹿」を題材にしたものは68首もあるそうだが、その多くは秋が深まる頃になってきて雄鹿の求愛で鳴く声が、織り込まれているそうだ百人一首に選ばれた猿丸太夫の有名な鹿の歌だが古今和歌集に詠み人知らずとされたものだったとか奥山に紅葉踏みわけ鳴く鹿の声聞く時ぞ秋は悲しきユーチューブに奈良公園の雄鹿の鳴き声があったんで載せておきます。↓ 確かに悲しげにも聞こえますさてさて奈良の正倉院展を見に、昨年11月14日に姉と出かけた日帰りバス旅行。興福寺を見学した後にやってきたのは「若草山」の麓です若草山(三笠山)は、真冬の山焼きでも有名ですが二月堂のお水取りともども見た事はないです。標高は342メートルで、山頂には鶯塚古墳がありますが登ったこともありません若草山の山頂からの夜景は、新日本三大夜景(他には山梨県笛吹川フルーツ公園と、北九州の皿倉山)が選ばれているそうだ。じゃ新のつかない三大夜景となると函館山、神戸摩耶山、長崎稲佐山だそうですさてさて、そんな若草山の麓にあるお食事処の「春日野」で少し早めのランチだ。今回の旅は午後の正倉院見学などにたっぷり時間がとってあるのも魅力的だ。人によっては春日大社とか参拝した人もいたみたい(入館後はフリータイム)ヘルシーそうなお食事を食べたら、お土産売り場でお買い物タイム。お店の前は若草山なのでのんびり眺めているのもいいだろうしというか、鹿もいっぱいいるし。集合時間までは飽きることなく時間をつぶせそうお店の中には入ってこないけど、かわいい白い斑点の残る鹿が水を飲んでいた。この白い斑点が鹿の子(かのこ)模様で、夏場のカモフラージュらしく、雄雌を問わず大人の鹿にも出るらしいここでも鹿のエサやりが観光客に大人気のようだこうゆう石垣があると鹿との距離感もあって良かったかも。私は前にバッグから出ていたガイドブックを鹿にかまれて、取り戻した経験がある。ご注意をこんな愛らしい目をして見上げられたら、そりゃ鹿せんべいを与えたくなるだろうな。でも横から体のでかい鹿に奪われたりもして・・・おじぎをしている鹿もいたし、赤信号で人と待ち青信号になったら、人と一緒に横断歩道を渡る鹿(偶然?)も見たしやっぱ、頭や方にも乗られるハトのエサやりの方がきついかなぁ~なんだかんだでバスに乗車する時間になったので次の見学場所へバスで移動。車窓からはポスト・カードのような光景やっぱ歩かずにピンポイントで見学場所に移動出来るのは、お年寄りには便利な観光手段だし時間的にもとても有効にまわれる。お昼過ぎに出かけた先は東大寺や、奈良の大仏を作った事でも有名な「聖武天皇(しょうむてんのう)」の御陵(ごりょう)である。正倉院は東大寺の蔵な訳だが、聖武天皇や、妃の光明皇后のゆかりの品々も収められている事からの参拝であろう奈良にはかなり来た事があるけど、ここまで来たのは初めてだ。トラピックス(阪急交通)さん、なかなか良いコースでした♪ 右の方に行けば光明皇后の御陵もあるが、流石に聖武天皇の御陵のみの参拝だ。聖武天皇だが、文武天皇(天武&持統系列)と藤原不比等の娘の宮子の間に生まれたが、幼くして父を亡くし、病弱だった事と外祖父である不比等の勢力が盤石になるのを待ち、中継ぎの女帝らを挟み24歳で即位をした天平年間は災害や、疫病(天然痘)が多発した為聖武天皇は仏教に深く帰依し、各地に国分寺建立や東大寺盧舎那仏像の造立の詔を出した。娘に譲位(孝謙天皇)して太上天皇となった。天平勝宝4(752)年に東大寺大仏の開眼法要。天平勝宝6(754)年には唐から鑑真が来日をして、皇后や天皇とともに手厚く出迎えたそうだ天平勝宝8(756)年に崩御し、聖武の七七忌(四十九日法要)に於いて、光明皇后は東大寺盧舎那仏に聖武遺愛の品を追善供養のため奉献その一部が正倉院に伝存しているのだ。今回の東京と奈良での正倉院展では聖武天皇の愛蔵品なども並ぶスペシャル版であった父の文武天皇(天武と持統女帝の孫)が亡くなり幼なかった首王子(聖武)が即位するまで中継ぎであった元明女帝(天武の娘、文武の母、聖武の祖母)や次の元正女帝(元明の娘、文武の姉、聖武の伯母)といった近しい人たちの天皇陵も近くにあるようだ最近になって愛子様のご誕生や、他の王室などで男女を問わず長子が王位を継ぐ傾向にある事から女帝論が出てきているが、そもそも日本において何人も女帝が存在し、その多くは彼女らのように次期後継男子が幼かったりでの中継ぎであるか藤原不比等の娘である光明皇后と、聖武天皇の娘の孝謙女帝や、二代将軍徳川秀忠の娘の東福門院和子と後水尾天皇の娘の明正女帝のように時の権力者である母親の実家の意向を受けての即位もあった。後桜町女帝(桜町天皇の娘)が、江戸中期に女帝にもなり女性天皇が認められなくなったのは最近の話だ女帝の特徴としてはもともとが天皇の妻であったか天皇の娘で生涯独身であったかという点で、女帝の他に、女系天皇(天皇の娘の血統が天皇を継ぐ)も議論をされている。まぁ私の生きているうちにどうこうなるものでもないのかな?そうこうしているうちに、東大寺の門前に戻ってきました。東大寺の近くの大きな駐車場でバスを降りて、今度は東大寺大仏殿の北側に建っている「正倉院」の見学です。そこまでは20分近くはかかるのかな?テレビで鹿せんべいを売るおばちゃんが怖いことを鹿たちは知っていると言っていたけど、店先のは厳重装備だというか、ほんとお店の中には鹿は入ってこないし。時間があればせんとくんと記念撮影がしたかったなぁ~奈良らしいガシャポン。外国人観光客や修学旅行生などにも人気だろう。息子とか修学旅行で、鹿のふん(チョコ菓子)を土産に買ってきて喜んで食べていたし土産物屋の前で鹿がそそうをすると、さっとお店の人が片付けてくれていた鹿もそそうをするので、観光客も気を付けるようにと、立て看板にイラスト入りで注意喚起がされていた。と言う訳で東大寺を横切り正倉院へと向かいます。日記は続きます~! ではでは 2019年11月14日に奈良市で撮影にほんブログ村