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殿上人日記

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2009年01月19日
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カテゴリ:長野、山梨の旅


      伊那の正月15

  時をほんの少し遡らせて、三が日も終えた
  今年の1月4日。明日から学校のある娘を
  旦那と送っていったついでに、天気も良いし
  信州高遠に、蕎麦でも食べにいこうと思い
  ついた


      伊那の正月14

  私は何度か出かけた馴染みの街だが、娘は
  高遠桜しか見ていないので、今回は高遠の街
  歩きなども楽しんでみようと思う。となると寺か

  以前に、このブログでも紹介をした寺もまた
  迎春の装いで、何だか華やいでもいる


 伊那の正月18

  まずは、武田信玄の弟である武田信廉が信玄の
  遺言によって、満光寺に植えたといわれている
  樹齢約五百年の黒松も、伊那広域シルバー人材
  センターのメンバーによって雪吊りがされていた


 伊那の正月16

  この松を一目見ると、極楽へ往生できると言い
  極楽の松と呼ばれている。また庭のツツジなどには
  雪よけのかわいいワラの帽子がかぶせられていた


      伊那の正月17

  江戸時代には、高遠の石工は信州をはじめとする
  各地で活躍し、中でも守屋貞治は名工の誉れが高く
  生まれ故郷の高遠の建福寺には、西国三十三ヶ所観音
  延命地蔵尊、願王地蔵尊など50体以上の石仏が・・・
  (石段の左側)


 伊那の正月24

  急な石段を登ると視界が急に開け、高遠の町並みを
  ふり返る


      伊那の正月23

  鏡餅が飾られた鐘つき堂の向こうには、南アルプス  


      伊那の正月20

  諏訪御料人(井上靖「風林火山」では由布姫
  新田次郎の「武田信玄」では湖衣姫ともいう)と
  武田信玄の息子である武田勝頼が、16歳で
  高遠の城主となった


      伊那の正月22

  建福寺には、法名乾福寺殿梅岩妙香大禅尼とする
  諏訪御料人の位牌や墓石も安置をされている


      伊那の正月21

  あまり墓地には来たがらず、旦那と娘は本堂の前で
  小さな池の鯉を眺めていた


 伊那の正月27

  町おこしになればと、高遠でも会津松平家の祖であり
  高遠城主でもあった、徳川秀忠の子であり波乱の人生を
  強いられながら、徳川幕府の中枢で、同時代の水戸藩主
  徳川光圀、岡山藩主の池田光政と並び、江戸初期の
  三名君と賞された保科正之の大河ドラマ実現を願い
  のぼりなどもたっていた


 伊那の正月28

  保科正之の養父である保科正光によって、高遠城下に
  建立をされた蓮華寺は、鳥居家が高遠城主となっても
  興隆し、慶安四年(1651年)に建立をされた七面堂は
  寺では一番古い建物であるらしい

  それにしても幕府からは松平性を許されながら、養父の
  恩を忘れず、保科で通した保科正之はかっこいいなぁ~


      伊那の正月29

  徳川七代将軍の家継のご生母の喜世の方(月光院)に
  仕えて、その右腕であった絵島(江島)は、大奥の
  公務の一切を取り仕切り、大奥で最も政治的権力を
  持つ御年寄の立場にあり、呉服商や薪炭商などは
  利権をめぐって、絵島の歓心を得ようとし、船遊び
  芝居見物でもてなしたそうである

  月光院の名代として、前将軍の家宣の墓参をした絵島は
  奥女中の宮路らと、寛永寺や増上寺へ参詣をした帰路で
  呉服商の誘いで芝居小屋の山村座に立ち寄り、帰城が
  遅れ門限に間に合わなくなり押し問答となった


      伊那の正月30

  山村座の役者であった、生島新五郎との密会を疑われた
  絵島は高遠へ流され、死罪二人、連座して罰せられた者は
  芝居関係者や商人ら千五百人をも数えた大事件は、幕府を
  牛耳っていた新井白石と間部詮房らの月光院一派を追放
  する為、前将軍家宣の正室の天英院と譜代大名や老中が
  スキャンダルをでっち上げたという一説もある

  27年間もの高遠での閑居生活の後に、亡くなった絵島の
  墓所は蓮華寺にあり、法名は信敬院妙立日如大姉

  
  浮き世にはまた帰らめや武蔵野の 月の光のかげもはづかし 絵島


 伊那の正月26

          平成21年1月4日に信州高遠で撮影







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最終更新日  2009年01月19日 18時11分17秒
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