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殿上人日記

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2005年06月23日
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カテゴリ:行事、地域

 愛・地球博の「国際赤十字・赤新月館」が
 10代の若い子供達を中心に、平和を考える
 貴重な機会になっていると、このブログでも
 紹介をした

 中国や、韓国などの学生が、近代史について
 詳しく学ぶのと違って、日本においては、授業の
 遅れも手伝って、なかなか、踏み込んだ教育が
 されていないのが現実である


 そんな中で、修学旅行で「戦争」を学ぼうという
 取り組みは、かなり以前からされている
 私も、広島と、旧海軍兵学校のあった江田島で
 戦時中の資料を見学をした

 娘は春には、松代大本営を見学し、修学旅行で
 今、沖縄に行っている。「ガマ」の見学もしたそうだ
 戦争中、多くの住民が避難をしていた自然壕である
 「ガマ」 多くの島民が、自決を余儀なくされた
 悲劇の洞窟は、数百から1000以上もあるという


 テレビで、60年の年月を経て、戦争体験を絵で
 あらわし、自分の子供に、初めてその体験を話した
 ご老人のドキュメントを見た

 母親につれられ、小さな兄弟達と、空襲の中を
 必死でガマに向ったのだが、ガマの入り口にいる
 日本兵に「立ち去れ!」と、日本刀を抜いて
 追い払われ、爆弾の雨の中を、草むらの中で
 息を殺して身を潜めていた

 しかし、近くに落ちた爆弾の破片が、母親の体に
 突き刺さり、どんどん、血の染まる母の背中
 泣きながら母に駆け寄る子供。呆然とする子供

 苦しみながら死んでいった、母の顔を描く事が
 出来なかったから、後姿になってしまったという
 老人は、その日の事を、60年、人に語ることは
 出来なかったという

 老境を迎え、戦争というものがどういうものか
 人に伝えたいという気持ちから絵筆をとったそうだ


 何も日本兵に殺されたのは、中国や、韓国や
 アジアの人ばかりではない。沖縄の人達もまた
 米軍と、日本軍の戦いにまきこまれ、子も、女も
 老人も、殺されてしまったのだ

 太平洋戦争末期の沖縄戦終結から60年。今日
 最後の激戦地となった、糸満市の平和祈念公園では
 「沖縄全戦没者追悼式」が開かれた

 園内にある戦没者の名前を刻んだ「平和の礎」には
 今年、新たに遺族から申請があった、戦艦大和の
 沖縄水上特攻の戦死者202人を含む、720人が
 追加刻銘され、刻銘者総数は23万9801人という


 明日、娘は沖縄から帰ってくる。沖縄で何を知り
 何を感じて、何を話してくれるだろうか


    沖縄戦について詳しく紹介されたサイト 

 http://hb4.seikyou.ne.jp/home/okinawasennokioku/index.html







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最終更新日  2005年12月16日 10時39分14秒
コメント(26) | コメントを書く


■コメント

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Re:沖縄への修学旅行で・・・・(06/23)   M.G さん
「日本で唯一大規模な地上戦が行われた場所」だと
いうことをかみ締めて欲しいものですね。
「捨て駒にされた」という悲しみを二度と起こしては
いけませんから。

因みに私のサイトにあるブログは3本あります。
M-Journal 「パソコンのセキュリティ」関係のブログ
http://purple.ap.teacup.com/security/
火炎狐と雷電鳥 「Firefox」と「Thunderbird」関係
http://black.ap.teacup.com/firefox/
ライブドア分室 「タイトルそのまま(^_^;)」
http://blog.livedoor.jp/central_liner/
※因みにアドレスの一部が「夢穂さんが嫌っている某列車」です。(^_^;) (2005年06月23日 21時00分44秒)

平和学習   T-サウルス さん
最近は、戦争ゲームなどをやりながら「死ね!」などと連発する少年たちをよく見かけます。

遠い昔のことといわずに、何かひとつでも感じ取る力を持ち続けていきたいと思います。

大丈夫、夢穂さんの遺伝子を受け継いだんだから絶対何かをつかんできてると思うよ。

天気どうだったのかな? (2005年06月23日 21時35分00秒)

