殿上人日記

2010/08/04(水)10:07

黄金の湯と白銀の湯。万葉の頃より文人に愛されし伊香保温泉

温泉(7)

         伊可保可是 布久日布加奴日 安里登伊倍杼   安我古非能未思 等伎奈可里家利(巻14-3422)    伊香保風 吹く日吹かぬ日 ありといえど    吾が恋のみし 時無かりけり       伊香保から吹いてくる風は、吹いている日も   あれば、吹かない日もあります。でもね私が   あなたを想っているのは四六時中なのですよ   万葉集に収録をされた、東国の名もなき民衆が   うたう東歌(あずまうた)に「伊香保(いかほ)」の   名が詠まれたのは9つあるそうだが、古代に   おいての伊香保とは、榛名山(はるなさん)の   見えるような地域が対象であったようだ          「伊香保」の地名は、万葉集の記録から始まり   その由来は、「いかめしい峰(ほ)」であるとか   上州名物の「イカヅチ(雷)と燃える火(ホ)」   アイヌ語の「イカホップ(たぎる湯)」だとか諸説   がある     榛名山の中腹に位置をしている「伊香保温泉」は   垂仁(すいにん)天皇の時代に開かれたというのと   天平時代の名僧「行基」によって発見されたという   説があり、南北朝時代の書物に伊香保温泉の事が   書かれているそうである     戦国末期の天正4(1578)年に、「長篠の合戦」の後   武田方が傷を負った武士らの治療の為に、それまでは   源泉(湯元)付近に浴舎があったのを、源泉より温泉を   導き、石段を造って中央に湯樋を通して引湯し、左右に   整然と区画された土地を屋敷にして、温泉宿を経営した          ところどころに、湯樋でお湯が流れるのが見えるように   のぞき窓を設けて、のぞき窓から左右の旅館に分湯を   する為の仕掛けの「こ満口(こまぐち)」は16ヶ所で   寛永16(1639)年に井伊兵部少輔により作られた   制度であるそうだ        そんな歴史あふれる石段の温泉は明治以降に、数多くの   文化人らにも愛された。まずは金色夜叉と並んだベスト   セラーでもある、徳冨蘆花(とくとみろか)の小説「不如帰   (ほととぎす)」の舞台にもなっている      徳冨蘆花は、新婚5年目の記念旅行に伊香保温泉を訪れ   晩年に伊香保で静養して、この地で永遠の眠りについた            羅馬時代の野外劇場の如く、斜めに刻み附け   られた桟敷形の伊香保の街、屋根の上に屋根、   部屋の上に部屋、すべてが温泉宿である、そして   榛の若葉の光が柔かい緑で街全體を濡らしている。   街を縦に貫く本道は雑多の店に縁どられて長い   長い石の階段を作り、伊香保神社の前にまで   Hの字を無数に積み上げて殊更に建築家と   繪師とを喜ばせる        与謝野晶子 伊香保の街より(大正4年)     群馬出身の萩原朔太郎をはじめ、田山花袋、島崎藤村   芥川龍之介、斎藤茂吉、若山牧水、夏目漱石などなど   数多くの文人がここに訪れているが、特に有名なのが   画家で詩人の「竹久夢二(たけひさゆめじ)」であろう   ファンの少女が伊香保温泉で夢二と会った(人違い)と   夢二に手紙を送ったそうで、その8年後の大正8年に   実際に伊香保に訪れて大層気に入り、榛名湖の畔に   住居兼アトリエを建てた程である         ベルツ博士は「日本公泉論」で伊香保温泉について   記述し、婦人科にかかわる病気や胃病などへの効用や   治療のための入浴法、温泉街の環境や衛生についても   アドバイスを残してくれ、保養地として政府や経済界の   要人を迎えるようになった   物聞山の中腹にあった伊香保御用邸には、終戦で閉じ   られるまでは、避暑で伊香保を訪れる皇族も多かった     伊香保温泉が全国に誇れるのが、今では全国の   温泉地で見られる「温泉まんじゅう」だ。