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テーマ:旅のあれこれ(9182)
カテゴリ:温泉
![]() 伊可保可是 布久日布加奴日 安里登伊倍杼 安我古非能未思 等伎奈可里家利(巻14-3422) 伊香保風 吹く日吹かぬ日 ありといえど 吾が恋のみし 時無かりけり ![]() 伊香保から吹いてくる風は、吹いている日も あれば、吹かない日もあります。でもね私が あなたを想っているのは四六時中なのですよ 万葉集に収録をされた、東国の名もなき民衆が うたう東歌(あずまうた)に「伊香保(いかほ)」の 名が詠まれたのは9つあるそうだが、古代に おいての伊香保とは、榛名山(はるなさん)の 見えるような地域が対象であったようだ ![]() 「伊香保」の地名は、万葉集の記録から始まり その由来は、「いかめしい峰(ほ)」であるとか 上州名物の「イカヅチ(雷)と燃える火(ホ)」 アイヌ語の「イカホップ(たぎる湯)」だとか諸説 がある ![]() 榛名山の中腹に位置をしている「伊香保温泉」は 垂仁(すいにん)天皇の時代に開かれたというのと 天平時代の名僧「行基」によって発見されたという 説があり、南北朝時代の書物に伊香保温泉の事が 書かれているそうである ![]() 戦国末期の天正4(1578)年に、「長篠の合戦」の後 武田方が傷を負った武士らの治療の為に、それまでは 源泉(湯元)付近に浴舎があったのを、源泉より温泉を 導き、石段を造って中央に湯樋を通して引湯し、左右に 整然と区画された土地を屋敷にして、温泉宿を経営した ![]() ところどころに、湯樋でお湯が流れるのが見えるように のぞき窓を設けて、のぞき窓から左右の旅館に分湯を する為の仕掛けの「こ満口(こまぐち)」は16ヶ所で 寛永16(1639)年に井伊兵部少輔により作られた 制度であるそうだ ![]() そんな歴史あふれる石段の温泉は明治以降に、数多くの 文化人らにも愛された。まずは金色夜叉と並んだベスト セラーでもある、徳冨蘆花(とくとみろか)の小説「不如帰 (ほととぎす)」の舞台にもなっている 徳冨蘆花は、新婚5年目の記念旅行に伊香保温泉を訪れ 晩年に伊香保で静養して、この地で永遠の眠りについた ![]() 羅馬時代の野外劇場の如く、斜めに刻み附け られた桟敷形の伊香保の街、屋根の上に屋根、 部屋の上に部屋、すべてが温泉宿である、そして 榛の若葉の光が柔かい緑で街全體を濡らしている。 街を縦に貫く本道は雑多の店に縁どられて長い 長い石の階段を作り、伊香保神社の前にまで Hの字を無数に積み上げて殊更に建築家と 繪師とを喜ばせる 与謝野晶子 伊香保の街より(大正4年) ![]() 群馬出身の萩原朔太郎をはじめ、田山花袋、島崎藤村 芥川龍之介、斎藤茂吉、若山牧水、夏目漱石などなど 数多くの文人がここに訪れているが、特に有名なのが 画家で詩人の「竹久夢二(たけひさゆめじ)」であろう ファンの少女が伊香保温泉で夢二と会った(人違い)と 夢二に手紙を送ったそうで、その8年後の大正8年に 実際に伊香保に訪れて大層気に入り、榛名湖の畔に 住居兼アトリエを建てた程である ![]() ベルツ博士は「日本公泉論」で伊香保温泉について 記述し、婦人科にかかわる病気や胃病などへの効用や 治療のための入浴法、温泉街の環境や衛生についても アドバイスを残してくれ、保養地として政府や経済界の 要人を迎えるようになった 物聞山の中腹にあった伊香保御用邸には、終戦で閉じ られるまでは、避暑で伊香保を訪れる皇族も多かった ![]() 伊香保温泉が全国に誇れるのが、今では全国の 温泉地で見られる「温泉まんじゅう」だ。