Re:沖縄への修学旅行で・・・・(06/23)   吉祥天2260 さん
島の形が変わるほどの砲弾を受けたと聞きました。
あの中を生き抜いたいう方たちにはもう何も言えません。言う権利もないでしょう。
あのころの日本政府は沖縄の人達にどれだけ恨まれ、憎悪されても仕方がないと思いますよ。
自分たちがしてしまったことと向き合って、しっかりと認識することが、大切だと思います。
「2度と同じことをしない」というのはそれから後のことだと思うのです。 (2005年06月23日 21時47分17秒)

Re:沖縄への修学旅行で・・・・(06/23)   YOSHIYU機 さん
私は、小学校の修学旅行では広島へ
中学では長崎へ行きました。

広島と一緒に山口の秋吉台にも行きましたかね。
明治維新の立役者を多く輩出した長州に訪れたのに
それらしい場所に行けなかったのを
残念に思ってたと記憶しています。

修学旅行は学ぶより、楽しむのが優先で
長崎の修学旅行の1番の思い出は
皿うどんが美味しかった事ですかね。 (2005年06月23日 23時14分38秒)

Re M.Gさん   夢穂 さん
日本国内でも、全国の都市部を中心に、空襲が
あった訳で、広島や、長崎のように原爆を投下を
されてもしまったけど、沖縄は地上戦ですから

ガマの記事を読んでいて、軍服を着てた民間人を
殺し、民間人の服を着た軍人を見逃さないように
米軍は、肌の色などをチェックしたみたいですね

民間人だけのガマは見逃されたけど、軍人と一緒の
場合は、降伏をしないので、容赦ない攻撃がされたり
集団自決に追い込まれたみたいです


そんなにブログを持っていたんですか。テレビで
そのニュースを見ました。ウィニーがらみだったんですね (2005年06月24日 07時44分51秒)

Re: T-サウルスさん   夢穂 さん
板橋の事件でも、なんでもありのアメリカの
犯罪ゲームや、生徒同士が皆殺しをする小説などを
持っていたようですね。自殺に関する本も
沢山あったといいます

ベトナム戦争で残虐な体験をいてきた元兵士が
心に闇を持ったように、バーチャルとはいえ
ゲームや、小説、漫画によって、子供の心が
病んでしまう可能性は、あるような気もします

ひめゆり学徒の方の話を、つまらないと思った
英語教師もいますが、思い出すのもツライ体験を
高齢を押して話してくださる、沖縄の皆さんに対して
あまりにも失礼であると思いますよ (2005年06月24日 07時52分42秒)

Re 吉祥天2260さん   夢穂 さん
逃げ場が無いですから。爆弾の降りしきる中を
おろおろと逃げ惑う子供達、彼らにとって
米軍も鬼であれば、日本軍も同じような鬼でしか
なかったと思います

今も、戦争で一家が絶滅をしてしまったという
廃屋が、島のあちらこちらにあるそうですし
ガマの中には、ご遺骨や遺品も、そのまま
残されているところもあるようです

アジア各国から、靖国参拝をよく思われていませんが
国内でも、同じような気持ちをもたれているご遺族も
いると思います (2005年06月24日 08時09分37秒)

Re YOSHIYU機さん   夢穂 さん
今回の沖縄旅行も、無論、戦争の足跡をたどる
見学日もありますが、ビーチでシュノーケルを
したり、タクシーでグループ行動といった
お楽しみもありますんで、「海が綺麗だったよ~」
とか、そういった思い出も沢山、できるんでは
ないのかな

山口も修学旅行では人気みたいで、旦那も秋吉洞と
道後温泉とかだったみたいですが、おっ、幕末好きの
少年でしたか。中学の時には、グループで、京都の
幕末の旅でしたよ。壬生や、蛤ご門、霊山・・・

個人の旅行で、萩や、津和野に行きました。後は
下関に行きたいのよ~。高杉晋作! (2005年06月24日 08時17分51秒)

Re:沖縄への修学旅行で・・・・(06/23)   エアロミーゴ さん
戦争を知らない世代に、その悲惨さを伝えていくことは、大事なのでしょうね!!!