伊香保を   走っていた電車は「江ノ電」の払い下げだったそうで   関係者が江ノ島に出かける事が多く、「片瀬饅頭」を   土産で買ってきたのが、きっかけだとも言われるが   明治43(1910)年に、伊香保名物にと「湯の花   まんじゅう」が売り出されたのが、温泉まんじゅうの   先駆けであるとか。今も何軒も饅頭屋があった     石段を流れ下り各旅館に分けられている「黄金の湯」は   硫酸塩泉、カルシウム・ナトリウム-硫酸塩・炭酸水素塩・   塩化物温泉(中性低張性温泉)という泉質で、毎分四千L   その効能は、神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・運動麻痺   関節のこわばり・うちみ・くじき・慢性消化器病・痔疾   冷え性・病後回復期・疲労回復・健康増進・きりきず   やけど・動脈硬化症・慢性皮膚病であるとか・・・   そんな「黄金の湯」を手軽に楽しめる立寄り湯(有料)の   「石段の湯」に入ってみた♪     この歴史あふれる「黄金の湯」の他に、戦後の旅館数の   増加に対して源泉が不足していた事により、比較的新しい   無色透明な「白銀(しろがね)の湯」も出来たそうであり   メタけい酸含有泉であるとか          伊香保温泉から榛名山にむかう道に、高根展望台があり   真下には伊香保温泉を望む事が出来た。こうして今回の   1泊2日の旦那とのドライブ旅では、群馬の万座温泉に   草津温泉、伊香保温泉を揃い踏みで楽しんだ        山を登りきると高原の中の道で、ここを制限速度の   50キロで走行をすると「静かな湖畔」のメロディーが   約20秒流れる「榛名湖メロディライン」があった   それにしても見るからに変な形の山ばかりだ。というのも   巨人である「ダイダラボッチ」が、近江の地面を掘った   土を、モッコや藤つるなどを使って運んで「富士山」を   作ったそうで、近江で掘られた地面が今の「琵琶湖」に   なったそうで、この土を運びの途中で土塊が落ちた   事で様々な山が出来たそうだ     他の「ダイダラボッチ」は、「秋葉山(静岡)」を富士山   よりも高くしようと思って、ある晩に鍬で土を掘って   山の上に土を運んだのだが、夜が明けて富士山よりも   低いので怒りにまかせて、最後に積み上げた部分を   右足で蹴り上げた   秋葉山に土を積み上げる為、掘った穴が「浜名湖」に   なり、蹴り上げた土が大崎へまで達して湖のでっぱりに    なったとか     「ダイダラボッチ」は結構、気が短いようで自分の思い   通りにいかないと、カッとなって山の土をぶちまけた   そうであり、榛名山や、八ヶ岳、妙義山などの山頂が   ヘンテコな形をしているのも、山頂の土をぶちまけた   からだとか     榛名山と、赤城山、妙義山の三つの山を総称して   「上毛三山(じょうもうさんざん)」といって、毎年の   1月1日に行われる「全日本実業団対抗駅伝大会   (ニューイヤー駅伝)」は、上毛三山のそれぞれを   見ながら走る全長100キロのコースとなっている     榛名山にはカルデラ湖の「榛名湖」と、中央火口丘の   「榛名富士(標高1390メートル)」や、最高峰である   標高1449メートルの掃部ヶ岳、天目山、相馬山、二ッ岳   烏帽子岳、鬢櫛山などが囲み、更に外側には、水沢山   鷹ノ巣山、三ッ峰山、杏が岳、古賀良山、五万石など   側火山があって、複雑な山容をしている     「愛らしいお手紙うれしくうれしく拝見しました   イカホとやらでお逢ひになったのは私でありません   それが私であったろうならと心惜しく思はれます   お逢いする日があったら その日を楽しみませう   さらば春の花の世をすごさせたまへ」                竹久夢二から少女への手紙              平成22年7月23日に伊香保で撮影

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