伊香保を 走っていた電車は「江ノ電」の払い下げだったそうで 関係者が江ノ島に出かける事が多く、「片瀬饅頭」を 土産で買ってきたのが、きっかけだとも言われるが 明治43(1910)年に、伊香保名物にと「湯の花 まんじゅう」が売り出されたのが、温泉まんじゅうの 先駆けであるとか。今も何軒も饅頭屋があった ![]() 石段を流れ下り各旅館に分けられている「黄金の湯」は 硫酸塩泉、カルシウム・ナトリウム-硫酸塩・炭酸水素塩・ 塩化物温泉(中性低張性温泉)という泉質で、毎分四千L その効能は、神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・運動麻痺 関節のこわばり・うちみ・くじき・慢性消化器病・痔疾 冷え性・病後回復期・疲労回復・健康増進・きりきず やけど・動脈硬化症・慢性皮膚病であるとか・・・ そんな「黄金の湯」を手軽に楽しめる立寄り湯(有料)の 「石段の湯」に入ってみた♪ ![]() この歴史あふれる「黄金の湯」の他に、戦後の旅館数の 増加に対して源泉が不足していた事により、比較的新しい 無色透明な「白銀(しろがね)の湯」も出来たそうであり メタけい酸含有泉であるとか ![]() 伊香保温泉から榛名山にむかう道に、高根展望台があり 真下には伊香保温泉を望む事が出来た。こうして今回の 1泊2日の旦那とのドライブ旅では、群馬の万座温泉に 草津温泉、伊香保温泉を揃い踏みで楽しんだ ![]() 山を登りきると高原の中の道で、ここを制限速度の 50キロで走行をすると「静かな湖畔」のメロディーが 約20秒流れる「榛名湖メロディライン」があった それにしても見るからに変な形の山ばかりだ。というのも 巨人である「ダイダラボッチ」が、近江の地面を掘った 土を、モッコや藤つるなどを使って運んで「富士山」を 作ったそうで、近江で掘られた地面が今の「琵琶湖」に なったそうで、この土を運びの途中で土塊が落ちた 事で様々な山が出来たそうだ ![]() 他の「ダイダラボッチ」は、「秋葉山(静岡)」を富士山 よりも高くしようと思って、ある晩に鍬で土を掘って 山の上に土を運んだのだが、夜が明けて富士山よりも 低いので怒りにまかせて、最後に積み上げた部分を 右足で蹴り上げた 秋葉山に土を積み上げる為、掘った穴が「浜名湖」に なり、蹴り上げた土が大崎へまで達して湖のでっぱりに なったとか ![]() 「ダイダラボッチ」は結構、気が短いようで自分の思い 通りにいかないと、カッとなって山の土をぶちまけた そうであり、榛名山や、八ヶ岳、妙義山などの山頂が ヘンテコな形をしているのも、山頂の土をぶちまけた からだとか ![]() 榛名山と、赤城山、妙義山の三つの山を総称して 「上毛三山(じょうもうさんざん)」といって、毎年の 1月1日に行われる「全日本実業団対抗駅伝大会 (ニューイヤー駅伝)」は、上毛三山のそれぞれを 見ながら走る全長100キロのコースとなっている ![]() 榛名山にはカルデラ湖の「榛名湖」と、中央火口丘の 「榛名富士(標高1390メートル)」や、最高峰である 標高1449メートルの掃部ヶ岳、天目山、相馬山、二ッ岳 烏帽子岳、鬢櫛山などが囲み、更に外側には、水沢山 鷹ノ巣山、三ッ峰山、杏が岳、古賀良山、五万石など 側火山があって、複雑な山容をしている ![]() 「愛らしいお手紙うれしくうれしく拝見しました イカホとやらでお逢ひになったのは私でありません それが私であったろうならと心惜しく思はれます お逢いする日があったら その日を楽しみませう さらば春の花の世をすごさせたまへ」 竹久夢二から少女への手紙 ![]() 平成22年7月23日に伊香保で撮影
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