広島、長崎、沖縄、日本のあちこちに戦争の爪あとが・・・・・
如何に保存していくかも今後の課題なのでしょう・・・

きっと、娘さん沢山得られて帰って来られる事でしょう・・・・
(2005年06月24日 09時15分04秒)

沖縄戦   ジョン・クラーク さん
日本に於いて唯一地上戦が展開された地域です。
あの戦闘によって多くの一般市民もそれに巻き込まれました。

そうした歴史的な事実が学校教育では殆ど取り上げれれ内です。
歴史も原始時代から教えていくので近現代史に来る頃には学年末になっていて触れずに終わるという形が多いと思います。

そして近年は近隣諸国とその近現代の歴史認識を巡って非常にとげとげしくなっています。
その辺りを学生時代からきちんと教える必要があると思います。

あれだけの多くの死者を出した沖縄は日本復帰が大幅に遅れ終戦後かなりの年数が経過してから復帰しました。
そして今でも本土との経済格差は非常に大きいです。
在日米軍基地の殆どがあの島に集中しています、
政府としてはその負担軽減ということをずっと言っている割には総理自ら先頭に立って解決していこうという姿勢が見受けられないです。
ただ単に成り行きに任せているといった印象が強いです。

それらの問題を解決した時に初めて沖縄に終戦が来たといえるのかもしれないです。
(2005年06月24日 10時39分48秒)

トド君曰く   じゅごん・まんぼう さん
終戦後、台湾の蒋介石が沖縄に働きかけて沖縄を台湾へと取り込もうとしたそうです。
かなりの援助もなされ、沖縄の青年達は台湾の大学へもいかせて貰ったりしたそうです。
もちろん経済・食糧の援助もありました。
しかし、日本には敗戦のため、そういう力がなにもなかったので云わば悔し紛れにアメリカのGHQに頼み込んで沖縄の台湾帰属を阻止してもらったとか。
現在では沖縄=日本にはなりましたが果たして米軍基地に祖先の土地を取り上げられた状態で、沖縄の人達はどう思っているのかと。。。。

私は15年くらいまえに沖縄へ行き、ひめゆり部隊の慰霊の洞窟を見学してきました。
ひんやりとした中に何か感じる物がありひやひやしました。
一日観光で頼んだタクシーの運転手さんは終戦当時12歳くらいで あちこち逃げ回って 生き延びたそうです。淡々と話されるので反って日常の中の異常?恐怖が伝わってきました。 (2005年06月24日 11時36分23秒)

Re エアロミーゴさん   夢穂 さん
昨晩、やっていたテレビでも、学徒動員で
仲間が沢山なくなった学校でも、高齢化の為に
語り部の人が1人しかいなくなってしまい、学校での
慰霊祭も、60年を区切りに、今年を最期にしたいと
話されていました

しかし、亡くなっていった友達の事を、自分の
命が亡くなるまで背負っていきたい。来年も
お参りに来ると語られていました

戦争を体験をされた高齢者の方が、語りつないで
ほしいと願われている事を、受け止めなきゃいかねば
ならないと思います。それは日本における戦争の記憶
だけではなく、ベトナム戦争や、朝鮮戦争などでも
同様の悲劇が、今もなお、続いています (2005年06月24日 13時12分56秒)

Re: ジョン・クラークさん   夢穂 さん
沖縄の人は、親を殺され、兄弟を殺された
軍用機の爆音を、毎日、聞かされている
のですね。私の家の上空も、時折、軍用機が
飛行をしますが、民間機とはまったく違います

日本政府が沖縄にしてきた事は、大いに反省をし
沖縄復興の為に、行動をしてほしいと思います
沖縄には就職がなく、人材派遣として、主人の
会社にも、幾人もの若い人たちがやってきます

