殿上人日記

2010/09/10(金)18:28

暑い京都で鳴かぬ蝉。御殿のお寺は南町奉行所?

京都の旅(59)

    蔦のせいなのか、周囲の気温から考えても   やはりそうだったのか、9月の最高気温を   「京田辺市」が9月5日に叩き出した、当日   近くの「京都」に姉と二人でうろついていた     たぶん残暑もキツイだろうし、ネットで見つけた   「京の夏の旅」キャンペーンで、普段は非公開の   お屋敷を中心にまわる「京の宮御殿と公家屋敷を   たずねて」というコースを、冷房の利いた観光   バスでまわるのが楽かもと申しこんでいたのだ          紹介するのは、バスでまわった順通りではない   けれど、京都市街地の西の嵯峨野(さがの)に   位置する、お寺というよりも宮殿のような雅な   「大覚寺(だいかくじ)」を紹介したい。何が   有名かって、太秦(うずまさ)の撮影所が近く   時代劇のロケで、あそこもここも見覚えがある     「明智門」は、必殺仕事人シリーズで今は亡き   中村さんが通っていた南町奉行所だったりして   無論、水戸黄門や、暴れん坊将軍シリーズ他   何度も何度も登場していたりする   この奥の明智陣屋と明智門は、光秀の亀山城からの   移築といわれている。戦国ファンは訪れたい門だ           「大門」は江戸初期の建造で、時代劇では   大身旗本の屋敷や各藩の江戸藩邸、地方では   代官屋敷や陣屋に擬えられる事が多いようだ   いかがです? こんど時代劇でもじっくり見て   この二つの門が使われているか、見比べて   みてみるのも面白いかも     菊のご紋が物語るように、このお寺は天皇家に   深くかかわっている。というのも、嵯峨天皇が   離宮を寺に改め、ご開基は嵯峨天皇である上に   後宇多法皇がここで院政を行うなどしたからだ     その為に天皇家ゆかりの建物を移築したものが   多くあり、この雅な「宸殿」は後水尾天皇の中宮   明正天皇のご生母である東福門院の御所の   旧殿を移築したものと伝えられている            来年の大河ドラマの「お江(江与ともいう)」と   二代将軍徳川秀忠の間に生まれた、徳川和子だ   宸殿の蔀戸(しとみど)の金具に蝉がおり、これは   蝉は人の気配を感じると、鳴いて逃げるので 泥棒   除けを願うものだとか、蝉は飛ぶ時におしっこを   するので、火防のお守りではないかと諸説がある      そして宸殿の前に「右近の橘、左近の梅」あれは   桜ではないかと思われるかもしれないが、最初の   桓武天皇遷都では御所の紫宸殿前も梅であった   のが、承和年間(834~847)に枯死したので   桜に植えかえたそうだ     梅と橘は共に唐から伝えられたもので、早春に花を   咲かせて春を告げるという事と、実を結ぶ木として   大切にされてきたそうだ。桓武天皇の平安京遷都の   20年後に、即位をされた嵯峨天皇は葛野の地を   愛でて「嵯峨院(嵯峨離宮)」を建立されたそうだ   その名は、唐の文化に憧れていた天皇が、唐の都   長安北方の景勝地である嵯峨山になぞらえて嵯峨と   されたとか             遣唐使船に乗り、唐の新しい文化を伝えた入唐求法の   僧侶の「弘法大師空海」と、親交を結んだ嵯峨天皇は   高野山開創の勅許や東寺の下賜などを行い、嵯峨院   持仏堂の五覚院で、当時起こったという飢饉に際して   弘法大師空海が、五大明王に祈願をしたそうである     貞観18(876)年に、嵯峨天皇の長女の正子内親王が   嵯峨院を大覚寺と号し、初代門跡(住職)に嵯峨天皇の   孫であり、弘法大師の法灯を継がれた「恒寂入道親王」   (淳和天皇の皇子)を迎えられたそうである     皇位が二分され南北朝と呼ばれた時代に、後嵯峨上皇と   後宇多法皇が続いて、大覚寺門跡となられて大覚寺に   お住まいになられた事から、大覚寺統(南朝)と呼ばれ   ていたそうだ          元中9(明徳3、1392)年に、南北朝の媾和が大覚寺で   行われ、南朝の後亀山天皇が北朝の後小松天皇に   三種の神器を譲り、大覚寺に入られた後に吉野へ移って   南朝の再興運動が始まった       後宇多法皇六百年、後亀山天皇五百年の御遠忌記念   事業として大正14(1925)年に、法隆寺の夢殿を模して   建立された。大正天皇の即位式用二条離宮(二条城)の   第一車寄せの用材が使用された「勅封心経殿(心経殿)」          東京の東宮仮御所の霞ヶ関離宮(現・国会前庭)の   貴賓館だったのを、罹災された秩父宮さまが戦後の   住まいとされていた御殿が昭和46(1971)年に   下賜、移築をされたもので、皇室の方がおいでに   なった時の休憩所とされている「秩父御殿」     今回の夏の旅では、普段は非公開である秩父御殿が   特別公開をされ、お部屋も拝見をさせていただけて   美しい襖絵や、オリジナルのレトロな家具なども素敵   であるが、内部は撮影禁止の為に写真は無い     大正天皇の即位式場に建てられた饗宴殿を、式後に   賜って移築した「御影堂」に、秘鍵大師(弘法大師)   嵯峨天皇、後宇多法皇、恒寂入道親王などの尊像が   安置されている     天保8(1837)年に、有栖川宮家の慈性法親王が   若くして大覚寺門主となったが、江戸寛永寺に住み   日光輪王寺の門主となって、天台宗の座主も兼ねる事と   なり、大覚寺最後の宮門跡として江戸へ下向する日に   名残惜しそうに何度も振り返った為に、「勅使門」は   「おなごりの門」と言われる            嵯峨天皇の離宮造営にあたり、唐の洞庭湖を模して   作られ、庭湖とも呼ばれる「大沢池」は、周囲約1kmの   日本最古の人工の林泉(林や泉水などのある庭園)で   中秋の名月の観月が有名だ          大沢の池の脇には、今昔物語で百済川成が作庭した   ものと伝えられる嵯峨院の滝殿庭園内に設けられた   「名古曽の滝」を三十六歌仙の前大納言公任が詠み   滝の音は絶えて久しくなりぬれど              名こそ流れてなほ聞こえけれ       暑い中に照り返しの厳しい駐車場に戻り、自販機で   ジュースでもと思ってみたら、京都観光が出来そうな   カラフルな自販機だった                    平成22年9月5日に京都で撮影

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