最初の冬、本土で見る雪に感激をするそうです

この現状を考えると、沖縄における過疎化は著しく
進行をしそうですね。それは九州、北海道、東北
山陰なども同様であり、地方主体の自治を勧めて
いく上で、地域格差が生まれそうな様相です

医療格差など、社会福祉など、ある程度は
国内でバランスを取らないと、地方はこれから
キツイですよ (2005年06月24日 13時24分45秒)

Re: じゅごん・まんぼうさん   夢穂 さん
色々な沖縄の資料を読んだりしていると、当初
沖縄ではなく、日本軍の占領下にあった台湾が
重爆撃航空機基地を確保と、中国大陸への補給
基地の標的にされていたようですが、様々な
観点から、ルソン島、沖縄、硫黄島」の確保に
戦略が変更になったようです

戦後の沖縄占領は、中国や、ロシアなどに対する
重要な軍事拠点として手放せない存在となって
いたようですね。それは、今もなお、東アジアに
おける核などの脅威が続くかぎり、在日米軍の
存在は、米国にも、日本にとっても無くては
ならない存在なんでしょう

実の話、霊感のある私の母親も、沖縄では
何かを感じるものがあり、もう沖縄には
行きたくはないと生前にいっておりました (2005年06月24日 14時28分01秒)

Re:沖縄への修学旅行で・・・・(06/23)   tomoy18 さん
戦争というのは互いの悲劇であり、結果的に
責めたり 責められるのは どうなんだろう?

おかど違い ではないかとおもいます。

国際政治的に いまだ 根もふかく おろして
いるかのような ことも あるようですが、
単に 都合のいいように 利用しているとしか
見えません! それも ずっと・・・… 

難しいことは山積ですが、他国から 逆利用?
されることは 避けるべきでしょう!
みんな 気づきはじめてるようです。

へんな ことを 言って すみません。
(2005年06月24日 20時13分38秒)

Re tomoy18さん   夢穂 さん
中国や、韓国などが、A級戦犯の御霊が祭られた
靖国神社を、日本の首相が参拝をするのに反発を
しているのは、沖縄の人たちと同じように
戦争は60年前に終ったものではなく、自らが
この世を去るまでは、決して終っていないと
いう人たちが、実際に存在をしているという
事なんだと思います

様々な要因があるとはいえ、戦争の名の下で
行われた一つ一つの行為には、加害者と、被害者が
歴然と存在をしています。A級戦犯の人たちは
国際裁判において、有罪とされるべき罪を犯したのと
同様に、あるいは戦勝国側であるアメリカなど連合国に
おいても、人道的に責められるような行為を犯した人も
今となっては、英雄とされているのかもしれません

沖縄で逃げ惑った住民達は、明らかに被害者です
そして、彼らの命を奪った加害者もいたのも
歴然とした事実です

今日の新聞に、ナチス親衛隊の将校が、イタリアで
罪もない500人ほどの住民を、皆殺しにした罪で
終身刑を言い渡されました。ナチスにおける殺人は
時効が認められないがという判例が、数年前に出た
ために、起こされた裁判の判決です

被告人たちは、ドイツで自由に暮らす80歳代の老人達
果たして、イタリアに償還が出来るかわからないといいます
(2005年06月24日 20時49分20秒)

皆、知ってる人は言うけど、知らない人、感心の無い人が多いのが世の中です~~~   マツタカ2004 さん
こんばんは マツタカ2004さん
夢穂さん
>マツタカさんも、3月に沖縄戦について
>日記で書かれていました。今回、昨日の
>慰霊の日にちなんで、沖縄戦の事を書きました
>よろしかったら、ご感想をお聞かせください

>今日は、東京も真夏日だったと聞きます。山の上も
>暑かったので、マツタカさんも、さぞかし暑い
>思いをされたのではないですか? ご体調には
>お気をつけ下さいませ
-----


読みましたよ、日記。

本当にそのきめ細かい著述には、ホトホト、感心します
私は、十二年前に、息子に見せるべきものは見せました。
昨日も、ニュースを流しました。


http://matsutaka-2005.hp.infoseek.co.jp/matsutaka2005/video/newpage3.html

http://matsutaka-2005.hp.infoseek.co.jp/matsutaka2005/video/newpage4.html

反戦の資料は、山ほどあります。
先日も沖縄の小島の人の話を書きました。

夢穂さんも、暑気払いは、しましたか・

萱の輪を潜って・・・・

相変わらず、精力的ですね・・・
何時までも、頑張ってください!!
私は、マイペースで・・・ (2005.06.24 22:06:04) (2005年06月24日 22時07分44秒)

こんばんは   kenkeng さん
 沖縄、行ってみたいです。国内旅行で、子供と行き
たいのは、広島、知覧、そして沖縄です。やはり、
日本でも戦争が行われたこと、そして、その犠牲に
なった人々のことを学ぶのは、私たちのつとめだと
思います。そういうことを知った上で、平和について
考えて欲しいです。

 なかなか忙しくて、書き込めなくてごめんなさいね! (2005年06月24日 23時36分20秒)

Re:沖縄への修学旅行で・・・・(06/23)   ジュリア8078 さん
こんばんは☆

高校の修学旅行で原爆ドームに行き、、
焼き焦げた展示された色々なものを見て固まってしまったこと。
成人して沖縄でひめゆりの塔などを実際に入ってこの目で見たときのキモチ。
忘れられません。
娘さん、何かを感じてくるんでしょうね。

(2005年06月24日 23時37分32秒)

マツタカさん   夢穂 さん
昨夜、娘が帰ってきました。おかげさまで
お天気にも恵まれ、興奮状態が治まらないのか
夜中の12時半くらいまで、いろいろな話を
してくれました

ひめゆり学徒の方の話もしてくれましたよ
ピンを拾おうと身をかがめた瞬間に、爆弾で
ガマが崩れてきたという事

自決用の手榴弾を持っていた友達は、容赦なく
撃ち殺されてしまったそうです。彼女はもって
いなかったから命をながられたという話です

目の前で友人達が撃ち殺されるのを目にして
彼女達の死を無駄にしないためにも、平和の
尊さを伝えたいという気持ちからの語り部で
あると思います

学徒動員をされた若者のうち、少年は6割
少女は4割の命が、奪われたといわれます

高齢化のすすむ学徒にかわり、戦争を知らない
若い人たちが、その仕事を受け継ぐ試みが始まりました

萱の輪、滋賀県の近江神宮で、一度、現物を
見たことがあります。子供達がくぐって遊んで
いました

今年は空梅雨で、全国各地で水不足に陥ってます
中国や、フランスは大豪雨だそうですね (2005年06月25日 09時04分53秒)

Re: kenkengさん   夢穂 さん
いやいや、お子さんが小さくて、役員の仕事も
堅ちゃんの趣味もあるんだもん、ブログをする
暇もなかなか作れないのは、お互い様だよ。私も
娘が夜遅くの帰りで、日記更新が出来なかったもん

戦争の傷跡は、意外に、気にすれば見ることが
出来ると思います。住民の視線、兵士の視線
外国の視線。バランスよく様々な視点での戦争を
検証しなければ、片手落ちになってしまいます

様々な戦跡をまわる事で、様々な資料を見学を
する事で、声なき声を受け止める事が出来るんでしょうね (2005年06月25日 09時23分28秒)

Re ジュリア8078さん   夢穂 さん
色々な話をしてくれます。今日ガマの
話をしてくれましたが、ここの軍の隊長さんは
「死んではいけない。生き残れ!」という方で
あったので、学徒などに犠牲者はなかったのですが
隊長さんは、自決をされたそうです

全体の人がどうのでじゃなく、戦争という極限状態の
中であっても、個々の置かれた立場、、性質によって
住民を助けてくださった、日本軍の指導者もいたの
だなあと思いますよ

優しい人も、立派な人も戦争に巻き込まれ、人の命を
奪い、奪われる・・・。戦争はどんな理由があろうと
するべきものではありません (2005年06月25日 21時19分23秒)

空襲に会いました。   下々の小四郎 さん
体験者でありながら皆さんと同じく知らない事が多いのは
戦時中に生まれたからです。

年代からして世の中、こんなもんかと思うだけで、
戦後の恵まれない貧しさに何の疑問も持たなかったのも当然です。

しかし、或る時期まで焼夷弾の恐怖の一部がトラウマとして
残っていたことは事実です。

家を焼かれ両親は言うに言われん苦労をしたことを思い出すと
被った被害に対する怒りを一体何処にぶつけたらエエかと思います。
被害者でなきゃ解らん、理屈でない怒りは自分が死ぬまで残ると思います。

権力者が何をしてくれたのかを考えると尚更腹立たしい気にもなります。
自らの権力者嫌いも斯様な伏線があってのことです。

一握りの権力者のお陰で多くの国民が悲惨な目に会った戦争です。
何も日本に限った事ではないね。
国の成り立ち方は、何処も不幸です。
暴力を後ろ盾にした立国はヤクザな世界と同じような側面さえ感じます。
けど、これも現実です。

空襲で身内、家、財産を失くした多くの人が同じような思いの筈です。
天災と同じように諦めんといかんのですかね。

敗戦国日本には今時の天災のように助っ人は無かったのです。
アメリカの将来展望に従って変則的植民地政策に依って唯一救われる道が
残されたのだと思います。
皇族然りです。
例え日本が勝戦国だったとしても敵国に多くの被害者を出すのが戦争です。
理屈に合わん被害者を出してはいかんのです。

早急な日本の復興が為されたのも隣国の朝鮮戦争のお陰だったとは
何とも皮肉なことだと思いますが、それでも尚、我々の先達は
一様に苦労して復興を果たした事を思うと理屈抜きに戦争の悲惨さを
改めて感じます。
戦争はイカンと強く思うのです。 (2005年06月27日 13時41分21秒)

Re :下々の小四郎さん   夢穂 さん
子供達にとって、大人の理屈など
わかりようが無いですからね。急に
父ちゃんや、兄ちゃんが戦争に引っ張られる
夜は電気をもらしてはいけない。ご飯が
食べれない

そして、空からは焼夷弾。家が焼かれ
母や兄弟が殺されてしまう。ナゼ、僕は
こんな目にあうんだろう。お国の為
天皇陛下のためという言葉で説明をされても
納得できるはずもありません。しかし
そんな疑問を口にすれば、非国民とののしられ

自分の財産や、自分の家族や、自分の命すらも
投げ出されなければならない不条理。それが
国の利益や、面子や、正義の為であったと
言うけれど、何十万人の命を失い、焦土と
化しても、戦争をする価値があるほどの
理由とは、到底思えません

話し合いによる平和的な解決を、望むばかりです (2005年06月27日 20時48分29秒)

夢穂さんが   慶次2000 さん
参照に出した遺訓
私も昨年、「映画大和の時代を見る前に」で
取り上げました。

忘れたなら思い出せばいいのですが
いまや、「知らない」というタコ介が
増えたことが問題でしょう。

もはや被害者加害者という枠でとらえるのではなく
戦争というものに真っ向からぶつかることが大切だと
思います。

TB返しておきます。
(2006年03月10日 23時36分24秒)

Re: 慶次2000さん   夢穂 さん
戦後60年。還暦をしたから
もう第二次世界大戦のことはちゃら
みたいな気持ちを持った人も多いのかな

昨日の新聞に、韓国で戦時中に親日派
だった人たちの土地を国が取り上げるという
法律によって、土地を取り上げられた人が
裁判をしたとありました

まだまだ終わっていないんですよ。あちらも
こちらも、ほったらかし。沖縄も (2006年03月11日 17時16分12秒)


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